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レガットの女癖

「いつもより顔色がいいな」

「袋にもだいぶ慣れてきたんです」


 例の如く袋からまろび出て、地面の上に寝転ぶ。ここは、王都の外。人目につかないところまで離れたので、私は袋から放たれたのだ。

 青い空を見上げて暫く息を整える。生温かなスオシーの鼻を触っていると、すぐに気分が良くなる。エルートの手を借りて起き上がった頃には、吐き気はすっかり収まっていた。


「女の子がそんなことに慣れちゃ駄目だよ、魔女さん」

「女の子って……」


 レガットの言葉に、思わず苦笑する。女の子なんて、いくら何でも柄じゃない。


「女の子でしょ。魔女さん、いくつなの?」

「20歳になりました」

「ほら! やっぱり女の子じゃん。俺たち、もう24だよ」


 そういえば、エルートの年齢は今まで聞いたことがなかった。年上だとは思っていたが、思っていたよりも近かった。落ち着いているから、もっと年上かと思っていた。つい彼の方を見ると、彼もこちらを見ていた。私はどう思われていたんだろう。


「何、今年齢を知ったみたいな顔してるんだよ。恋仲なんだろ?」


 レガットの鋭い指摘を受け、エルートはさっと視線を逸らす。軽く咳払いをしてから、口端をくいっと上げた。


「ああ。年齢など知らずとも、俺はニーナの内面を評価しているから」


 嬉しい台詞に胸が跳ね、これは上手く誤魔化そうとしただけだと落ち着かせる。「恋仲」という体裁を保つための、方便だ。本当に私の内面を見ているだなんて、勘違いして自惚れてはいけない。

 エルートが評価しているのは、私が魔獣を探せること、それだけだ。

 実のところ、私たちが恋仲なんて、誰がどう見ても不釣り合いだ。嘘を押し通すのには無理がある。物語でもありえない関係性を、レガットが疑うのも当然だ。

 当たり前のことなのに、否定を重ねると心の隅がちくりとする。

 きっと、嘘をついたことへの良心の呵責だ。私はそう結論づけ、胸の痛みは気にしないことにする。

 レガットは口元を緩め、「ふうん」とだけ言った。


 私がスオシーに乗ると、エルートが後ろからこちらに手を回す。背中全体で彼の温もりを感じる。抱き寄せる腕は優しく、エルートの花の匂いに全身が包まれる。この体勢だけは、いつまでも慣れない。

 雰囲気に浮かれてはいけない、とただそれだけを、私は何度も心の中で繰り返した。エルートは私を、荷物扱いしているだけ。せいぜい、魔獣を探す便利な道具扱いだ。高貴な騎士からしてみれば、一般人の私など、その程度だ。

 だから。


「耳が赤いぞ」


 耳元に唇を寄せた囁きも、エルートには何の意識もないのである。くつくつと微かに笑う声がして、私は小さく溜息をついた。エルートの言動は、時々、意味がわからない。


 緑盛る季節の最中にあって、草原は美しく、波打つ緑に満たされている。柔らかな風と草木の香りを感じ、爽やかな気分になる。スオシーが速度を上げるにつれ、耳に入る風の音が大きくなる。規則正しい足音と相まって、耳に心地良い。


「昨晩は、ニーナに貰った花のおかげでよく眠れた気がするよ」


 私がエルートにあげた花とは、彼と初めて出会った広場に生えていた白い花だ。その香りには眠りを促進する効果があり、眠りが浅いというエルートに渡したのだ。


「良かったです」


 母から教わった知識が彼の役に立ったことが嬉しくて、そう答える。


 穏やかな陽射しの中で、この上なく平和な会話をする。あまりの平和さに、ふと、心の片隅がぞっと震えた。今から向かうのは魔獣の討伐であるのに、その緊張感なんて、エルートからは微塵も感じられない。

 恐ろしい肉食の魔獣と対峙することが、エルートにとっては日常そのものである。何気ない会話からそれを実感して、私はなんだか空恐ろしい気分になった。


 速度を緩めたのは、それから数刻後。私たちが停止した場所からほど近いところに、町の外縁が見えた。


「魔女さんは、カプンの人だよね。エンデに来たことは?」

「ありません」


 レガットの馬は、スオシーとは対照的な白馬である。その滑らかな白い毛を撫で、労をねぎらいながら問う彼に対し、私は首を振って否定した。

 私の知る町は、故郷とカプン。それに、前住んでいた忌まわしき思い出のある町。それだけだ。


「ふうん」


 親しげに話しかけてきたわりに、レガットの反応は素っ気ない。期待した返答と違うのかもしれないが、私は彼のこういうところに、取り繕いの気配を感じるのだ。

 出会った頃のエルートと同様、レガットの言葉の裏には、本心が巧妙に隠されている。


「では、俺たちはここで待っている」


 町まではまだ距離があるが、エルートはそう宣言した。私も、エルートとここで待つことになる。カプンの場合と同様、私のような一般人が王宮騎士と共に現れたら騎士の評判が下がるから、ここで待っているというわけだ。

