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ニーナの居場所

 朝早く起きて薬草を摘み、朝食を食べ、店支度をする。来客の探し物を見つけ、受け取った報酬で食材を買い、ゆったりとした時間を過ごす。


 エルートは、暫く顔を出していない。


 騎士団の魔獣討伐に同行したという強烈な経験は、日常の中にすっかり紛れていった。時間が経つほどに、全て夢だった気もしてくる。「人の役に立ちたい」という私の願いが見せた、身の丈に合わない夢だったような。

 あのときは、また騎士団に呼ばれるような雰囲気だったけれど。私は所詮、鼻が良いだけの一般人だ。騎士の方々と行動を共にするなんて大それたこと、時間を置いて考えてみれば、やっぱりありえない。

 騎士団に行くことはもうないのだろう。それが、自然の成り行きだ。あの禍々しい魔獣の瞳を見ることも、きっともうない。否定を積み重ねるうち、落胆と安堵のないまぜになった感情が醸成されていく。最近の私は以前のように、薬草の香りにまみれた穏やかな日常を過ごしている。


 戸外に花の匂いを感じたのは、そんな朝だった。私はその匂いを知っていて、それでいて、自分の記憶違いを疑った。

 扉の鍵を開けようと近寄ったら、触れる前にギィ、と軋んで扉が開く。隙間から外気が入り込み、向こうに黒衣が見える。


「エルートさん」


 無骨な手でフードを外すと、金糸の髪が現れる。白い肌に、焦げ茶の瞳。御伽話に出てくるような、爽やかな騎士様だ。


「迎えに来た」


 僅かに微笑んで告げるロマンチックな台詞は、相変わらず様になる。エマなら頬を染めて大喜びしそうなところだけれど、実際は、素敵な意味はない。物語と現実は全然違う。

 エルートは店内に入って来ると、勝手知ったる様子で鍵を掛けてから、丸太の椅子に座る。


「勝手に鍵を開けないでくださいよ」

「俺が此処に居ると知れたら、お互い困るだろう」

「そうなんですが……」


 彼の言葉には納得せざるを得ないが、どこか釈然としないものがある。彼に、ここが私の店であるという意識はあるのだろうか。

 ……いや、店が誰のものかなんて、大した問題ではないのだ。エルートは私のことなんかより、騎士としての体裁の方が大事なのだから。そういえば最初から「騒ぎになる」という理由で、勝手に鍵を開けて入ってきていた。騎士が優先すべきものは、私の感覚とは違うのだ。

 今更の疑問であったと諦め、薬草茶を煮出す。半透明な湯の中で、小さな泡が踊るように揺れる。ここを出る前に、お茶を飲む時間くらいあっても良いだろう。


「良い香りだな」


 カウンターに肘を載せたリラックスした姿勢で、エルートは薬草茶の香りを楽しんでいる。


「そう思います? 薬草の独特な香りを、苦手とされる方もいらっしゃるのですが」

「俺は好きだ」


 その瞳でこちらを見据え、きっぱりと言い切るエルート。率直な物言いに、なぜかたじろいでしまった。「好き」なのは、薬草の香りだとわかっているのに、その端正な顔立ちから無意識に放たれる言葉は妙に心臓に悪い。

 エルートは僅かに目を見開き、それから視線を逸らした。私の動揺に気付かれたのだろうか。


「ここは薬草だらけだな」


 軽く咳払いをしてから話し出したエルートのおかげで、微妙な空気が緩和される。


「落ち着くんです、薬草の香りに包まれていると」

「そうか。全部は無理だが、いくらか持っていってもいいぞ。気休めにはなるだろう」

「持っていく? ……あぁ」


 その一言で、この後に及んでまだ現実感のなかったことが、やっと事実として押し寄せて来る。


 エルートの目的は、私を騎士団の本部に連れて行くこと。薬草を王都へ持参しても良い、と許可を得た訳だ。

 やっぱり行くんだわ。

 それはどこか夢物語のようで、現実感のなかった事実。

 どのくらいの期間なのか。何をするのか。私はどうなって行くのか。見通せないこれからに、ぼんやりとした不安が生じる。


「……悪いが、今更断れないぞ。チャンスはもう過ぎた」


 顔が曇っていたのだろうか。エルートに釘を刺される。


「はい、それはわかっています」


 私は頷いた。

 エルートが与えてくれた断るチャンスは、王宮騎士たちと魔獣の討伐に向かったあの時であった。彼は、無能なふりをすれば役目を逃れられると教えてくれた。「求められたら応える」と言って魔獣探しに協力したのは、他ならぬ私である。

