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居室にて

 急いで来たのだろう。アレスの髪は乱れ、服は土埃で汚れている。


「……お兄様、いつお戻りに?」


 驚いてそう尋ねたユニスに、アレスは続く言葉を遮るように手を上げた。


「悪いが、話は後だ。しばらくここの守りを固める。――ルディウス、この部屋に誰も踏み込ませるな」


 アレスは後ろを振り返ると、一人の軍人にそう命じる。見れば、先ほどユニスに話しかけた青年である。

 男はひとつ頷くと、周囲の軍人達に指示を出しはじめた。ものものしい様子に、ユニスの瞳が不安げに揺れる。――これから、何がはじまるというのだろう。

 アレスはユニスの方を再び向き直ると、短く命じた。


「――明日までここで待て。そうすれば、全ての決着がつく」


 それ以上の説明は、何もなかった。

 緊迫した声音に、ユニスは気圧けおされるように頷いた。その言葉の意味も分からぬままに。

 アレスはさっと踵を返すと、数人の軍人を伴って部屋を出て行く。

 残されたのは、8人の男達。先ほどルディウスと呼ばれた男が口を開いた。


「我々は殿下の部屋に警護のため控えさせていただきます。粗野な男達ばかりで恐ろしく感じるかもしれませんが、しばらくはご辛抱を」

「……一体、何から身を守るというのです?」


 王宮の中に侵入者でもいると言うのだろうか。よもや隣国の兵がもう王都まで攻め上がっているというわけでもあるまい。

 ユニスの問いに、ルディウスは首を振った。


「今はまだ、その質問にはお答え致しかねます」


 言葉は丁寧であったが、その口調からユニスの質問に答える気はないのだと察せられた。これ以上尋ねても、おそらく答えは得られないのだろう。

 不安な気持ちを拭えぬまま、ユニスはオルガとともに部屋の奥にある椅子に腰を下ろす。


 ルディウス達は半数が廊下に控え、残りの半数が部屋に残った。部屋に鍵をかけると、ルディウスはユニスの方へ顔を向けた。


「殿下、申し訳ありませんが家具を扉の前に移動します」


 ルディウスが本棚を指しながら言う。おそらく外からの侵入を阻むためのものだろう。

 ユニスが何か答えるより前に、隣にいたオルガが口を開いた。


「ここで、血が流れるようなことが?」


 非難するような声音で発せられた言葉であったが、ルディウスの返答は落ち着いたものだった。


「そうならぬよう、最善を尽くします」


 そう言うと、他の男達とともに書物机、本棚を運びながら防柵を築き上げていく。奥の寝室からも寝台が運び出され、ユニスはその様子を所在なさげに眺めた。

 元々、調度品が必要最低限しかないせいで、ルディウス達の作業はあっという間に終わってしまった。後はもう、兵士達は扉の前で臨戦態勢に入るばかりである。


 ユニスは改めて彼らの姿をそっと見やった。

 いずれも屈強な男達は、漆黒の軍服の上にそろいの胸甲きょうこうを身に着けている。槍や剣など各々の得物えものを手にした彼らの表情は一様に厳しく、視線は扉へと注がれていた。

 全員が長身に鍛え上げられた体躯を持ち、歴戦の勇士といった雰囲気である。使い込まれた武具とその佇まいが、彼らの実戦経験の豊富さを物語っているようだった。

 しばらく眺めて、ふと、この中ではルディウスが最も若いことに気づく。

 周りの兵達が30代から40代に見えるのに対して、彼はどう考えても20代にしか見えない。先ほどの様子からルディウスが上官なのだろうと思ったが、この若さで指揮を取るとは、余程アレスの信頼が厚いのだろうか。


 ――そういえば、こんなに沢山の人と会うのはいつぶりかしら。


 長らく話し相手はオルガと侍医じいだけだったから、こんなに多くの人間が部屋にいるのは、不思議に感じる。

 この7年のユニスの日々からは、考えられないような出来事が目の前で起こっている。それは止まったままだった時計が突如として動きだしたような、奇妙な感覚だった。


 誰も声を発しないせいか、部屋の中は異様なほど静かである。

 はじめは慣れぬ光景に緊張していたユニスであったが、それも長くは続かなかった。

 太陽が南の空高く昇っても、やがて西日が部屋に差し込んでくる頃になっても、物音一つ扉の向こうからは聞こえてこなかったからだ。

 いっそのどかと言えるほど、穏やかな一日が過ぎてゆく。

 兵士達は居室とつながった洗面所に行く他は、扉の前から決して動かず気を張り詰めていたが、ユニスに同じように気を張っていろというのは、酷というものだった。

 それでも何かが起こるかもしれないと、寝室ではなく兵士達がいる居間に留まっていたのだが、星が空に瞬く時間になるに至って、急に疲れを覚えた。

 何の説明もされぬままひたすら待たされるというのは、存外気力が必要だった。加えて朝食以降、水以外何も口にしていないのだ。


「お疲れでしょう。奥でお休みになって下さい」


 あくびを噛み殺したユニスに声をかけたのは、ルディウスだった。躊躇する素振りを見せるユニスに、ルディウスは安心させるようにわずかに微笑んだ。琥珀色の瞳が大丈夫だと言うように、ユニスを見つめる。

 笑うとルディウスの厳しい印象が、幾分やわらいだ。


「お目覚めになる頃には、この騒動も少しは落ち着いているでしょう」


 その言葉に背中を押されるように、ユニスはひとつ頷くと、オルガに付き添われ寝室へ向かう。

 大きな調度品は全て運び出されていたため、寝室はがらんとしていた。寝台にのっていた寝具は、部屋の隅に置かれている。

 オルガはそれらを床に広げると、ユニスの着替えを手伝った。寝間着になったユニスが身体を横たえると、毛布をその上からかける。


「今日はお休みください」


 小さく頷いて、ユニスは毛布の中で丸くなった。


 ――明日になれば、何かが変わるのかしら。


 そんなことを考えながら横になると、一気に眠気が襲い、ユニスはそのまま深い眠りに沈んでいった。



 翌朝。目覚めた時、最初に視界に入ったのは見慣れない天蓋てんがいだった。


 ――ここは?


 一瞬、頭が混乱した。

 明らかにいつもの寝室ではない。確かに昨夜眠りについた時は、自分の部屋にいたはずだ。

 ユニスは困惑したまま、目線だけを動かして自分の寝ている場所を確認した。天蓋の縁をめぐるアーチ状の装飾、見事な細工が施された四柱式寝台。

 ユニスが目覚めたのは、豪奢な天蓋つきベッドの上だった。

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