アレスの懸念
「一体、どういうおつもりです」
目の前に座る王に、ルディウスは口を開いた。
国王の執務室。アレスは机に頬杖をつきながら、直立しているルディウスへ視線を向ける。
「どう、というと?」
とぼけるアレスに、ルディウスの眉間の皺が深くなった。
「ユニス殿下の降嫁の件です」
「もう耳に入ったか。早いな」
面白そうに言ったアレスに、ルディウスは溜息をついた。
「――その相手が私だと耳にしたのですが」
その問いに、あっさりとアレスは首肯した。
「聞き間違いではないな。ユニスの相手はお前だよ」
早朝公表されたユニスの臣籍降嫁。降嫁先として発表された名は、ルディウス・ランバルトその人であった。
当事者であるルディウスがそのことを知ったのは、つい半刻程前のことだ。朝の鍛錬中、部下から身に覚えのない結婚の祝福を受けたのである。
聞けばルディウスにユニスを降嫁することが、発表されたばかりだという。降って湧いたような話に、ルディウスは耳を疑った。
早々に鍛錬を切り上げ執務室に足を運んだルディウスを、アレスは悠然と出迎えた。
「まぁ、話を聞け」
と、アレスは一転して真剣な顔つきになった。
「先の戦の武勲に報いて、お前に王女を嫁す――というのが表向きの筋書きだ」
口調が変わったアレスに、ルディウスも表情を引き締める。
「――本当の目的は別にある、ということですか」
「ああ。ラザロスが簡単には手を出せない場所に、ユニスを避難させたい。ハイラントの土地へユニスとともに行け」
その命令に、ルディウスの眼光が鋭さを増す。
ラザロスとは、アレスとユニスの従兄弟にあたる人物である。年齢はアレスより4つ下の28歳で、国政における発言権は強い。
彼はまた王位継承争いにおけるアレス最大のライバルでもあった。
「ラザロス殿下が、ユニス殿下を狙ってくるとお考えなのですか」
この上ラザロスが何かを仕掛けてくるとは、ルディウスには思えない。
既にアレスの即位は成った。軍を掌握し、元老院の正式な承認も得ている。ラザロスが異を唱えたところで、覆せるはずもない。
今更玉座への野心など見せようものなら、逆賊として処罰されるだけだ。死の危険を冒してまで、わざわざそのようなことをするだろうか。
ルディウスの内心の疑問に答えるように、アレスが説明を補足した。
「ラザロスを直接知らなければ、理解しがたいだろうがな。打算や損得勘定で動く男ならいっそ分かりやすいが、残念ながらあの男の行動は理性よりも感情に支配されているのさ。ラザロスは欲しいものを我慢できる男ではない」
ラザロスは玉座を諦めはしない、とアレスは断言した。
「おまけにラザロスはユニスに惚れているからな。王位もユニスも、どんな手を使ってでも手に入れようとするだろう」
その言葉に、ルディウスは怪訝そうな顔になった。
「……ユニス殿下はこの7年、一度も人前に姿を見せていなかったと聞きましたが」
一体いつラザロスはユニスに恋着したというのだろう。
「7年間ユニスは一度も居室の外には出ていない。つまりそれより前から、ラザロスは執着しているということだ」
口にするのも不愉快なのか、アレスの表情は苦々しい。
7年前といえば、ユニスは10歳。2人の年齢差を考えれば、文字通り大人と子供の差である。アレスの言葉が事実ならば、ユニスが年端もいかぬ頃から執心しているということになる。
「ユニスをハイラントに連れて行き、ラザロスから守れ」
「でしたら結婚の必要はないでしょう。ハイラントは我らの土地。そのような形を取らずとも、ユニス殿下をお守りできます」
そう言えば、アレスは意味ありげな顔をした。
「ユニスを渡すわけにはいかないが、一方でラザロスには動いてもらわねば困る」
その言葉の意味するところを考えて、ルディウスは確認するように口を開いた。
「……あえてラザロス殿下が動くように仕向ける、ということですか」
「そうだ。ハイラントは我ら東方軍の庭も同じ。ユニスを本気で攫いに来るのなら、ラザロスは兵を動かさざるを得ない。そしてラザロスが挙兵の為に何らかの動きをすれば、あいつを排除する正当な理由ができる」
つまりユニスはラザロスを罠にかける為の餌なのだ。ラザロスを破滅に追いやる手札としてアレスはユニスを使おうとしている。
「ラザロスに揺さぶりをかけるには、欲しいものを目の前で取り上げるのが最も効果的だからな」
「それで逆上するような性格ならば、追いつめられれば何をするか分からないのでは? 煽り過ぎれば、どんな臆病者でも決死の覚悟で向かって来るでしょう」
「お前の言う通りだ。だから、婚約期間を一年設けることにした。人のものになった途端、ユニスに興味をなくされても困るからな。正式に婚姻が成立する前に、ユニスを手に入れようとラザロスが考えるように」
そのようにラザロスを誘導する、というわけか。そこまでの話を聞いて、ルディウスはアレスの本心を測りかねた。
ユニスを守れと口にしながら、同時にラザロスを嵌める駒としてユニスを使おうとしている。ユニスに対して妹としての情を持っているのか、それとも利用価値がなければ捨て置く程度の関心しかないのか。
ルディウスの内心の疑問を知ってか知らずが、アレスは淡々と説明を重ねる。
「それに、ユニスを傀儡にこの国を操ろうと画策する者達の野心の芽も摘まねばならぬ」
通常臣籍降嫁により、女性王族の王位継承権は消滅する。ルディウスと結婚すれば、ユニスが女王として登極することはできなくなるのだ。
「ユニスの母親が誰かは知っているな?」
