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翼竜

 大きな翼に長い尾、鋭い爪を持つこの生き物は、翼尾竜よくびりゅうと呼ばれる。

 光に反射して鈍色に輝く体表は、びっしりと細かい鱗に覆われていた。翼開長は成人男性の5倍はあろうかという巨大な生き物である。


「翼竜か」


 ルディウスの呟きを聞きながら、ユニスは空高く飛翔する美しい生き物に息を飲んだ。

 兵士の一人が弓に矢をつがえようとしたのを、ルディウスが制止する。


「よせ」

「……ですが」

「あれは繁殖期でもない限りは、大人しい種だ。こちらが攻撃しなければ、襲ってくることはない」

「……はぁ」


 困惑した顔で、兵士がルディウスの方を見ている。竜に大人しい、大人しくないがあるのだろうか、という疑問がその顔に浮かんでいた。

 兵士を安心させるように、ルディウスは続ける。

 

「翼竜の主食は魚や虫だ。人間は食わない」


 その言葉に、ようやく兵士が弓を下ろした。


「殿下も怖がる必要は――」

 

 ないと続けようとして、ルディウスは言葉を止めた。ユニスの頬が紅潮しているのに気づいたからだ。


「竜は初めてですか?」


 こくこくとユニスは興奮気味に頷いた。知識として知ってはいたものの、実際に目にするのはこれが初めてである。人の多い王都には竜は滅多に現れない上、城で暮らしていたユニスに竜を目にする機会などなかったのだ。


「恐くはないのですか?」


 聞かれて、少し考える。


「……いいえ。恐いとは思いません」


 畏怖のようなものは感じるが、それは竜を忌避する恐れとは違っていた。


「軍服の男達は怖がるのに、竜を恐れないとは変わった方だ」


 ユニスの反応が可笑しかったのか、ルディウスの声が笑っている。


「竜に詳しいのですね」


 ユニスが後ろを振り返って問いかけると、ルディウスが頷いた。


「小さな頃、山奥に住んでいましたので。その頃はよく竜を見ました。霊獣も見たことがありますよ」

「霊獣も?」

「ええ。私の暮らしていた場所では、池の主になっていましたが」


 霊獣とは、この世界に住む巨大生物の総称である。

 個体によって姿形は様々で、その生態には謎が多い。

 共通しているのは、静かな場所を好むこと。自然の深い森や山奥に住み着き、人間からすれば悠久に近い時を生きること。

 その特異な姿から、物語では神々の遣いとしてよく出てくる。子供達はおとぎ話を通して、霊獣に親しみを覚えるのだ。 

 その霊獣を彼は見たことがあるという。書物でしか知らない世界をルディウスは知っているのだ、とユニスは密かに感嘆した。



 ハイラントまでの道程には、いくつかの分駐地が存在する。軍の施設のひとつで、街道の治安維持や行軍の補給活動が主な役割である。最初の夜は、王都から最も近いこの施設で休むことになった。


「殿下の身の回りのお世話をさせていただきます。ライラとお呼び下さい」


 夕方、ユニスの寝室を訪ねてきたのは、一人の女性軍人だった。旅の道中ユニスに不自由がないようにと、ルディウスが抜擢したのだという。

 かなり大柄で、背の高さは男と並んで遜色ない。黒い髪を短く切りそろえ、顔つきも男性的なので、喋らなければ性別を間違えてしまいそうな容貌をしていた。


「女官の仕事などしたことがないので粗相があるかもしれませんが、精一杯務めます」

「ありがとう。でも着替えや身の周りの支度は、少しくらいなら自分でもできるから。あまり貴女の手を煩わせないようにするわ」


 そう伝えると、ライラは小首を傾げた。


「王族の方は、一切そう言った事はされないのだと思っていました」


 率直に疑問を口にしたライラに、ユニスは苦笑した。


「10歳までは、実際したことがなかったの。でもこの7年は自分でもできないと、何かと不便だったから。乳母が一人ついてくれたけど、彼女に全てやってもらうわけにはいかないし」


 ふと、ライラの方を見て、ユニスはたった今口にした言葉を後悔した。ライラは何と言えばいいのか分からない、という顔をしていたからだ。


 ――失敗してしまった。


 この言い方では、ライラを困らせてしまう。ユニスは慌てて話題を変えた。


「ライラは軍人になって長いの?」


 取ってつけたような質問だったが、ライラは真面目に答えてくれる。


「はい。15の頃に入って、もう13年になります」


 ではライラは28歳なのだ、とユニスは思った。

 

「ルディウス将軍のことは、よく知っている?」

「どうでしょうか。軍内では兵達と親しく話をしてくださいますが、個人的な事はあまり知りません。私からお伝えできるような事があるかどうか」

「……どのような方?」


 ユニスが尋ねると、ライラはここは上司の株を上げねばならない、と思ったようだった。


「味方であれば、あれ程頼もしい方はいません。実力であの地位まで登りつめた方ですが、驕ったところがなく、私達のような一兵卒の気持ちまでよく汲んでくださいます」


 大真面目な顔で、ルディウスを褒めちぎる。


「ですから閣下は、軍内では大変人気があります」

「……女性にも?」

 

 気になって尋ねれば、ライラは笑顔になった。


「殿下はどう思われるのです?」

「きっと、凄く人気があるのじゃないかしら……」


 あれだけの人物だ。憧れる女性もきっと多い事だろう。


「軍はほとんど男しかいないですが。一般的にということであれば、あの若さで、あの地位で、あの容姿ですからね」


 ライラは下手な否定はしなかった。

 暗褐色の髪に琥珀色の瞳を持つルディウスは、凛々しい顔立ちの美丈夫である。加えて将軍職を賜っているとなれば、周囲の女性は放っておいてはくれないだろう。


「若い?」


 20代ではないかと思ったが、そういえば正確なルディウスの歳を知らない。


「閣下は25歳です」


 東方軍の将軍としては、史上最も若いという。


「ですが、女性達の中には、閣下を恐いと言う者もおりますよ」

「なぜ?」


 あんなに優しい人なのに。ユニスが不思議に思っていると、ライラは言っていいのか迷う表情になる。しばらく考えこんだ後で、ライラは言葉を選ぶように口を開いた。


「閣下には、苛烈な面がおありです。綺麗事だけでは、戦には勝てませんから。本能でそれを恐ろしいと思う者もいるのです」


 その言葉の意味するところが何なのか。この日、最後までユニスには分からなかった。

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