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騎士団で迎える朝

 もうもうと吹き上がる湯気に、一気に汗が出る。私はまだ熱い食器を取り上げ、水滴を拭き上げた。次、またその次。拭き終わった皿がまとまると、アテリアが持っていってくれる。


「すまないねえ、あんたもお役目があるのに、手伝ってもらっちゃって。助かるよ!」

「いえ! 朝は暇なので、お手伝いできて嬉しいです!」


 がちゃがちゃとした厨房では、大きな声を出さないと聞こえない。蒸気と汗で肌をつやつやにしたアテリアに感謝され、私は大声で言葉を返した。

 朝。野苺の匂いで目が覚めると、アテリアが起きて支度をしていた。それで私は、今朝も手伝いを申し出た。

 昨日エルートには、昼過ぎに鍛錬場に行くよう言われている。私の役目は、そこから始まるという。つまり、朝は暇なのだ。

 部屋にいても、やることは何もない。薬草を摘みに行きたい気もしたけれど、勝手に森へ行くのはまだ気が引けた。アテリアの手伝いをして、彼女の役に立てるのなら、むしろありがたかった。

 私は、誰かの役に立つためにここへ来たのだ。アテリアも、例外ではない。

 皿を拭き終え、煮込みを盛り、盛っているうちにどんどん汚れた食器が溜まるので鍋に放り込み、煮沸して洗い……嵐のような一連の流れが漸く止んだ頃、私の目の前に、一皿の煮込みがぽんと置かれた。見れば、自分も一皿持ったアテリアが、にかっと笑顔を浮かべる。


「あんたのお陰で、ゆっくり食事ができるよ。今なら食堂は空だから、向こうで食べよう」


 皿を受け取り、アテリアと二人で食堂に出る。彼女の言う通り、テーブルは全て空だった。朝食に出た煮込みソースの残り香が、なんとなくふわふわと漂っている。

 私たちは入り口に最も近いテーブルに向かい合い、食事を始めた。アテリアは肉を大きく切り、豪快に口を開けて食べる。


「このソース、美味しいですよね。お肉に合ってます」


 私も彼女にならい、肉を切り分けて口に運ぶ。ひと口食べると、ほろりと解ける肉。甘くて濃い、ソースの香りが広がる。ゆっくり味わってから、アテリアに感想を伝えた。

 実際、この煮込みは格別に美味しい。あれだけ慌ただしい厨房で、しかもひとりで、毎日大量に、これだけの味わいのものを作れるなんて素晴らしい処理能力だ。

 アテリアは肉をごくりと飲み込むと、大きく溜息をついた。


「そう言ってくれるのは、もうあんたくらいよ。初めの頃は皆美味しい美味しいって食べてたんだけど、最初だけだったねえ。魚を食べたいの、違う味がいいの……文句ばっかりさ」


 私は頷いた。エルートも、騎士団の食事は肉ばかり、野菜が食べたいと言っていた。そんなのは、厨房を知らない人のわがままである。


「こんなに忙しかったら、他のものなんてできないですよね」

「そうそう。わかってくれるかい、ニーナ。あたしだってそりゃ色々作ってやりたいが、日毎に買う材料を変えるのも大変でねえ。同じものを買って同じ手順で調理して、それでいっぱいいっぱいさ」


 投げやりな口調でそう話すアテリア。彼女のやり切れない気持ちが伝わってきて、私は何度も頷く。こんなに暑くて重くて大変な思いをして、それで「もっと他のメニューを出せ」と文句を言われるなんて。

 人が頑張れるのは、感謝されるから、誰かの役に立っていると思えるからなのに。

 私は煮込まれた肉を咀嚼する。ふわりと解ける繊維、絡んだソースが濃厚な香りを添える。ソースはとても美味しいのだけれど、量があるから、くどく感じるのは事実だ。もう少しさっぱりした薬草を添えたら、もっと食べやすくなる気はしていた。


「アテリアさん。これ、味を変えて食べてみてもいいですか?」

「いいけど。あら、何だい、それは」


 私は用意していた小袋の存在を思い出して、ポケットから取り出す。中に入っているのは、自宅から見繕って持参した乾燥薬草だ。砕いて食べ物にかけると、ほのかにぴりっとした味わいが加わる。

