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月と夜

 夕食後ユニスの部屋の前までやってきたルディウスは、中へは入らず、外へとユニスを誘った。

 分駐所は小高い丘の上にある。一歩外へ出ると、風がユニスの髪を巻き上げた。

 空を見上げれば、今夜は満月である。ぽっかりと浮かんだ丸い月が、あたりを明るく照らしていた。

 ルディウスは入口から少し離れた場所にハンカチを敷くと、ユニスにそこに座るようにと促した。自身はそのまま草の上に座り込む。

 じっとしていると風の冷たさを感じる。肌寒さに、ユニスは少し身震いした。

 その様子を見ていたルディウスは、自身の上着をさっと脱ぐと、それをユニスに手渡した。


「春先とはいえ、まだ冷えます」

「……ありがとうございます」


 おずおずとルディウスの上着を羽織ると、ユニスは膝を抱えて丸くなった。

 早く謝らなければと、気持ちが焦る。昨日からさんざん考えていたはずなのに、出てきた言葉はひどく子供じみたものになった。


「ひどい態度をとってごめんなさい」


 弱々しい声で謝罪したユニスに、ルディウスは静かに首を振った。


「いいえ。恐ろしいものを見せたのは、私です」

  

 怯えて当然だと、ルディウスは言う。


「ですが、あれが私の本分です」


 ――他のものにはなれない。 


 静かな口調に、ユニスはルディウスの方へ視線を向ける。目線を落としたルディウスが何を考えているのか、ユニスには分からなかった。


「怖かったでしょう」


 聞かれて、ユニスは正直に頷いた。


「……はい。ですが、私は何も知らなかったのだと思いました」


 ルディウスが身を置く世界の厳しさも、その生々しさも。

 ぽつりとぽつりと、ユニスは言葉を紡ぐ。


「それにこのまま、距離ができるのは嫌でした」


 ルディウスの事を何も知らぬまま、溝ができてしまうのは悲しかった。

 そうユニスが口にすると、ルディウスはひどく驚いた顔になった。


「私の事を知りたいと?」


 意外そうな口ぶりに、ユニスはルディウスを見つめる。


「……駄目ですか?」


 迷惑だろうかと、ユニスが不安げに尋ねると、ルディウスは少し困った顔になった。


「いいえ。ですが殿下が知って面白いことなど、何もないと思いますが」

「……そんなことはありません」


 ユニスはふるふると首を振る。ルディウスの事を知りたいと思ったのは、本心だ。

 ユニスの真剣な顔を見て、ルディウスは少し考える顔になる。やがてルディウスが話し始めたのは、自身の身の上話であった。


「……以前、殿下のような高貴な方をめとるような身ではないと話したことがあったでしょう。あれは謙遜でも、誇張でもなく、事実です。私の父はランバルト家の当主でしたが、母は平民です。母は望まぬ妊娠によって、私を産みました」


 アレス陛下はご存知ですがと、ルディウスは言い添えた。


「父は妻子ある身で、私の母を身籠らせたのです」

「では、幼い頃山奥に住んでいたというのは……」

「よく覚えていらっしゃる」


 ルディウスは小さく笑う。


「母の故郷です。9歳の時母が亡くなり、ランバルト家に引き取られました」


 妻と3つ歳の離れた兄の住まう家。居心地は最悪だったと、ルディウスは口にした。


「あの家から早く出たかった。勉学は嫌いではありませんでしたが、学問ですぐに身を立てられるわけではありません。一人で生きていくにはどうすればいいだろうと、幼心にずっと考えていました。それで12歳の時、軍に志願したのです」


 大した志があったわけではない、とルディウスは言う。


「それでも軍人というのは、私には向いていたようです。気がつけば将軍職など拝命してしまった」


 ルディウスはどこか遠くを見るような目つきになる。黙って話を聞いていたユニスは、ぽつりと呟いた。

 

「……これまで、大変な努力をされてきたのですね」


 12歳で入隊し、どれほどの苦労と努力を重ねれば、25歳という若さで将軍にまでなれるのだろう。

 己とは生き方も経験も、比べものにならないとユニスは思った。


「私の母も、望まぬ妊娠だったと聞いています」


 自分とルディウスに共通点があるならば、唯一それくらいかもしれない。

 落ち着いた静かな声音で、ユニスは話し始めた。当時17歳だったリディアを、キーランが見初めたのだと。


「母には当時婚約者がいたにもかかわらず、父が強引に奪ったのです」


 幼馴染で婚約者。相思相愛で仲睦まじい関係だった恋人達を、キーランが引き裂いたのだ。

 その当時、キーランは39歳。リディアは泣いて嫌がったという。

 そのことをユニスが知っているのは、幼いユニスに語って聞かせた大人が何人もいたからだ。


「私は母そっくりなのだそうです」


 長じるにつれ、リディアの生き写しだと言われる事が多くなった。だから王はユニスを愛さないのだと。


『おかわいそうに。陛下は殿下が憎くて、このようなことをしているわけではないのですよ。ただ殿下はリディア妃によく似ておられるから――。あてつけのように亡くなられて、陛下も殿下を見るとお辛いのでしょう』


 同情的な表情で、しかし言葉に悪意という名の毒を潜ませて、そんな言葉を幼いユニスに聞かせたのは、一人や二人ではなかった。

 だからかつて王宮で起こった醜聞を、ユニスはよく知っていた。

  

「母は自殺ではないかと、当時噂になったそうです」

「……それは」

 

 ルディウスが心配そうな顔でユニスを見る。ユニスは静かに首を振った。


「真相は分かりません。おおやけには産後の肥立ちが悪くて亡くなったと」

「……辛いことを思い出させてしまいました」

「私自身に当時の記憶があるわけではありませんから。それに、誰かに話したかったんだと思います」

 

 おだやかな沈黙が落ちて、二人はしばし言葉を止めた。月の光が、静かに頭上に降り注ぐ。

 しばらくして、先に口を開いたのはルディウスだった。


「他に、私に言い足りないことはありませんか」


 聞かれて、ふと思い浮かんだことはあった。ルディウスはそんなユニスの表情に気づいたように首を傾げる。


「なにか?」


 言っていいものだろうか。

 しばらく逡巡した後で、ユニスはおそるおそる口を開いた。


「我儘を言ってもかまいませんか?」

「ええ、勿論」

「……では、呼び方を」

「呼び方?」

「……殿下ではなくユニスと呼んでくださいませんか」


 距離を感じるから。他の皆にしているように話して欲しい、と言うとルディウスは意外な事を言い出した。


「ならば、私の事もルディウスと呼んでください」

 

 ユニスは困惑した。


「実はずっと気になっていました。殿下は私に対して丁寧に過ぎる」

「……ですが」

「私だけが呼び捨てなど、不公平だと思われませんか」


 そうなのだろうか。しばらく迷った後、ユニスが了承を示すように小さく頷くと、ルディウスは柔らかく微笑んだ。


「では、ユニス」


 呼ばれて、唐突に頬が熱くなった。琥珀の瞳にまっすぐに見つめられ、心臓が早鐘を打ちはじめる。

 考えてみれば父と兄の他には、こうして名を呼ぶ者はいなかったのだ。答える声は、随分小さいものになった。


「……はい」

「この先は、俺があなたを守ろう。あなたがこれ以上、傷つかずに済むように」

 

 真摯な声でルディウスはそう告げた。思いがけない言葉に、ユニスは目を瞠る。

 月明かりに照らされたルディウスの瞳は金色に見えるのだと、どこか呆然とした思いのまま、ユニスはその瞳を見つめ続けた。

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