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小さな望み

 翌日、分駐地を出発した一団は、東へ東へと進む。

 奇岩の連なる一帯を越えると、風景は荒地に変わった。丈の低い灌木は生い茂っているものの、花や木々はない。遥か遠くに長く連なる山脈が臨める他は、寒々しい景色が続いている。

 それでも先に進めば、時折茅葺き屋根の家や水車小屋が遠くに見え、小さな家々が点在しているのが分かる。寒村と言ってさしつかえない、小さな集落だ。

 こうしたどこか物悲しい風景さえ、ユニスの心を淡く感動させた。――どのような場所にあっても、人の営みは存在するのだ。

 そうして新しい景色に出会うたびに、王女として生まれながら、自分はこの国の事を何も知らないのだ、とユニスは思った。

 


 旅の間ユニスを密かに喜ばせていたのは、食事どきであった。ここでは皆、身分の隔てなく一緒に食事をとる。ユニスであってもそれは同じで、皆に混じって食事を供された。

 ユニスにとって、これは心浮き立つことだった。

 誰かと共に食事をするなど、いつ以来だろう。ユニスには久しく記憶にない。

 父からは疎んじられ、母はユニスが生後間もない頃に亡くなっている。オルガにはそもそも王族と食事を共にする、という発想自体がなかった。

 唯一あるのは、幼い頃にアレスとともに食事をした記憶のみである。アレス自身多忙な身ではあったが、それでも週に何度かはユニスの為に時間を作ってくれたのだ。

 歳の離れた兄との食事の時間は、ユニスにとっては特別だった。

 兄に会える時間を心待ちにし、会えれば興奮気味にその日あった出来事を話して聞かせた。幼い妹の話など面白くもなかっただろうが、アレスはいつも笑顔でユニスの話を聞いてくれたのだ。

 根本的にアレスの言うことに逆らえないのは、あの幼い日の記憶のせいかもしれないとユニスは思う。

 ユニスにとってそれが数少ない家族との思い出だから。だから、信じたいのだ。自分は兄から大切にされているのだと。



 この日の昼食は、ニシンの塩漬けと、豚肉の燻製、そしてライ麦パンだった。


「殿下のお口に合うといいのですが」


 ユニスの分の食事を渡しながら、ライラは少し不安げな顔になる。手渡されたパンを一口食べて、ユニスは微笑んだ。


「美味しいわ」


 その言葉に、ライラがホッとした表情になった。こういう時、ユニスは己に流れる血が人に与える影響を、自覚せざるを得ない。

 ユニス自身はなんの力も持たないにもかかわらず、こうして周りが気を遣ってくれるのは、自分が王女だからだ。

 草の上に座りながら、兵士のひとりが口を開いた。


「夕方には、次の街まで行けそうですね」

「ああ。分駐所がないから、今夜は宿になるな」


 ルディウスが答えると、兵士の顔が喜々として輝いた。年の頃は20歳くらいの、年若い青年である。


「閣下。でしたらユニス殿下もいらっしゃることですし、今夜は上宿に泊まりましょう」

「それはお前が泊まりたいだけだろうが。殿下を口実にするなよ」

「いいじゃないですか。次の街を越えれば、上宿なんてもうありませんよ」


 ルディウス相手にも気兼ねなく話す若い兵士にユニスはびっくりしたが、どうやら彼らの間ではこれが普通らしい。

 こうして仲間達と一緒にいる時のルディウスは、随分と寛いでいるように見える。気心の知れた相手だからか、口調にも親しみがこもっていた。

 ルディウスの違う一面を見られることが新鮮な一方、少し羨ましいとも思う。ユニスに接する時とは、雰囲気が違うように感じたからだ。

 ユニスは食事を口に運びながら、彼らの会話に耳を傾ける。


「閣下だって上宿に泊まりたいでしょう。柔らかいベッドで眠りたいでしょう。うまい飯にもありつけますよ」

「俺のことはいい。どんな場所でも眠れるからな」


 その時ふと浮かんだ疑問が、ユニスの口をついて出た。


「俺?」

  

 ルディウスの一人称は「私」ではなかったか。ユニスが不思議そうに首を傾げると、ルディウスは少し困った顔になった。

 ユニスの疑問に答えるように横から口を挟んだのは、ルディウスの副官のシメオンだった。年の頃はルディウスとさして変わらないであろう、金髪碧眼の優男だ。


「殿下の前では、猫を被っているんですよ。普段はそんなに上品な言葉遣いではありません」


 悪しざまに言われて、ルディウスの眉間に皺が寄る。


「礼を失しないようにしているだけだ」


 その言葉を聞きながら、ユニスの胸には何とも説明のつかない感情が湧き上がった。


 ――なんだ、そうだったの。


 ユニスの前では、ルディウスは気を遣っていたのだ。ルディウスのこれまでの態度は、王族に対しての距離感を保ったものだったのか。

 その時胸に広がった感情は、自分でも上手く言葉にすることのできないものだった。どこか悲しみに似た気持ちに、ユニスは戸惑う。

 

 ――ルディウス将軍は、礼を尽くしてくれているのに。


 だからこんな気持ちになるのはおかしい。

 ルディウスは何一つ間違った事をしていないのだから。

 なぜこんな気持ちになるのだろうと考えて、きっと自分はルディウスの優しさに甘えてしまっていたのだ、とユニスは結論づけた。


『――殿下が心穏やかに過ごせるよう、力を尽くすと約束しよう』


 あの言葉は、それがルディウスにとってアレスから与えられた任務だからだ。そう分かっていたにもかかわらず、無意識にルディウスに親しみを覚えてしまっていたのかもしれない。

 あんな風に優しい言葉を、他者からもらった事がなかったから。

 もっと分をわきまえなければいけなかったのだ、とユニスは思う。

 ルディウスにとってユニスはあくまでも保護すべき対象で、それ以上の思いはきっとない。これ以上のものを望むべきではないのだ。

 だからこんな気持ちになるのはおかしいのだと、ユニスは自分に言い聞かせたのだった。

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