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予兆

 翌日、ルディウスは城塞内の守備隊区画にやってきていた。

 守備隊とは、城主の警護と城塞内の守備を担う部隊のことを指す。東方軍の一部隊であるが、その業務特性上、詰所と居室は兵舎ではなく城の一階に配置されていた。


「閣下」


 ルディウスが若い兵士と話していると、後ろから呼ぶ声がした。振り返れば、副官のシメオンが立っている。

 

「こんなところで何をしてるんです?」


 書類の束を持ったシメオンが首をひねる。どうやらルディウスの姿が執務室にないので、探しに来たらしい。

 ルディウスは若い兵士に二言三言何事かを言うと、シメオンの隣に並んだ。


「待たせて悪かった。居室を守備隊区画に移す為に、少し話を通していた」

「守備隊区画? 何でまた」


 ルディウスには兵舎の近くに居館が一棟与えられている。わざわざ手狭な守備隊の部屋に移る必要がないとシメオンは疑問に思ったようだった。


「この1年間はできるだけ彼女の近くにいた方がいいだろう。ラザロス殿下の件もある」

「ははあ、そういうことですか」


 諒解したように、シメオンが頷いた。


「しかし、意外でしたね」

「何が?」


 回廊を並んで歩きながら隣のシメオンに視線を送ると、「ユニス殿下のことです」と答えが返ってきた。


「もとより閣下が殿下をないがしろにするとは考えていませんでしたが、最初の頃はもっと距離を保って接していたでしょう?」


 シメオンの問いに、ルディウスは無言で頷いた。

 ユニスの望みを聞くまでは、最初どころかずっとそうするつもりであった。礼をもって接し、彼女が望むのならば必要以上に近づくことも控えよう、とそう思っていたのである。

 ユニスはこの国で最も高貴な血筋を持ち、ルディウスが直々に託された主君の妹である。丁重に扱うのは当然だった。

 

「それが今では随分と親しげだ。どういった心境の変化があったのかは知りませんが、良い傾向だと思いますよ」


 愉快そうにシメオンが言う。ルディウスより3つ年上のシメオンは、こうした助言めいた事をよく口にする。金髪碧眼の遊び人ではあるが、基本的に面倒見が良いのだろう。

 シメオンの言葉を聞きながら、心境の変化はユニスの人となりを知ったからだとルディウスは思う。

 はじめはその境遇を哀れだと思うだけだった。王女として生まれながら不遇な扱いを受けるユニスに対し、不憫だと。親の愛情も、受けるべき敬意も知らず。

 アレスが王城にいた頃はそれでも王女らしい生活を送れていたようだが、アレスがハイラントへ移った頃から状況は悪化する一方だったと聞いている。

 最初に会った時の不安に揺れる頼りない表情を、ルディウスはよく覚えていた。


「大した理由はない。――ただ俺が彼女の気性を好ましいと思うようになっただけだ」


 ユニスの内面に触れるにつれ、もっと彼女の事を知りたいと思うようになったのだ。

 ルディウスの返答に、シメオンは目を瞬かせた。


「今日は随分と素直ですね。ユニス殿下の素直さを見習うことにでもしたんですか」

「かもしれん」


 シメオンのからかうような言葉を、ルディウスは軽く受け流す。

 ユニスの素直さは、彼女の美点だとルディウスは思っている。

 嬉しい時は満面の笑みを浮かべ、驚いた時はよく固まっている。誰彼となく感謝を伝え、自身が悪いと思えばためらわず謝罪する。

 感動屋で、涙もろい。

 その気性を好ましいと思う一方、貴族に囲まれた宮廷生活を続けていたらあのようにはならなかっただろうとも思う。

 良くも悪くも、あの気性は貴族社会には馴染まないのだ。

 宮廷にいれば本音を隠して腹の中で策略を巡らせているのが普通だし、自信のなさを見せればつけ込まれる。誰にでも感謝や謝罪の意を伝えるやり方も、王族らしくないとよく思わない者も多いだろう。

 執務室に入り扉を閉めると、シメオンが書類を差し出しながら口を開いた。


「いずれにせよ、お二人の仲が良好で安心しました。殿下も閣下を心から信頼なさっていますしね」

「あれは一種の刷り込みだろう」


 報告書を受け取りながら、ルディウスは冷静に返す。

 雛鳥が最初に見たものを親だとみなすように、最も近くにいるルディウスを盲目的に信じてしまっている。


「刷り込みでもいいじゃないですか。いずれは結婚されるのだし」

「彼女が俺に寄せる感情は、恋情とは別物だ」

 

 頼られ信頼されていると感じるが、ユニスがルディウスに恋愛感情を抱いているとは思えない。

 ユニスの好意は、親愛の情と呼ばれるものだ。自分を守り庇護する存在として、ルディウスを慕っている。

 そう言うと、シメオンは首を傾げた。


「そうですかねぇ。今はそうかもしれませんが、あの年頃の子なんて恋に落ちる時は一瞬ですよ」


 気持ちもすぐに育つ、と言ったシメオンにルディウスは困ったように微笑んだ。


「その相手が俺とは限らないだろう」


 珍しく弱気ともとれる発言に、シメオンは目を丸くした。


「その言い方だと、閣下が殿下に恋着しているように聞こえますが」

「それについては、否定も肯定もできないな」

 

 ユニスに対して恋情を抱いているとは言えないが、親愛の情だけともまた言い切れない。

 その事に気づいたのは、昨晩ユニスが正餐室に現れた時だった。

 それまではルディウス自身、ユニスの事は敬愛すべき王女として好感を抱いているに過ぎなかった。自身では身を守るすべを持たない、庇護すべき子供。

 ルディウスがユニスに抱く感情もまた親愛の情に過ぎないと、そう思っていたのだが。

 晩餐にやって来たユニスを目にした時、彼女を美しいと思い、心惹かれたのだ。これはルディウスにとっては思いがけないことだった。

 確かにユニスは美しい少女であるが、それまではユニスの容姿に関して特別な感情を抱いたことはなかったからだ。実際、アレスの戴冠式で着飾ったユニスを見た時も、客観的に美しいとは思ってもそれ以上の感情は湧いてはこなかった。

 だがあの時は、ユニスが部屋に入ってきた瞬間、その場が明るくなった気さえしたのだ。

 何が己の感じ方を変えたのだろうと考えて、気づいてしまった。

 ルディウスがユニスの気性を好ましいと思うようになったからなのだと。だから彼女の容貌もまた、好ましく映るのだ。

 そう思い至った時、予感めいたものを感じた。


 ――近いうちに、子供扱いできなくなるかもしれない。


 ルディウスは、自身の感情に鈍い方ではない。故に、この感情が育つ予兆ともいうべきものを、敏感に感じ取っていた。


「子供だと思って見くびっていると、その内自分の首を締めますよ」


 昨夜のことなど何一つ知らないシメオンが、なかなか鋭いことを口にした。

 シメオンの方を見やって諦めたように一つ息をつくと、ルディウスはいっそ爽やかとさえいえる笑みを浮かべてみせた。


「――それはもう、分かっている」

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