「リディア妃ですね。サンダス公爵家出身だと記憶していますが」
ルディウスの答えにアレスが頷く。
ユニスの母リディアは先王の後添えで、生家のサンダス家は国内有数の大貴族である。遡れば王家の血も混じるという名門中の名門。
「サンダス家にここのところ表立った動きはないが、父上が亡くなった今、じっとしていてはくれないだろう。ユニスの後見と称して、口を出してくると厄介だ」
アレスの言葉に諒解したように、ルディウスは頷いた。
仮にアレスとラザロスの政争により、両者共倒れなどということになれば、漁夫の利を得るのは誰か。
その筆頭こそ、サンダス家だろう。ユニスの血縁という立場を利用して、実権を握るのはそう難しくはないはずだ。
アレスはこの婚姻により、ラザロスとサンダス家両方の動きを封じようとしているのだ。
「即位したとはいえ、まだまだ心休まるとはいかんな」
本来であれば正当な後継者であるはずのアレスが、ここまで戴冠を急がねばならなかったのには理由がある。アレスの立場はかなり微妙なものだったのだ。
その最も大きな原因は、父親との確執であろう。先王キーランとアレスの不仲は国の中枢にいる者なら誰でも知っていたし、それが理由でアレスは8年に渡り王都から離れ、辺境の直轄領ハイラントに追いやられていたのだ。
またこの時代、いまだ王位継承法が確立されていなかったことも、アレスの立場を危うくする一因となっていた。
継承法が、ほとんど明文化されていないのだ。
――王位継承者は、開祖アステア女王の血統に限る。
明文化されたものは、唯一これだけである。言いかえれば、この条件さえ満たせば誰にでも王位につく可能性があるということだ。
無論、不文律は存在する。
通常直系の男子がいる場合は、年長の者から王位継承順位がつく。男子がいない場合、女子にも継承権があるものの、あくまで次代までの繫ぎという側面が強い。
他にも王位につくためには、玉璽、宝剣、王笏が保管された宝物庫を手中におさめ、元老院の支持と承認を得ることが必要になる。戴冠式の挙行もその一つである。このような既成事実をより早く、より多く築き上げた者が次代の王となるのだ。
故に、代替わりの度に、この国では熾烈な王位継承争いが繰り広げられてきた。歴史上、弟が兄を出し抜き王位についた例はいくつも存在する。
そういった先例が、ラザロスの野心を育てる土壌になったともいえるだろう。先に宝物庫を占拠し、元老院の採択を得ていたのがラザロスであったら――。今ごろルディウス達の命はなかったかもしれない。
「……運が良かったというべきだろうな」
噛みしめるように呟いたアレスに、ルディウスも静かに同意を示した。
「天の配剤、というものでしょう」
もしもキーランが倒れたのが王城内であったら。或いはラザロスが出兵のため王都を離れていなかったとしたら――アレスの即位は、より難しいものになっていただろう。
遠征先でキーランが病に倒れた時、その情報をアレスが掌握できた事が勝敗を分けた。キーラン逝去の報をいち早く得たアレスは、ラザロスにその情報が届かぬよう手を回したのである。
それが可能だったのは、アレス麾下の間諜がキーランの周りに周到に配置されていたからであるし、ルディウス達が水面下で常に王都とラザロスの動向に注視していたからでもあった。
それでも王の死を永遠にラザロスから隠しておくことはできない。ラザロスが兵を引き連れ王都に戻る前に、何としてもアレスを王位につけなければならなかった。
ルディウス達に与えられた猶予は、僅かしかない。
もし継承争いに負ければ、アレスはもとより彼に従う者達に待ちうける運命は死だけだ。国王崩御の知らせをハイラントで受けたルディウス達は、三日三晩、寝ずの強行軍で王都へ急行したのである。
先んじて王都にたどり着いたのは、わずか五十騎のみ。そのまま休む間もなくアレス軍は宝物庫を支配下におき、ユニスの居室にラザロス配下の者が近づかぬよう守りを固め、元老院を説得した。戴冠式はその翌日である。
ラザロスが王城へ戻って来る前に全てを終わらせるという、電光石火の戴冠劇であった。
「まぁ、降嫁の表向きの理由も嘘ではない。お前の武勲に報いたいというのも本心だし、ユニスの見目は良いだろう?」
アレスは楽しげに言う。
戦の勲功として軍人に与えられるものは、名誉、富、そして美女と相場は決まっている。それに照らして考えれば、王室の女性を娶るルディウスは、大した果報者ということになるのだろう。
だがこのアレスの言葉も額面通りに受け取って良いのかどうか、判断がつきかねた。
確かに客観的に見れば、ユニスは美しい少女である。
氷河から切り出したようなアイスグリーンの瞳と、白金の髪。肌も髪も瞳も色素の薄いユニスは、冬の長いこの国の象徴のような容貌をしていた。
確かに美しい。だがその美しさにルディウスが価値を感じているかというと、それはまた別問題であった。
「……ユニス殿下は、この降嫁の真の目的をご存知なのですか?」
話を逸らすように話題を変えれば、アレスは大仰に肩をすくめた。
「お前にさえ今日初めて言ったんだ。まだに決まっているだろう」
と、アレスは悪びれる様子もない。
「婚約者のご機嫌伺いをするのも、男の務めではないかな」
つまりはルディウスに丸投げということである。
「――妹を頼む、ルディウス」
思いがけず真摯な声に顔を向ければ、アレスは真面目な顔でルディウスを見つめている。ルディウスは姿勢を正した。
「――必ずや、お守り致します」
うやうやしく頭を下げて、ルディウスは退出した。