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王都に来た甲斐

「ご馳走様でした」


 食べ終えると、すぐにエルートが皿を重ね、椅子から立ち上がる。


「あ、すみません」


 下膳は自分がやるものだと思い込んでいた私は、不意を突かれて遅れを取った。


「構わない。アテリア、頼むぞ」

「はいよー」


 厨房に面した壁に、棚が備え付けられている。エルートが食器を置くと、元気の良い返事の後に棚の奥ががらっと開いた。

 棚の奥が引き戸になっていて、使用済みの食器をそのまま受け取れるらしい。よく考えられた、利便性の高い構造だ。

 アテリアはふくふくとした手で食器を取りながら、大きな口でにかっと笑う。


「ニーナは、今日はもう何もないだろう? なら、湯浴みをしなさいな。着替えとタオルは部屋にあるからね!」

「あ……ありがとうございます」


 頭を下げると、アテリアは「いいのいいの!」とおおらかに応える。元気の良い彼女は、見ているだけでこちらも元気をもらえる。


「行くぞ」


 エルートに促され、食堂を出る。食堂の位置は、騎士団長の部屋のおよそ真下である。廊下は左右に分かれ、それぞれが直角に折れるコの字型の建物だ。

 廊下は静かで、人気がない。正面の窓には幕が下ろされ、ほの明るい月光が隙間から入り込んできている。

 ここから見て左手側が、私たちが最初に入ってきた入り口。騎士団の運営に関する施設が備わっているという。右手側が、主に生活空間となっているそうだ。


「部屋に案内する。ニーナ、こちらへ」


 エルートが右手側に向かって歩き始めた。私はそれを追って進む。


 団長のガムリの探し物を見つけたのが、日没寸前である。あの辺りから、今日は泊まりになるという予感はしていた。

 たとえ帰っていいと言われても、暗くなってから外を歩くのは怖い。特に騎士団本部は、森で囲まれている。


 夜の森には、良い思い出がない。カプンの町に着く前、私が悪意のある人に襲われたのは、暗い森の中でだった。あれ以来暗闇の中にいると、肩が竦む気持ちになる。

 ひやりとしたものを背筋に感じながら、エルートの後を歩く。

 廊下の左右に、同じ形の扉が並ぶ。ひとつひとつの部屋は、そう広くなさそうだ。歩いていると、廊下の中程に、上階へ続く階段がある。


「俺の部屋は3階にある。まあ、ニーナが来ることはないと思うが」

「エルートさんはここにお住まいなんですか?」

「ああ。寮の方が、何かと便利だからな。独身の騎士は、大体ここに住んでいる」


 エルートは独身なのか。顔も綺麗だし、王宮騎士という身分もあり、女性の扱いも手慣れている。引く手数多だろうに、意外だ。

 もちろん、意外だなんて口にはしない。これは所詮、庶民の私の感覚である。王宮騎士ともなると、庶民の私たちには縁のない存在。高貴な人には高貴な人なりの、いろいろな事情があるのだろう。知るべくもない。


「……ニーナも、夫はいないよな?」

「それ、今聞くんですか?」

「ああ……勝手に一人暮らしだと思っていたが、もし夫がいたら、さすがに今頃、心配しているだろうと思って」


 もし夫がいたら、心配どころではないだろう。あんな風に問答無用で連れてきておいて、そのことは頭になかったのか。偉い人の命令を受けたとは言え……エルートは気が細やかそうに見えて、肝心なことに思いが至らない人らしい。

 考えてみれば、彼は最初からずっとそうだ。普通なら魔獣を見つけるのは難しいことも、自分が王宮騎士であることも、私が荷物のようにして運ばれる理由も、教えてはくれなかった。知っていれば私も、心の準備をしておけたのに。

 彼の説明に任せると、肝心なことを知らされないまま、どんどん押し流されてしまいそうだ。

 母の教えに従い、求めには応じるつもりだ。結果は同じだとしても、進む道は、確かめてから進みたい。痛い目に遭うのは、一度で十分だ。


「ここが湯浴み場だ。近所から湧き出た湯を引いてあるから、なかなかの入り心地だぞ」

「え! それは……」


 噂に聞く、温泉という奴ではないか。自分でもわかるほど、一気に声が上擦った。


「嬉しそうだな」

「あっ……はい。故郷にいた頃から、温泉には興味があったので」


 故郷にいた頃、井戸端会議をしていた奥様達から、湯の湧く井戸の話を聞いたことがある。特に王都周辺では、井戸を掘っていると温かな湯が噴き出ることがままあり、高貴な方々は湯を家に引いて泉のようにして湯浴みをしているとか。それを「温泉」と呼ぶと聞いて、川で水浴びか、布を湯に浸して肌を拭うかしかしたことのない私は、本当に憧れていたのだ。

 王都にほど近いカプンに住むことになって、温泉に入れることを期待したのだけれど。私の知る範囲では、森に温泉は湧いていなかった。人に「お宅の家は温泉ですか?」などと聞くわけにも行かないので、機会はないままだった。