 後悔しているわけではない。求められているのなら、断るつもりはない。


「ああ、そうだ。今回は君にきちんと条件を説明してから連れて来るよう、言われている」


 エルートは懐から1枚の紙を取り出す。黒い飾り枠で縁取られた、ものものしい雰囲気の紙。そこには、独特な書体の細かな字が並んでいた。

 私は目を細めて、差し出された紙を見る。角やカーブがいちいち強調されたような字体は、容易には解読できない。


「これは……け、い、や、く、しょ?」


 どうにかして一字ずつ、ゆっくりと読み取る。


「王家との契約書には、その字体を使うんだ。馴染みがないよな」

「王家、ですか……?」

「君の身柄を引き受ける騎士団は、王家の下部組織。言い換えれば、君は王家によって雇われるということだからな」


 エルートの解説に、ぞぞ、と震えが走った。王家の方々。御伽話に出てくるお姫様も王子様も、王妃様も王様も、皆王家の方々だ。国の政に携わる高貴な方々だということは、誰もが知っている。そして、一般庶民は、一生お目にかかれない存在であることも。

 そんな王家に雇われるというのだ。私が。事の重大さに慄くのは、もうこれで何度目になるだろうか。漸く事実を飲み込んだところで、また新しい衝撃が襲ってくる。


「君が構わなければ、俺が代読するが」

「お願いします」


 エルートは紙を取り、すらすらと契約内容を読み上げる。あの飾り文字を、こうも滑らかに読むなんて。こんなところからも、彼が王家に本当に近しい方なのだとわかる。

 今更ながら、エルートは王宮騎士なのだ。王家の方々との関係を持っているのも当然のこと。それでも、こうして目の前で見ることで、初めて自分との差をひしひしと実感した。

 エルートの朗読によると、私の雇用は月次契約。務めに応じてその都度、期間が延長されていく形らしい。報酬は成果報酬。騎士団の探索に同行し、魔獣を発見した回数に応じて、一度につき2万クルタが支給される。


「2万クルタ、ですって……?」

「……? 当然だろう。安すぎるくらいだ。今後君の働きに応じて、この額は上がっていくと見込んでおいて良い」

「いえ……」


 私の通常の報酬は、探し物1回につき、1000クルタ。食べるのも身の回りのことも、それで充分に済んでいたというのに。

 エルートにとっては、この額は驚くようなものではないらしい。平然とした表情で続きを読み上げる。


「そして、契約期間内においては、職務上の機密を守るため、許可のない外出は認められない」

「ということは……私は暫く、この家には帰って来られませんね」

「許可を得れば問題はないが……毎日帰ってくる、という訳にはいかないだろうな。君は原則として、騎士団の寮に住まうことになる」


 やっぱり。私は頷く。

 食堂で働くアテリアも、騎士団の寮内で寝泊りしていた。国を守る騎士たちが寝泊りする宿舎は、出入りも制限されるのだ。

 エルートたちの頼みに応えるということは、このカプンの町で過ごす時間が著しく減るということ。それは当然であり、私にもわかっていた。

 ただひとつ、心残りがある。


「浮かない顔をしているな」

「えっ」


 エルートの言葉に、私は驚いた。


「知らないのか? 君は口元を隠しているけれど、目に気持ちが出てるんだよ」

「そ、そうですか……」


 爽やかな笑顔で言うエルートに、私は目元を隠したい気持ちに駆られた。別に顔を隠すためにベールを付けている訳ではないが、結果的に、表情が隠れているのは事実だ。改めて指摘されると、恥ずかしさが込み上げてくる。


