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旅立ち

 出発までの準備は、慌ただしいものとなった。

 準備時間が短かったのに加えて、ユニスのハイラント行きを前に、ひと悶着あったからだ。オルガが自分もついて行くと言い出したのだ。


「何を言っているの。オルガの家族は王都にいるでしょう」


 困惑を深めてユニスが言えば、オルガは張りつめた顔をしている。皺の多い痩せた手を、強く握り締めていた。


「子供達は皆とうに成人し、家族は私の責務を理解しております。東方の辺境地へ姫様一人行かせるなど、到底承服できませぬ」

「先月孫が産まれたって、あんなに喜んでいたじゃない。連れていくわけにはいかないわ」


 王都とハイラントは、容易に行き来できる距離ではない。或いは、ハイラントに骨を埋めることになるかもしれないのだ。

 

「私の為だというなら、笑って送り出して欲しいの。これ以上、オルガの人生を犠牲にしないで」


 ユニスの生活を支えるため、オルガは家族とは離れて生活をしている。普段はユニスの居室近くで寝起きをし、年に数回、僅かな時間だけを家族と過ごすという生活をもう7年も続けていた。この7年、オルガが自宅で夜を明かしたことは一度としてない。オルガはユニスのために、既に多くの犠牲を払ってきたのだ。

 これ以上のことは望んでいない。はっきりそう伝えると、オルガは顔を歪ませた。

 

「ですが……」

「大丈夫よ、ルディウス将軍も尽力すると言ってくださったんだもの」


 精一杯明るい口調で言って、ユニスは笑顔を作った。


「あなたはもう、私に十分仕えてくれた。この上オルガの人生を奪ってしまっては、私はずっと罪の意識に苛まれてしまう」


 我ながらずるい言い方だと、ユニスは思う。こう言えば、オルガは引き下がらざるを得ないと、分かっていて口にしているのだから。

 オルガはじっと考え込むようにしていたが、やがてポツリと呟いた。

 

「……姫様が、それを望まれるのなら」


 オルガを見ながら惜別の悲しみがゆっくりと胸を満たしたが、それを表に出してはならないと、ユニスは必死にその感情を押し殺した。



 そして、夜明け前。まだ周囲の闇が深い中、城外でユニス達は最後の時間を過ごしていた。

 ハイラントへ向かうのは、ユニスを入れて11名。ユニス以外は、全員がアレス麾下きかの軍人である。

 ユニスは動きやすいようにとルディウスから渡された上衣とズボンを身に着けている。その上から土色のフードつきマントで全身をすっぽりと被っていた。道中あまり顔を晒さぬ方が良いと、ルディウスが判断したからだ。


 ルディウス達が三日で走破したハイラントまでの行程は、通常では10日程かかる。

 馬に食料や水、荷を運ばせると、それ程の速度は出せない。ましてや旅慣れていない王女を伴うとなれば、尚更である。

 ユニスは乗馬ができないため、ルディウスの馬に同乗することになった。

 ルディウスの愛馬は、黒鹿毛の見事な毛並みを持つ国産馬だった。他の馬より一回り大きく、耐久力にも速力にも優れているという。


「ファスといいます」


 ルディウスがそう言えば、呼応するようにファスが一ついなないた。まるで会話しているかのようなタイミングに、ユニスは目を丸くする。

 

「……人の言葉が、分かっているみたい」


 ユニスが独り言のように呟けば、ルディウスが頷く。


「馬は賢い生き物です。愛情を注いでやれば、意思疎通はできるようになります」


 自分の名を呼ばれれば分かる、という言葉に、ユニスはファスの方を見ながら微笑んだ。


「よろしくお願いね、ファス」 


 そう声をかけると、「任せろ」というようにファスは鼻を鳴らしたのだった。

 荷を積み終われば、いよいよ出発の時が近づいてくる。

 見送りには、アレスも姿を見せていた。


「ハイラントは美しい土地だ。お前もきっと気に入る」


 ユニスより深い緑の瞳が、柔らかく細まった。


「どうか元気で」

「はい。お兄様も」

「この地からお前達の幸せを願っている」

 

