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芽生え

 城下町でファリオンから話を聞いたその日の夜遅く、ルディウスは城に戻って来た。

 帰城の報告を受けたユニスがホールへ向かうと、ルディウスはちょうど厩にファスを預けて戻ってきたところだった。

 ユニスの姿を見つけて、ルディウスが一瞬驚いた顔になる。


「ユニス、まだ起きていたのか」


 寝ていて良かったのに、と優しい笑みを浮かべて近づいてくるルディウスに、ユニスの顔は赤くなった。

 何だか気恥ずかしい気持ちになって、思わずユニスは俯いた。ルディウスの視線が己を捉えていると思うと、無性にいたたまれなくなる。

 つい先程まではひと目だけでも顔を見たいと、眠い目を擦りながら帰りを待ちわびていたのに。いざ本人を前にすると緊張した。


「おかえりなさい」


 ルディウスの顔を直視できぬまま、ユニスは小さく呟いた。


「ただいま」


 ルディウスは笑みを深めると、ユニスの前で足を止める。ユニスはルディウスの足元へ注がれていた視線を、おずおずと上へと移した。

 至近距離でルディウスを見て、ユニスは息が止まるような気がした。これまでどうして平静でいられたのか、分からない程だった。

 ルディウスの引き締まった端正な顔立ちは、今日は一段と凛々しさを増しているように見える。意志の強そうな琥珀色の瞳にまっすぐに見つめられると、ユニスの頬は更に紅潮した。

 漆黒の軍服に包まれた長躯は、無駄な肉が一切ついていないことが、服の上からでも分かる。すっと背筋の伸びた立ち姿も、落ち着いた低い声も、全てがユニスの胸を高鳴らせた。

 ニの句が告げないユニスの代わりに口を開いたのは、ルディウスだった。


「もう夜も遅い。部屋まで送っていこう」


 咄嗟に出かかった言葉を、ユニスは寸前で飲み込んだ。


 ――もう少しだけ、一緒にいたい。


 そんな事を言うのは、はしたないだろうか。それを聞いて、ルディウスはどう思うだろう。そう思ったら、何も言えなくなった。

 唇を引き結び、どこか悲しそうな表情になったユニスに、何かを察したのだろう。

 ルディウスは少し困った顔になった。

 

「眠そうな顔をしている」


 だからもう眠らなければ。そう続きそうな顔つきで、ルディウスはユニスの瞳を覗き込む。

 平気だと伝えようと、ユニスはぶんぶんと首を振った。必死なユニスの様子に、ルディウスは少し考える顔になる。


「俺は軽く食事をしてから寝ようと思う。……もしユニスが大丈夫なら、少しだけつきあってくれるだろうか? 話したい事もあるから」


 その言葉に、ユニスの顔に喜色が浮かぶ。

 ユニスが大きく頷くと、ルディウスは後ろに控えているテレサに声をかけた。軽食の用意を頼むと、テレサがひとつ頷いてしばしその場を離れる。

 二人で正餐室へ向かうと、ルディウスはユニスをいつもの対面ではなく、隣の席に座るよう促した。椅子を引かれて、ユニスはルディウスの隣に腰を下ろす。

 食事を待つ間、ルディウスがファリオンとの話を聞かせてくれた。

 10年前に、ラザロスがユニスとの婚姻を願い出たこと。彼がユニスに対して示した執着と、バラキア帝国と繋がっている可能性があること。


「本当はこういう話をして、怖がらせたくはなかったんだ。……だがラザロス殿下には、警戒して欲しいから」


 ルディウスが申し訳なさそうな顔になったので、ユニスは大丈夫だというように微笑んだ。


「話してくれて、ありがとう」


 ルディウスの顔を見れば、この話を聞かせたくなかったのは分かる。ユニスを不安にさせないように、ルディウスはいつだって心を配ってくれているのだから。

 それでもルディウスが話して聞かせたのは、ユニスがきちんと警戒心を持てるようにと考えたからだろう。

 確かに以前ラザロスが自分に恋着しているという話を聞いた時は、どこか信じられない気持ちが強かった。あまり話した事もない人間を好きになる事があるのだろうかと、そう思っていたからだ。