「故郷か。生まれはどこだ?」

「コチカの町です」

「へえ。ずいぶん遠いな」


 コチカの町。その名前を口に出すのは、久しぶりだ。カプンよりずっと小さく、平和な町だった。

 私が懐かしんでいると、エルートは温泉へ続く扉から離れ、その奥の扉へ向かう。


「ここが、ニーナの部屋になる」


 アテリアの言動から、そんな気がしていた。私は頷き、エルートから鍵を受け取る。


「案内ありがとうございます。お忙しいでしょうに、すみません」

「遠慮はいらないよ」

「わかりました。ありがとうございます。……では」

「ああ。おやすみ」


 おやすみ、なんて挨拶、久しぶりに交わしたかもしれない。


 実家では毎日交わしていた挨拶だけれど、ひとりで暮らし始めてからは、就寝前に会う人なんていなかった。

 私は軽く頭を下げ、扉の鍵を開ける。エルートは足音をほとんど立てずに去っていった。花の匂いが遠のいて行く。


 扉を開けると、中は青白い光で満たされていた。壁際の小窓から、カーテン越しに月の光が差し込んできている。そして、部屋に染み付いている、野苺に似た匂い。食堂で会った、アテリアの匂いだ。

 そう言えば、同室って言ってたな。

 小さな部屋は、左右に同じ家具が置かれている。ベッドに、小さな机。クローゼット。それで終わりの、狭い二人部屋だ。

 片側はベッドのシーツが少し乱れ、机の上には畳まれたタオルがどんと載っている。生活感を感じる上に、野苺の匂いが濃いから、あちら側がアテリアのスペースなのだろう。

 ということは、今日私が寝るのは、こっち。


 埃っぽいベッドを見ると、清潔そうなシーツとタオルが、畳まれて置いてある。タオルを取ると、その下から柔らかなローブが出てきた。これが、用意されている寝巻きらしい。


「わあ、すごい」


 手に取ると、ローブの生地は軽く、ふわふわでさらさら。私が今まで着たこともないような、上質なもののように思える。

 部屋も用意され、こんな素敵なローブまで。自分の持ち物を持って来なかった私にはありがたいと感謝すると同時に、一抹の不安が頭をもたげる。


 私はいつ帰れるのだろうか。カプンの森の魔獣を討伐し終えたら、あの店に戻れるつもりでいるのだけれど……。よく確認しなかったせいで、今ひとつわかっていない。

 何はともあれ、まずは温泉だ。せっかくの機会だから、体験しておかないと。もしかしたら、生涯で二度とない経験かもしれない。

 タオルと寝巻きを取り、部屋を出て鍵をかけた。私の部屋から温泉までは、歩いてすぐ。このくらいの距離なら、湯上がりにローブで歩いても問題なさそうだ。

 温泉へ続く扉は、他の部屋とは、色が違う。それを頼りに向かったところ、扉が二つ並んでいた。


 ……どっちだろう?

 その扉の前に立ち、暫く考え込む。開けてはいけない扉を開けてしまったら、何かと面倒が起きそうだ。

 ふわりと花の匂いがした。私が凝視していた扉の、片側が奥に向かって開く。


「おおっ。……なんだ、ニーナか」


 驚いた声を上げたのは、エルートであった。首からタオルを掛け、金の髪は濡れたように額に張り付いている。湯上がりらしく、彼からは水っぽい香りがする。そして、軽装だ。いつもの黒い騎士団服ではなく、腕やふくらはぎが露わになっている。

 二の腕が太いな。いやいや。見惚れている場合じゃない。私は彼の鍛えられた二の腕から、そっと視線を離した。


「どうした?」

「扉が二つあるので、どうしたものかと思いまして」


 出てきたのが彼で良かった。事情のわかっているエルートになら、聞きやすい。


「言わなかったか? 風呂場は男女別なんだよ。女は、こっちから入る」


 エルートが示したのは、今し方彼が出てきたのとは反対の扉。言われてみれば納得だ。湯浴みのときには服を脱ぐし、男女同じのはずがない。


「聞いていませんよ」

「いや、ここが湯浴み場だと……男女別とは言っていないな。悪い」


 私は耳を疑った。さすがにこれは、悪い、で済ませて良いことではない。

 もし何も疑わずに入っていたら、男性と湯浴み中に鉢合わせていたかもしれない。扉が二つあることに気づき、躊躇って良かったと自分を褒める。エルートが立ち去ってから、私は女性用の扉を開けた。


「……わあ!」


 入ったところが脱衣場だと見当をつけ、服を脱ぐ。狭い脱衣場の奥に扉があり、それを開くと、もくもくとした湯気が出てくる。湯気が収まり、中を見て私は歓声を上げた。広い湯船。ベッドが2つ分はありそうだ。

 湯船の近くに桶があったので、それで湯をすくって頭にかける。こんなに潤沢に湯を使ったことなど、生まれて初めてだ。凍えるような水浴びとは、訳が違う。湯を頭や体にかけるたび、体が温かくほぐれていく。そして全身を湯に浸けたときの、心地良さと言ったら。


「……はあー……」


 お腹の底の方から、長く息を吐く。四肢を投げ出し、湯船の縁に背をもたれる。手足から湯の中に、今日の疲れが全て溶け出していくようだ。湯気から漂う独特の、何か甘いような香りも悪くない。目を閉じると、ちゃぷ、と湯が波立つ音。それもまた、風情がある。

 暫くそうしていると、だんだんと額に汗をかいてきた。じんわりと体中が温まり、暑いほどだ。湯から出ると、体からもほかほかと湯気が立っている。

 脱衣場へ戻ると、空気がひやっとして感じられる。熱を持った肌から、温度が抜けていく感覚も良い。

 最高じゃないか。温泉。

 これを味わえただけで来た甲斐があったと、ほくほくした気持ちで部屋に戻った。


「ああ、おかえり、ニーナ」

「アテリアさん。お疲れ様です」


 部屋に入ろうとすると、出ようとするアテリアと鉢合わせた。手にはローブやタオルを持っていて、これから湯浴みに向かうのだとわかる。

 彼女とすれ違い、部屋に入る。私物が何もなくて、することも何もない。そのままベッドに横たわり、私は目を閉じた。

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