 地面に降り立つと、スオシーが鼻を寄せて来た。片手でそっと撫でると、嬉しそうに鼻を鳴らしている。

 討伐の前には、町人に挨拶することになっている。町へ向かうレガット達の背を見送るために視線を向けると、そこには険しい顔をするアイネンがいた。


「待て」


 と、低い声。真面目そうな太眉が、ぐっと吊り上がる。


「待つのは君であるべきだ、レガット。誰かが残るのならば、それが妥当だ」

「なぜだ? ……ああ」


 問いかけたエルートが、納得した顔で力の抜けた声を出した。


「お得意の身分の話?」


 にやついたレガットが口を挟む。アイネンは渋い表情のまま、エルートにその視線を注ぐ。


「君も私情を挟まずに冷静に判断すれば、そうすべきだとわかるだろう」

「俺は誰が行っても構わないと思うが……仕方ないな。ニーナを頼んだぞ」


 エルートが軽く手綱を引くと、スオシーの鼻が私の手から離れる。宝石のような瞳はこちらを見つめたまま、前方に1歩進んだ。

 アイネンとエルートの背が遠くなる。風になびく黒のマントが、相変わらず凛々しい。エルートの花の匂いがどんどん遠のいて行く。

 エルートたちはそれぞれ馬の手綱を掴み、町中へ入っていく。門をくぐり抜けた先に見え隠れする雰囲気を、私は懐かしく感じた。舗装されていない土の道。点在する小さな家。素朴な、人の良さそうな笑顔を浮かべた町人。町というよりは村に近い、こぢんまりとしたそこは、母の住む故郷を彷彿とさせた。


「ずいぶん寂しそうな目で見るじゃない。僕が隣にいるのにさ」


 ふ、と視界に銀髪が映り込む。エルートの髪とは対照的な色合い、くるんとした巻き髪。緑の瞳を悪戯っぽく光らせたレガットがはにかむと、白い整った歯が覗く。


「やっぱり魔女さんは、あいつに気があるの? あいつは君のこと、それなりに気に入っているみたいだけど」


 やはりこの人は、私たちの関係を信じていないのだ。私とエルートが恋仲だと思っているのなら、「気がある」「気に入っている」なんて表現はしない。

 恋仲なんてありえないし、疑うのは当たり前。そう何度も自分に言い聞かせてきたが、いざ面と向かって言われると、胸がちくりと痛む。

 いや、この痛みは、郷愁に駆られたからだ。遠目に見たエンデの町が、故郷に似ていたせいだ。そう、自分に言い聞かせる。


「気があるなんて軽い言い方、エルートさんに失礼です」

「どうして?」

「だって……騎士様ですから」


 気がありますと言って受け流せば良かったと、答えてから気付いた。

 エルートと私は、全くの身分違いだ。気があるとかないとか、私個人の気持ちなんてどうでも良い。当然のことなのに、自分で思っていたよりも切なげに、喉から絞り出すような声が出た。

 まるで、何かを耐えているみたいな声だ。別に、私がエルートとの関係で我慢していることなんてないはずなのに、思考と声がちぐはぐになっている。


「まあ、そうだなあ。あいつは両親を亡くしちゃいるが、騎士家系の出だからね。養父も前騎士団長だから、親なしにしては、しっかりした後ろ盾を持ってる」


 自分の状態に戸惑う私の耳に、レガットの柔らかな声が飛び込んだ。

 彼の緑の瞳が、エンデの町の方へ向けられる。今頃あそこでは、エルートたちが町長に挨拶をしているはずだ。

 エルートは、両親を魔獣の事故によって亡くしている。その話は、私も以前聞かせてもらった。幼くして両親を亡くした彼がどんな思いで生きてきたかを想像すると、むやみなことは言いたくない。


「僕たち一般人は、普通なら御目通り叶わない相手さ。ちなみにアイネンは、生粋の貴族だよ。わかるかな、僕達が残されたのは、僕が君と同じ、一般人の出だからなんだ。挨拶するなら身分の高い方が行くのが礼儀だって、アイネンの考えそうなことだろ」

「レガットさんが、一般人の出なんですか?」

「そう。騎士は試験を通れば誰でもなれるって、有名な話だろう。僕は『権力者に取り入って試験に不当に合格した、姑息なヤツ』──さ、アイネンに言わせると。アイツ、口が悪いんだよね。根はいい奴なんだけど」


