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涙の理由

 ユニスの涙がおさまると、テレサは優しい顔で微笑んだ。その表情にユニスも安堵して笑みを浮かべる。

 しばし穏やかな空気が流れた後で、テレサはユニスには着替えと休息が必要だと口にした。着替えについては、土埃にまみれた己の旅装を見れば、ユニスも同意せざるを得ない。けれどルディウスと城の中を回れないのは残念だ。


「疲れは少しだし、私は大丈夫よ」


 城の中を歩くぐらいは問題ない。ユニスがそう言うと、テレサは静かに首を振った。


「殿下は慣れぬ旅を10日もされてきたのです。ご自身が思う以上に疲れは溜まっているはず。――軍部の方々とは身体のつくりも、体力も違うのです。いくら殿下が大丈夫だとおっしゃったとしても、今日はお休みになるべきです」


 後半の言葉は、ユニスではなくルディウスに向けられたものである。か弱い王女の身体にもっと配慮せよ、という思いが言葉の端々に滲んでいる。

 口調は優しいがルディウス相手にも臆することなく意見を述べるテレサに、ルディウスは苦笑しつつ頷いた。


「テレサの言う通りだ。俺ももう少し考えるべきだったな。城の案内はまた後日にしよう」


 その言葉に、ユニスはしゅんとなった。部屋で休むよりも、ルディウスと一緒に城の中をまわる方がずっと魅力的だと思ったからだ。

 けれどテレサがユニスの身体を心配してくれているのも分かるから、その思いを口にはできなかった。これ以上は身勝手になると、理解していたからだ。

 残念だが、仕方がない。己が体調を崩せば、周囲にもっと迷惑をかけることになる。


「……分かったわ。今日は休むことにします」


 頷いたユニスに、ルディウスが口を開いた。


「夕方まで休んで、よければ晩餐は一緒にとろう」


 それならばいいだろう? という顔でルディウスはテレサの方を見る。これにはテレサも反対はしなかった。にっこりと微笑むと、大きく頷く。


「料理長に伝えておきましょう」 


 これはユニスにとっては素晴らしい提案だった。


「ではユニス、また後で」

「……はい」


 はにかんで喜ぶユニスを見ながら、ルディウスは部屋を出て行った。

 その姿を見送りながら、ルディウスは何故ユニスの喜ぶことが分かるのか不思議に思う。

 己が分かりやすすぎるのか、ルディウスが鋭すぎるのかは定かでないが、沈んでいた気持ちは一気に浮上する。ユニスの心は自然と浮き立った。

 二人になった後、ユニスの湯浴みを手伝いながらテレサが口を開いた。


「ルディウス閣下とは、仲がよろしいのですね」


 にこにこと笑顔のテレサに、ユニスは聞き返した。


「……そう見える?」


 もしもそんな風に見えるのならば、嬉しい。出会ったばかりの頃よりも、距離が近づいたような気になるからだ。


「ええ。殿下といらっしゃる時は、閣下はとてもよい顔をされています」

「……そうかしら。私にだけではないと思うけれど」


 ユニスがこう思うのには、理由がある。旅の道中、ルディウスに対する印象に変化があったからだ。


 ――戦いから一度離れれば、ルディウスはよく笑う人なのだ。


 初対面時の厳しい表情の印象が強すぎたせいでしばらく気づけなかったが、基本的に気さくなのだろう。旅の間、兵たちと楽しげに話したり、笑いあったりしている姿を、ユニスはよく目にしていた。

 だからルディウスがユニスに向けるあの優しげな笑みは、彼にとっては特別なものではないと感じるのだ。


「そうでしょうか。普段から気さくな方ではありますが、殿下のように特別に扱われている方は、他にはいないと思いますよ」

 

 それは単にアレスから命ぜられたという前提があるからではないだろうか。そう思ったが、テレサに言うにはあまりに卑屈に感じて、ユニスは黙り込んだ。

 考え込んでしまったユニスの気持ちを変えようと思ったのか、テレサが一段明るい声になった。


「それに晩餐のお誘いなど、素敵ではございませんか。夕方までお休みになったら、準備を致しましょうね。ルディウス閣下を見惚れさせてやるのです」


 茶目っ気たっぷりの言葉にユニスも笑顔になる。


「そうね」


 実際にルディウスがユニスに見惚れるところなど想像もできないし、戴冠式の際に正装している姿を見ているのだから、今更見惚れたりはしないだろう。それでもテレサと秘密の計画を立てているようで楽しかった。