 アテリアが不思議そうに見ている前で、私は手のひらを擦り合わせて薬草を砕き、煮込みの上に振りかけた。濃い緑色の薬草は、食べると少しぴりりとする。この香ばしい風味が、ソースに合うと思ったのだ。


「……うん、合いますね」


 案の定。元から美味しいアテリアのソースに風味が加わり、食べやすくなる。


「へえ! あたしのにもかけてよ、それ」


 好奇心に目を輝かせるアテリアの皿にも、同様に薬草を細かくして掛ける。アテリアは薬草が振りかかった部分をゆっくりとすくい、恐る恐る口に運ぶ。数拍置いて、「うん!」と声を上げた。つぶらな瞳が、さらにまん丸に見開かれている。


「ほんのちょっぴりで味わいが変わる、これはいいねえ」


 アテリアは言いながら、薬草をかけた煮込みをぱくぱくと食べている。私も、新鮮な気持ちで食事を続けた。風味が変わると、味に飽きない。元が美味しいのだから尚更だ。


「他にもこういう薬草はあるのかい?」

「あります。私は持ってきてはいませんが、森に行けば採れると思います」

「そう。なら、よろしく頼むよ」

「え?」


 さらりと投げられたアテリアの言葉に、思わず聞き返す。彼女は丸い目をぱちくりさせて、気の良い笑顔を浮かべた。


「わざわざ持ってきてくれたってことは、それをうちの食堂で出す気なんだろう? 応援するさ」


 一瞬返す言葉に困る私を、アテリアはにこにこしたまま見ている。

 そこまでは考えていなかった。多少「誰かが喜んで食べてくれたらいいな」という気持ちもないではなかったが、薬草は嫌われ者だし、アテリアも自分の味を変えることは望まないと思っていた。 母は「台所は女の戦場よ」というようなことを言って、家族以外の人に触れさせるのを嫌がっていた。アテリアは料理人だ。手伝いとして私が手を貸すのは良くても、味を変えるのは嫌がるだろうと。


「皆喜ぶよ。あたしも嬉しい。あたしだけじゃあできないからね」


 けれどアテリアは、むしろ嬉しそうである。騎士達の要望に応えていくとしても、アテリアひとりでは、工夫の余地がない。その工夫の部分を、私に任せてくれようとしているのである。

 全く心配いらなかった。嫌がるどころか、気づけば私が薬草を用意する話になっている。


「いくつか種類があるんなら、机の上に置いといて、各自で味を調整してもらうのもいいかもしれないねえ。瓶くらいなら予算で買ってもらえるから、必要になったら言っておくれよ」


 アテリアは楽しそうにあれこれとアイディアを出している。自分のための食事の味を少し変えるつもりで持ってきたのだけれど、ここまで来たらもう引けない。私は頷いた。

 求められたら、応えるのだ。幸い、時間はそれなりにある。結果としてエルートがアテリアの食事を美味しく食べてくれるようになったら、それもまた嬉しい。

 エルートが食べてくれたら? 自然に彼の顔を思い浮かべている自分に、私は呆れた。「恋人だ」みたいな紹介をされたと知って、恋仲を見る目で周りから見られて、浮かれているみたいだ。思い上がってはいけない。咀嚼した肉をごくんと飲み込み、気持ちを落ち着ける。


「はい、頑張ります」

「楽しみだねえ」


 頷くと、アテリアは目を細めた。

 薬草が騎士様の口に合うかどうかわからないけれど、自分にできることはやってみよう。求められているのなら、応える努力はしてみたかった。

 アテリアは朝食の片付けをし、夕飯の仕込みを始めるとのことだった。お昼の時間が近づいてきたので、私は厨房を出る。

 午後は、エルートに呼ばれている。その前に湯浴みをしておくつもりだった。可能なら、汗を流してから向かいたい。厨房では驚くほどに汗をかく。こんなに汗まみれで、あの場を共有しているアテリア以外の前に出るのは忍びない。ましてや、騎士の前になど。