 ひらり、と軽く手のひらを翻すレガットは、アイネンの失礼なレッテル貼りも気にしていないように見える。その手が再度翻り、指先がこちらに向けられた。


「ちなみに魔女さんは……『色を武器に騎士に取り入った、恥知らずな魔女』かな」

「色を武器にって、そんなことしてません」

「さあ、どうかな。本当に言ってるよ、奴は」

「そうですか……」


 アイネンは随分な物言いだが、言われても仕方ない気もして、それ以上何も言えなかった。エルートと私が恋仲だなんて、悪し様に言われても仕方ないほどに、身の程知らずなのだ。


「ま、色を武器にはできなさそうだよね。エルートはそういうの興味がないし、君も経験薄そうだもん」


 あはは、とレガットが笑う。彼こそ、失礼なことを言っている。不快に思うべき発言なのに、軽妙な雰囲気に頬が緩んでしまう。出自が同じだとわかったゆえの気安さだろうか。ふ、と息が唇から漏れ、顔の前のベールを揺らした。

 無論、レガットが一般人の出だったとしても、試験を受けて騎士になったのだ。私のように、よくわからない拾い物のようにしてここにいる人間とは、全く違う。頭ではわかっていても、どこか親しみやすさを感じてしまった。


「エルートと恋仲なんて、不自然極まりない嘘なんだからさ……魔女さん」


 前言撤回。私の感じていた気安さは、レガットがこちらに手を差し伸べてきたために、すっと掻き消えた。手首を、軽く掴まれる。肩を強張らせる私の目を、窺うように覗く緑の瞳。表面が揺らぎもしない眼差しからは、何を考えているのか見当もつかない。


「エルートよりも、僕がいいんじゃない? 一般人同士、感性も合うよ。それに僕なら、君を袋にぶち込むみたいな、酷い真似もしない」

「それって、どういう……」

「恋仲になるなら、エルートより僕の方が相応だってこと。君は一般人なんだから、一般人の僕が丁度良いって」


 口元は笑って、軽い口調で話しているが、目は冷たく凪いでいる。レガットが奥に隠している本心は、何なのだろう。


「どうしてですか?」


 あまりの違和感に、普通なら飲み込む疑問符が、ぽんと口から出てしまった。レガットが、私に対する恋愛感情を持たないのは百も承知だ。その上で、レガットと恋仲になることを勧める動機が気になる。


「聞きたいの? それはさ……」


 掴まれたままの手が軽く引かれ、ぱっと離された。空気が緩む。


「今のは内緒ね」


 レガットは口の前に人差し指を立て、ぱちりとウィンクをする。

 風に乗って流れてくる花の匂いが強くなった。エルートたちが戻ってきたとわかって、私はエンデの町を見る。黒い人影が、徐々に大きくなる。


「レガットが変な真似をしなかったか、ニーナ」

「開口一番にそれかよ。信用ないなあ、僕」

「ニーナには通用しないとは思うが、お前の手癖の悪さは折り紙付きだからな」


 そんなことないんだけど、とレガットはわざとらしく甘い声を上げ、不服そうな表情を作る。彼に、先程までの妖しさはない。


「君の女性遍歴の酷さは、騎士にあるまじきものだ」

「うるさいなあ、アイネン。僕は騎士を辞める前に、逆玉の輿に乗りたいんだよ」

「堂々と言うことではない」


 あけすけなレガットの物言いに、アイネンが、こめかみにぴくりと青筋を立てる。


「騎士は自らの幸せよりも、民の幸せを優先すべきだ」

「アイネンは考え方が古いって」

「止めろ、二人とも。騎士の情けない姿ばかり、ニーナに見せるな」


 アイネンが正論を言えば、レガットが茶化して返す。エルートが間に入らなければ、押し問答が延々と続きそうな雰囲気だった。


「挨拶は済んだ。行こう、魔獣のところへ」


 話題を切り上げて合図を出すのは、エルートである。場の雰囲気がすっと収まり、それぞれが森へと顔を向けた。馬上に移動する際の、金属が擦れる音。エルートに背後から支えられ、私は花の匂いを辿った。


「あちらです」


 エルートの匂いが向かう先を指で示すと、馬達は木々の間を、すり抜けるように上手に進む。

 実のところ、アイネンの匂いはエルートのそれより薄く、少し追いにくい。そしてレガットの匂いは、何故か森の外に向かって流れている。同じ騎士でも魔獣を求める気持ちに強弱があるのは、当たり前と言えば当たり前だが、不思議な発見だった。

 何にせよ、エルートの匂いを追えば、私たちは必ず魔獣に行き着くのだ。森の奥に入り込むにつれ、深みのある緑の香りに、辺りが包まれていく。薄暗い森の中で、騒々しい鳥がギャア、と不穏に鳴いた。

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