 湯浴みが終わると、寝間着に着替えさせられた上で、ユニスはさっさと寝台に押し込まれてしまった。


「ゆっくりとお休みになってください」


 頷いて目を閉じると、あっという間にユニスは深い眠りに沈み込んでいった。


 次に目覚めた時、部屋の中には西日が差し込んでいた。寝台に入ったのは朝であったから、随分と眠っていたことになる。

 テレサの言う通り、思っていた以上に疲れが溜まっていたのかもしれない。寝台の上でぼうっとしていると、しばらくしてテレサが部屋にやってきた。


「よく眠れましたか?」

「ええ」


 熟睡できたおかげで身体がすっきりしている。これならばルディウスと晩餐をとっても問題ないだろう。

 テレサはユニスが寝台から降りると、テキパキと身支度を開始した。ユニスが感嘆するほどの手際の良さで、ものの半刻ほどで支度を整えていく。

 最後にうっすらと化粧を施すと、テレサがため息を漏らした。


「……私が見惚れてしまいますわ」


 まるで神話の精霊のようだ、とテレサは笑顔で褒め称えた。

 鎖骨が美しく露出する淡い色のブリオーは、薄い絹で作られたゆったりとしたものである。長いすそには、金糸の刺繍がされていた。

 ユニスの柔らかな白金色の髪は丁寧に編み込まれ、真珠の髪飾りが冠のように後ろを飾っている。

 ユニスの良さを際立たせるような、清楚可憐な装いである。


「こんなに素敵にしてくれて、ありがとう」


 頬を薔薇色に上気させながら、ユニスは礼を言った。ルディウスは気に入ってくれるだろうか。

 緊張と浮き立つ気持ちが半々のまま、正餐室へと向かう。ユニスが部屋に入ると、ルディウスが席から立ち上がった。

 はじめユニスの姿を目にした時、ルディウスは驚いたようだった。


「待たせてしまってごめんなさい」

「……いや、今来たところだ」


 着飾ったユニスをしばし見つめ、ルディウスは少し困ったような笑顔になる。


 ――気に入らなかったかしら。


 その表情の意味が、ユニスには分からない。ユニスが不安になっていると、ルディウスはすぐに含みのない笑顔になった。


「……驚いた。とても綺麗だから」


 率直にユニスを称賛したルディウスに、ユニスの顔は赤くなる。

 後ろでテレサがそうでしょうとも、と大きく頷いた。

 その日の夕食は、これまでになくユニスは舞い上がっていた。二人だけの食事は初めてだったし、ルディウスから誘ってくれたのが嬉しかったからだ。

 かつて兄との食事の時間がそうであったように、ユニスは食事中、楽しげに話し続けた。ハイラントまでの旅がいかに特別であったか、竜や霊獣の姿にどれほど感銘を受けたかを。

 あとから思えば随分と一方的に喋ってしまったと後悔したが、その時はそれに気づかない程浮かれていたのである。

 晩餐が終わって部屋を出ると、二階の回廊から中庭が見えた。


「庭に降りてみようか」


 そう言って、ルディウスはユニスに腕を差し出した。ユニスがそっとその腕に手を絡めると、ルディウスはユニスの歩幅に合わせるようにゆっくりと歩き出す。

 城の中央にある中庭には、それをぐるりと囲む一階の回廊から降りることができる。決して広いとは言えないが、小さな花々が咲き乱れ、見る物を楽しませる庭園である。


「可愛い」


 青い花を見つめながらユニスが言うと、ルディウスも視線をそちらへ向けた。


「花は好き?」

「ええ」


 ユニスは微笑んだ。


「今日は晩餐に誘ってくれてありがとう」


 とても嬉しかったと心から礼を言うと、ルディウスはややあって口を開いた。


「……先日、俺の事を知りたいと言ってくれただろう」


 旅の途中、ルディウスに伝えた言葉のことだとすぐに気づいて、ユニスはこくんと頷いた。


「あの言葉を聞いた時、純粋に嬉しいと思ったんだ。ユニスが歩み寄ってくれることも、俺の事を知りたいと言ってくれたことも」


 静かな声音でルディウスは言葉を紡ぐ。


「今日食事に誘ったのは、ユニスの為じゃなく、俺自身の為だった」

  

 ――君の事を知りたいと思ったからだ、とそう言われてユニスは驚いてルディウスの顔を見つめた。

 目を見開いたユニスに、その言葉が嘘ではないと伝えるように、ルディウスは繰り返した。


「俺がユニスの事を知りたかったんだ」

 

 その言葉の響きは、どこか胸に迫るものがあって、目頭が熱くなった。

 これまでユニスの事を知りたいと言ってくれた人がいただろうかと、どこか信じられないような気持ちで考える。

 ユニスの境遇を憐れみ、手を差し伸べようとしてくれる者はいた。だが正面からユニスと向き合い、理解しようとしてくれる者がはたしていただろうか。

 そう思ったら、我慢していた涙が零れ出た。ポロポロと涙があふれて止まらなくなったユニスに、ルディウスはまた困ったような笑顔になる。


「君はよく泣くな」


 言葉とは裏腹に、その声は優しかった。指でそっとユニスの涙を拭うやり方も、まるで壊れやすい細工物を扱うように丁寧なものである。


「これからは沢山話そう、ユニス。君が喜びを感じた時はそれを知りたいし、悲しみを感じた時は君をひとりで泣かせたくない」


 ルディウスはいつもユニスにとって初めての言葉をくれる。どれもがあたたかくて、胸がいっぱいになるような言葉ばかりだ。

 どうしたらルディウスの優しさに報いることができるのだろう、とユニスは思う。自分はルディウスから与えられてばかりだ。ただ一方的に与えられるばかりではなく、この人に何かを返したいと、ユニスは心からそう思った。

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