 まだ明るいうちから入る温泉は、すこぶる幸せなものだった。湧き出るお湯は止まることがないらしく、常に湯気の立つお湯がちゃぷちゃぷと溢れ出ている。この温泉をアテリアと私しか使っていないのだから、贅沢な話だ。

 全身の汗を洗い流し、疲れが湯の中に溶け出すのを楽しむ。ひとしきりリフレッシュしてから湯を上がり、濡れた髪を丁寧に拭う。


 昼過ぎ、鍛錬場に向かう頃には、髪はすっかり乾いていた。さっぱりした肌を、緑盛る季節の青臭い風が爽やかに撫でていく。外に出た私は思わず目を閉じ、深呼吸をした。


「早いな、ニーナ」


 後ろから話しかけられ、肩が跳ねる。声の方を振り向くと、エルートが目を細めて「すまない」と言った。


「驚かせてしまったか」

「大丈夫ですが……」


 激しく驚いたつもりはなかったのに、そんなにわかりやすかっただろうか。疑問に思っていると、エルートは「君は目に表情が出るからな」と、例の如く補足する。

 何も言わずとも、反応を読まれてしまっている。顔をベールで隠す私は、どちらかというと「表情がわかりにくい」「何を考えているのかわからない」と言われがちで、こんな風に表情を読み取られてしまうことなんてなかった。

 恥ずかしくて口籠ると、エルートは口角を爽やかに上げる。

 どこまで見取っているんだろう? 私はエルートから視線を逸らし、この問題から一旦目を背けることにした。


 視線を逸らした先には黒い立ち姿があり、それが誰だかもわかった。

 巻き髪の銀髪に、緑の瞳の青年。こちらに視線を向けて片手をゆるりと挙げる彼は、レガットである。その隣で微動だにせず立ち、こちらを睨み付ける黒髪の青年はアイネン。どちらもエルートの同僚で、先日共に魔獣討伐に赴いた二人だ。


「やあ、魔女さん。今日もご一緒できて嬉しいよ」


 レガットは今日も、さらりと甘い台詞を吐く。彼の仕草に合わせて銀髪が揺れ、ふわりと甘い匂いが弾ける。整った白い歯を薄く覗かせた、完璧な微笑。一瞬、目を奪われる。その後、あまりの完璧さに、二の腕に震えが走った。

 こんなに好意的な態度を取る彼は、不意に冷めた反応をすることがある。レガットは「これが素だ」と言い張るが、出会った当初のエルート同様、体裁を取り繕っていると私は推測している。


「いちいち媚びるようなことを言うな」


 一方アイネンは、そんなレガットに厳しい。騎士としてあるまじき言動なのだろうということは、私にもわかる。騎士たちは外に出ると、騎士という職全体の評価を負ってしまう。騎士としてふさわしい行動を、常に求められるのだ。それはきっと名誉なことであり、窮屈なことだろう。

 鼻を鳴らしたのはスオシーで、私はそのふにふにした鼻面に手を伸ばす。スオシーは、エルートの愛馬だ。優しげな瞳を持つ、美しい毛並みの黒馬。その体躯は均整の取れた、素晴らしい馬である。


 レガットとアイネンが、それぞれ馬に乗る。私が同乗するのは、いつもエルートだ。

 先ほどの「騎士は外に出ると職全体の評価を負う」という一面は、私にも影響する。私は、騎士ではない。しかし、というか、だからこそ。一般女性である私が、騎士、それも王宮騎士という特別な方々と同乗することは、身分不相応である。


「袋はありますか?」


 だから私は躊躇なく、荷物扱いを要求した。所詮私は一般人であり、荷物扱いがお似合いだ。

 エルートはすぐに、いつもの袋の口を開ける。私は袋に入り、自分の膝を見つめるようにして、小さく丸まる。


「自分と恋仲にある女を、こんな扱いしないよな、普通」


 私の耳に聞こえたのは、レガットの揶揄するような調子の指摘と。


「団長が言うのだから、間違いなかろう」


 それを諫めるアイネンの声が最後。袋の口が閉じられ、スオシーが歩き始めると、彼らの会話は右から左へ抜けていった。何しろ、袋の中での揺れはきつい。私は酔ってしまわぬよう、ベールから香る大地の香りだけに集中した。

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