「それで、何か気にかかることがあるのか?」

「はい、あの……カプンの町長さんのことなのですが」


 平然と問うてくるエルートに、私はルカルデについて説明した。彼はよく失くし物をして、よく頼ってくれること。物を見つけることしかできない私の勘の良さを、心から褒めてくれること。そして、路頭に迷った私を助けてくれた恩人であること。


「だから私も、求められる限り、できるだけルカルデさんの頼みに応えたいんです。でも、騎士団へ行くとなると、そうも行かなくなるので」


 つい、溜め息をついてしまう。


「……そうか。君のような力の持ち主でも、そんな目に遭うのだな」

「遭いますよ」


 エルートの相槌は、ルカルデのことではなく、それ以前の一件についてだった。先日悪夢に見た、あの忌々しい記憶。

 危険な目にはいくらでも遭うし、だからこそ自衛が必要だ。あの危機を経て、私は二度と母の教えを破らないと決めた。

 再起のチャンスを与えてくれたルカルデには、心から感謝している。「人生の半分は探し物に費やしてきた」と豪語する彼は、私がいなくなったらまた同じ状況に後戻りしてしまうのだろうか。

 あんなにはっきりと求められているのに、それに応えられないなんて。ルカルデの役に立ちたい気持ちと母の教えが相まって、強烈な心残りになっている。


「君という人は……気にかかるのは他人のことなんだな」

「ルカルデさんは、他人というより恩人です」

「そういうことではない」


 ふっ、とエルートは口元を緩める。


「毎日帰ることはできないが、俺と休みが会う時には、ここまで送って来てやろう。少しでも顔を出せるのなら、君も多少は気が済むのではないか?」

「そうですね、ずっと来られないよりは……でも、申し訳ないです。エルートさんの、お手を煩わせるのは」

「気にするな。俺は……ついでに君を、魔獣の討伐に付き合わせるつもりだ」


 彼の言葉に私は納得した。彼の強い匂いは、今日も森へ向かって流れている。その先には、魔獣がいる。

 彼の魔獣を求める気持ちの強さを思えば、私をカプンまで連れてくることくらい、何てことないのかもしれない。


「どうしてエルートさんは、そんなに強く魔獣を追い求めているのですか?」


 浮かんだ疑問が、思わず口をついて出た。他の騎士と比較しても、魔獣を追う気持ちの強い彼。なぜそれほどに魔獣を求めるのか、ずっと気になっていた。

 聞いてから口にしたことを後悔したのは、浮かべていた柔らかな表情をエルートが引っ込め、顔が翳ったから。踏み込んではいけないところに、踏み込んでしまったようだ。


「あ、ごめんなさ──」

「自分の手の届く範囲を測れるのは、魔獣だけだからだ」


 謝罪して話題を引こうとしたとき、エルートが答える。それは何だか哲学的で、私にはよくわからなかった。


「俺は、自分の命が何より大切だと言ったろう? その時点で騎士失格だが、別に俺は、騎士としての使命に反したいわけではない」


 薬草茶をゆっくりと飲み、エルートは長く息を吐く。長い睫毛が、物憂げに伏せられた。


「俺は、死んではいけないと思っている。死なない一線を把握するためには、魔獣との手合わせが必要なんだ」

「……なるほど」


 死なないために、魔獣と戦う。一見矛盾しているように見えるが、彼には彼なりの信念があるのだと納得した。


「俺はこの茶を頂いているから、荷物でも用意してきたらどうだ」

「そうですね、そうします」


 エルートの指示に従い、私は一旦、奥の生活空間に引っ込んだ。荷物と言っても、大した量はない。数枚の着古した服と肌着を、小さく畳む。口を覆うベールの予備を、同じく畳んで袋の中へ。

 食べようと思っていた薬草とパン、干し肉の残りを処理しないといけない。薬草を水にさらし、しゃっきりとさせる。水気を取ってからパンに挟み込んだ。二人分作ったら、丁度良い量だ。