 だが今日の話を聞く限り、ラザロスにとってユニスの人格はどうでもいいことらしい。血筋と容色。それが、ラザロスがユニスに執着する理由の全てなのだ。

 それを愛と呼べるのか、ユニスには分からなかった。

 それでもラザロスから狙われているのは事実で、彼はユニスを妻にと望んでいるという。


 ――もしルディウスと引き離されたら。


 想像しただけで、胸が押しつぶされそうだった。

 不安そうな表情を浮かべたユニスを見て、ラザロスを怖がっていると思ったのだろう。

 ルディウスの手がふいに伸びて、ユニスの手の甲に重ねられた。あたたかい感触に、ユニスの心臓が大きく跳ねる。


「ラザロス殿下には、渡さない」


 そう告げた声に、迷いはない。

 強い決意を秘めた瞳を、ユニスは祈るような気持ちで見つめ返した。この手を離さないで欲しいと、そう願う。


 ――他の誰にも、渡さないで。


 言葉にできない想いが胸に溢れて、ユニスの瞳は切なげに揺れる。互いの視線が絡み合って、どこか熱を帯びたものになった。

 しばし二人は、言葉もなく見つめ合う。

 もしこの時部屋に第三者がいれば、二人の間に流れる空気が、秘めやかな甘さを孕んだものに変わったのに気づいただろう。


「ユニス」


 ルディウスの手が、ユニスの頬を包むように移動する。右手が頬に触れた時、ユニスは緊張のあまり少し震えた。

 ルディウスの瞳を見ていると吸い込まれそうだと、ユニスは思う。この瞳を前にして、どうやって平静を保てばいいのだろう。

 ユニスが流れる空気に酔いそうになった時、微妙な均衡を破ったのは、扉を叩くノック音だった。


「お食事の準備ができました」


 入ってよろしいですか? と訊ねる声に、ユニスははっとした。

 ルディウスは小さな吐息を漏らすと、ゆっくりとユニスから手を離す。そうした後で、扉へ向かって口を開いた。


「入っていい」

 

 テレサとともに、給仕の男性が入ってくる。

 ルディウスの前にはパンとスープが、夕食を既に終えているユニスには、温かいはちみつ酒がテーブルに置かれた。

 赤くなった顔を誤魔化すように、ユニスは両手でカップを持ち上げると、はちみつ酒に口をつける。

 動悸がなかなかおさまらない。

 こんなに心臓が脈を打っていることを、隣にいるルディウスに気づかれてはいないだろうか。

 ちらりとルディウスを見れば、もう先程の空気はどこかに霧散して、いつもの穏やかな顔になっている。

 その事にほっとして、今度はゆっくりとはちみつ酒を口に含んだ。生姜とスパイスのきいた優しい甘さが、口に広がる。

 その後はいつものように他愛のない会話をして、ユニスはテレサとともに居室へ戻ったのだった。



 それからは、表面上はこれまでと変わりない日常が戻ってきた。

 ラザロスの事があったとしても、ユニス自身にできることはない。ルディウスは王都へ使者を送り、これまで以上に忙しくなった様子だったが、ユニスには心配することしかできなかった。

 日中は家庭教師からこの国の人々の暮らしを学び、終わってからも机に向かう。夜は遅くまでルディウスに贈る刺繍に時間を費やしていると、あっという間に一日が終わってしまう。

 当初散々だったユニスの刺繍の腕は、ここへきて何とか形になってきていて、ようやく完成が見えてきていた。

 見た目には、これまでと同じ日々。

 それでも、僅かな変化は起こっていた。ふとした時に、考え事をする時間が増えたのだ。両親の事や自分自身の事を考えて、物思いにふける事が多くなった。

 とりわけルディウスの事を考えると、思考はあちらこちらへさまよって、ぼんやりとすることが多くなった。刺繍や本を読む手が止まってしまう事もしばしばで、気がつくとかなりの時間が経っている。

 時折テレサが心配そうにするのを、「大丈夫」と笑って誤魔化さなければならなかった。



 そんな風にして、一週間程経った頃。

 ルディウスと共に朝食をとっていると、外からコツコツという小さな音がした。見れば小さな鳥の影が、くちばしで窓を叩いている。


「小鳥?」

 

 ユニスがそっと窓を開けると、白地に黒と灰色の毛並みの小さな鳥が、窓辺にとまっている。

 小鳥はユニスを見て、まるで小首を傾げるような仕草をした。しばらくユニスをじっと見つめた後で、長い尾をふるふると動かす。

 その愛らしい姿に、ユニスの顔がほころんだ。


「可愛い」


 思わず呟いたユニスを見て、ルディウスは目を細める。


鶺鴒せきれいだな」


 山育ちというだけあって、生きものに詳しいルディウスがそう言った。


「食べるものを探しに来たのかしら?」


 ユニスが不思議そうに首を傾げる。

 パンをちぎってあげようか、とそんなことを考えていると唐突に声がした。


『お気遣いは不要です。そのような卑しい真似は致しません』


 突然小鳥の口から人語が発せられて、ユニスは驚きのあまり固まった。そんなユニスの様子に、小鳥は神妙な態度で頭を下げる。


『驚かせてしまって申し訳ありません。我が主からの伝言を伝えに来たのです』

「主?」

『リド様です』


 神獣の名前が鳥の口から紡がれて、ユニスは目を丸くする。

 つまりこの鶺鴒は、リドの眷属けんぞくということらしい。人語を解するのも、そのあたりに理由があるのだろうか。

 混乱したままユニスがそんなことを考えていると、小鳥は真面目な口調で言葉を継いだ。


『十日もユニス様がおいでにならないと、我が主はひどくれておいでです。いつお越しくださるのでしょう?』


 聞かれて、ユニスは困惑した。

 そう言えばまた来いと、リドに言われていたのを思い出す。直後にファリオンの来訪があって、それどころではなくなっていた。

 だが具体的な約束はしていないし、十日も待てないというのは、悠久の時を生きる神獣にしてはいささか性急ではないだろうか。

 気がつけば、ルディウスがユニスの傍らに立っている。困った顔でユニスがその顔を見上げると、ルディウスが溜息をついた。


「――神獣直々の呼び出しとなれば、行かないわけにいかないだろう」


 明らかに気が進まないと分かる表情で、ルディウスはそう呟いた。

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