 そう言って、そっとユニスの頬に触れる。


「お前には苦労をかける。……父上の国葬にも参列させず、すまない」


 アレスは静かに謝罪を口にした。


「……いいえ」


 ユニスはゆるゆると首を振った。たとえ参列を許されたとしても、どんな顔で臨めばいいのか、きっと分からなかっただろう。

 父キーランに対する感情は複雑で、純粋にその死を悼んでいるだけとはとても言い切れない。だから己はその場にいない方がいいのだと、ユニスは思った。

 アレスは次にルディウスの方へ顔を向けると、声をかけた。


「ユニスをよろしく頼む」

「はい」


 交わした言葉はたったそれだけだったが、2人には十分なようだった。

 

 これより一行は、東方の地を目指す。

 目的地となるハイラントは、王国東方に位置する直轄領である。

 2ヵ国と国境を接する高地にあり、大きな河川の分岐点にもなっている。この地理的特徴により、ハイラントは東西交易の要地として発展した。北側一帯に広がる森は、神獣が棲むという国教の聖地。故にハイラントは、国境防衛においても信仰においても、国の重要地点となっていた。

 文化的で商業の中心地として栄えたこの土地を手に入れようと、昔から隣国との小競り合いが絶えない。これに対処するために、東方軍と呼ばれる一万の兵が、ハイラントには配置されているのだ。


 ルディウスはユニスを馬の前方に座らせると、自身は後ろで手綱を握った。

 城を出発した一行は、薄暗い王都の街を進む。街はいまだ眠りの中にあり、ひっそりと静まりかえっていた。

 ユニスは目に焼き付けるように、じっと王都の家々を眺めていた。生涯をハイラントで過ごすことになれば、この街並みを見るのは最後かもしれない。せめて記憶の中に留めておきたいと、ユニスは思った。

 マントを目深に被った騎馬の一団が、早暁の王都を駆けていく。

 ユニスが口を開いたのは、夜が明け、朝日が周囲を明るく照らしだした頃。馬が王都を完全に出た後だった。


「……私は貴方に謝らなければいけません」


 そう切り出したユニスに、ややあって後ろから返答があった。


「……何の話でしょうか」


 後ろにいるルディウスの表情は分からない。もしかしたら、戸惑っているのかもしれない。


「私のせいで、貴方の人生を犠牲にすることです。貴方の立場では断れないと分かっているのに。本当に申し訳ありません」


 オルガには「人生を犠牲にするな」と言ったのに。その真逆の事を、己はルディウスに強いるのだ。

 ルディウスはユニスという荷物を生涯背負うことになってしまった。後ろめたく、どうしようもなくルディウスに悪いと思うのに、同時に彼の助けなしでは生きられないという現実も分かっていた。

 誰かに守ってもらわねば、今の自分は生きられない。

 何もできないことがふがいなく、心苦しかった。


「殿下は、嫌ではないのですか?」

「え?」

 

 逆に聞き返されて、ユニスは困惑した。


「私は戦しか知らぬ男です。本来であれば、殿下のように高貴な生まれの方を迎えられるような身ではない」


 ユニスは首を横に振る。


「考えた事もありません。ただ貴方に申し訳ないと――」

「私も同じです」


 と、ルディウスはユニスに言った。


「貴女は若く、ご身分を考えれば一国の王族の元へ嫁がれても不思議ではない。いや、むしろそちらが自然でしょう。それが一介の軍人の元に嫁ぐ事になり、申し訳ないと思います」


 ルディウスは無理やり押し付けられただけだ、とユニスは思った。

 

「私達はよく似た考えをしているのかもしれません。相手に対して申し訳ないと」


 ですからお互いにそう思うのはやめましょう、とルディウスは続けた。穏やかな口調のルディウスに、彼は大人だとユニスは思う。ユニスが気に病まないよう、あえてそう言ってくれたのだ。

 ルディウスの言葉にそれ以上何も言えず、ユニスは黙り込んだ。



 未明に王都を出発した一行は、昼過ぎに大小様々な奇岩が連なる渓谷に辿りついた。

 白い花崗岩でできた岩壁が左右にそそり立つ一本道が、眼前に続いている。

 異変が起きたのは、渓谷内の道がひときわ狭まった時だった。ファスの様子がおかしいことに、ルディウスが気づいたのである。

 何かを警戒するように耳を揺らすファスを見て、ルディウスは手綱を引いた。隊列を止め、耳を澄ます。

 ルディウスはやがて何かに気づいたように天を仰いだ。


「上だ」


 その声につられるように頭上を見上げて、ユニスは目を瞠った。

 目線の先には、飛翔する5つの影。鳥よりもはるかに大きく、灰色の鱗に全身が覆われている。

 翼を大きく広げた竜が5匹、ユニス達の上空を旋回していたのである。

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