 コンコンと扉がノックされ、返事をする前に扉が開いた。細く開いた隙間からエルートが居室に滑り込んでくる。


「えっ」

「ごめん。誰か来るようだったから」


 匂いを確かめると、それは木に似た匂い。ルカルデのものだ。


「出ますね」


 エルートと入れ替わるようにして店内へ戻るのと、扉をノックする音が同時だった。私は扉の鍵を開け、ルカルデを迎え入れる。


「ルカルデさん。こんにちは」

「やあ、ニーナ」


 ルカルデは今日も丸いお腹をさすり、鷹揚に笑う。


「今日も頼むよ」

「……はい」


 私は、閉じた寝室の扉をちらりと見た。エルートにもこの会話は、聞こえているはずだ。少しなら家を空けても大丈夫だろう。

 ルカルデの匂いを辿り、外へ出る。今日も良い天気だ。緑盛る季節の強い日差しは、私の肌にじりじりと照りつける。


「暑くなって来たのう」


 ルカルデは、玉のように吹き出す汗をハンカチで拭った。額が赤くなっている。ふう、と大きく息を吐いた。

 ルカルデの探し物は、すぐに見つかった。ソファの下に入り込んでいた、1枚の書類。これを探していたんじゃ、と嬉しそうにするルカルデを見て、ほっとした気持ちになる。


「いつも助かるよ、ニーナ」

「ごめんなさいね、本当にいつもいつも。ニーナちゃんだって暇じゃないんだから、独り立ちしなさいって言ってるんだけど」

「わかっとるよ」

「わかってないわよね!」


 エマとルカルデの、遠慮のない楽しげな掛け合い。私はそれを聞いていて、胸がきりりと痛んだ。

 この老夫婦は、私にとって恩人だ。彼らが求めてくれるのに、町に居られなくなってしまうなんて。


「ニーナちゃん、どうかした?」


 エマの問いに、はっとして彼女を見る。心配そうな眼差しが、柔らかく向けられている。

 言わなくちゃ、と思った。全ては話せないとしても、事情は説明しなければ。それがせめてもの、恩人に対する礼儀である。私は浅く息を吸い、返答をする。


「今度、王都の方へ行くことになりまして」

「王都へ? あら、ついにニーナちゃんにも良い人ができたのね」


 浮ついた噂の好きなエマは、きらりんと瞳を輝かせ、声のトーンを上げる。


「いえ、そういうことでは。仕事なんですが」


 早合点して喜ぶ彼女に釘を刺した。誤解は解いておかないと、エマに伝えた話は、ひと時もしないうちに広まっているのだ。


「あら、そうなの」


 色恋沙汰ではないとわかり、トーンダウンする。反対にルカルデが、嬉しそうな声を上げた。


「王都にも、君の素晴らしさをわかる人間がいるんだのう」


 言いながら、丸いお腹をひと撫でする。目尻の下がった柔和な笑顔だ。


「帰って来ないわけではないのですが、店を空ける時間が増えるんです」

「構わんよ、どうせあの家に住む者はいないんだ。あのまま借りておくと良い」

「ルカルデさんの依頼に、すぐお応えするのも難しくなってしまうのが、申し訳なくて」

「とんでもない!」


 エマとルカルデの声が、ぴったり重なった。


「この人のわがままに応えられないからって、ニーナちゃんが気にする必要ないのよ」

「わしは、君にはもっと大きなことを成し遂げる力があると思っていたんじゃ。君の挑戦を、わしは応援するよ」


 ふたりの物言いは、取り繕った嘘ではなく、本心からのもの。ルカルデとエマの言葉なら、私は彼らの応援が、心からのものだと信じられる。


「ありがとうございます。休みの日には、できるだけ顔を出しますね」

「無理はするでない。頑張れよ」

「お土産話を楽しみにしてるわ」


 一片の曇りもない笑顔で送り出されると、前向きな気持ちがむくむくと湧いてくる気がした。

 家を出た私を見送り、手を振る夫妻に軽く一礼する。


「行ってらっしゃい」

「行ってきます」


 その挨拶は、私の居場所がここにあることを示しているようで、心がぽわっと温かくなった。

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