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迷いと決意と

 去っていくルディウスの背中を見送りながら、ユニスは言葉を発する事ができずにいた。

 ユニスは動揺し、混乱していた。誰かが傷つくのを見ることも、血の匂いを嗅ぐことも、初めてのことだったから。それは死というものを初めて間近で感じたことに対する、根源的な恐怖心だった。

 

「場所を移動しましょう」


 シメオンに言われ、3人は岩場の死角を探して馬を進める。


「……閣下の事が恐いとお思いですか?」


 手綱を操りながら、ライラが不安げに尋ねる。ユニスはどう答えるべきか迷った。先日ライラの口にしたルディウスの苛烈さとは、こういうことだったのだろうか。


「わからないの」


 ユニス自身にも分からない。なぜ自分はこれほどまでに、震えているのだろう。

 頭ではルディウスのやったことが間違ってはいないと、分かっていた。あの男達は商隊の者をあやめ、略奪行為に及んだのだ。

 もし手加減などすれば、怪我をしていたのはルディウスの方だったかもしれない。

 そのことは理解していた。ただ身体の震えが止まらない。


 それと同時にルディウスが去り際に見せた表情を思い出して、ユニスは罪悪感に襲われた。

 ユニスから一歩距離をとった時、ルディウスはやりきれないような、どこか悲しそうな顔をしていた。あの表情を思い出すと、胸が締めつけられるように苦しくなる。自分は、ルディウスを傷つけたのではないか。


 盗賊の隠れ家へ向かった兵士がひとり戻ってきたのは、それから一刻ほど経った頃。

 岩場の陰で息を潜めていた3人のうち、最初にその騎影を見つけたのは、ライラだった。ユニス達の姿を認めて、騎馬が速度を緩めて近づいてきた。


「盗賊の隠れ家は制圧しました。憲兵が来たら、案内します」


 乗っているのは40歳ぐらいの、いかめしい顔つきの壮年の兵士である。


「誰か怪我をした者は?」


 シメオンの問いに、兵士が「こちらは全員無事です」と頷いた。


「閣下は?」


 シメオンがその姿がないことに疑問を持つと、兵士はちらりとユニスの方を見た。


「かなり返り血を浴びていたもので。憲兵を連れてくるついでに、着替えを持って来てくれと頼まれました」


 ――殿下をまた、怖がらせてしまうから。


 兵士の告げた言葉に、きゅうとユニスの胸はまた苦しくなった。

 こんな時でさえ、ルディウスはユニスを気遣ってくれているのだ。

 

 それから半刻もたたずに、憲兵がやってきた。兵士が彼らを盗賊の隠れ家へと連れて行き、ルディウスが戻ってくるまで、ユニス達はその場で待ち続けた。

 他の兵とともに戻ってきたルディウスは、着替えたのか服に血の痕跡は見られなかった。ルディウスは真っ先にユニスの方へやってくると、十分な距離をとったところでファスから降り立った。


「長いことお待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。すぐに出発致します」


 ユニスがライラの馬から降りようとして、ルディウスに止められた。


「どうか、そのままで。今日はまだ予定の行程の半分も進んでいませんので、先が長い。私の馬よりも、ライラの馬に乗る方がいいでしょう」


 え、という表情でユニスが固まると、ルディウスは「少し他の兵と話をしてきます」と言って踵を返した。


 ――どうしよう。


 これもまた、ルディウスの配慮であることは明らかだ。これまでファスに乗り続けてきたのに。

 結局、ユニスはライラの馬で行くことになり、ルディウスは隊列の先頭へと移動したため、話をすることもできなかった。



 その日の夜。分駐所の自分の部屋でユニスは悶々と悩んでいた。

 ユニスは自分の心に問いかける。

 自分はルディウスを恐れているのだろうか、と。

 ルディウスが盗賊の男達を斬った時、胸に湧き上がったのは確かに恐怖だったと思う。人が傷つくのを目の当たりにして、怖気づいたのだ。

 だがルディウスに対して嫌悪感を抱いているかというと、それは違うとはっきり否定できた。

 この短い期間に、ユニスが見てきたもの。

 ユニスに対する、ルディウスの優しさや気遣いは本物だった。ルディウスは誰かをいたわり、優しさを分け与えることができる人なのだ。嫌悪感など湧きようもなかった。

 だが同時に今日目にしたものもまた、ルディウスの持つ一面なのだとユニスは思う。


 ――私はまだ、彼の事をあまり知らない。


 ルディウスが身を置いているのは、ああいった命のやり取りが当たり前の世界なのだ。

 自分はその事実をこれまで真剣に捉えていなかったのではないか、とユニスは思った。

 ルディウスは先の戦では、一騎当千の活躍で敵を退けたと聞く。それはつまり、多くの敵兵の命を奪ったということなのだろう。

 例えば一万の敵兵を倒したという時、人はもはやそれを数としてしか認識しないが、実際に消費されるのは人命だ。ひとりひとりに人生があり、家族がいる。

 その事を今日ほど強く意識したことはなかった。人生のほとんどを王城で過ごしたユニスにとって、戦争は常にどこか遠くにあるものだったから。

 人血が流れる生々しさも、その匂いも知らなかった。

 だがルディウスにとってはそうではない。死の危険は常に隣り合わせにあり、多くの敵兵の命を奪うことで、ルディウスはこの国を守っている。

 己が結婚する相手はそういう人なのだと、ユニスは初めて意識した。知識としてではなく、実感として意識したのである。

 

 ――私はもっと彼のことを知らなければ。


 まだ恐怖心は拭えてはいなかったし、自分の感情さえよく分かってはいない。それでも、ルディウスの持つ別の側面から、目を逸らしたいとは思わなかった。

 それにひとつ、分かっていることもあった。


 ――このままは、嫌。


 このままルディウスと距離ができることだけは、嫌だった。自身の心に問うた時、何よりもそのことだけははっきりしていた。



 翌朝。ルディウスから昨日に引き続きライラの馬に乗るようにと言われた時、ユニスは首を横に振った。


「いいえ」


 緊張のためか、口から出てきた声は思いのほか硬い。


「今日はファスに乗ります」


 そう口にしたユニスに、ルディウスは困惑した顔になる。


「……しかし、本当によろしいのですか?」

「かまいません」


 そう言ったものの、いざルディウスと一緒にファスに乗ると、身体が強張った。

 背中にルディウスを意識すればするほど、益々緊張してしまう。ルディウスは出来る限りユニスに触れないよう、慎重にファスの手綱を握った。

 ゆっくりとファスが歩き出す。心なしか二人を乗せるファスも緊張しているようだった。


 結論から言うと、この日の旅はひどく気詰まりなものになった。

 ユニスは緊張で一言も喋れない上、ルディウスもまた必要最低限の話以外は、無言を貫いていたからだ。

 自らファスに乗ると言っておいてびくついているのだから、さぞルディウスは困っていることだろう。酷い態度をとっている自覚があるのに、自然に振る舞うことができない。

 自分は何をやっているのだろう、とユニスは泣きたくなった。

 

 日が沈み、分駐所に着くまで、二人の間に会話らしい会話はなかった。

 ルディウスは時々、「喉は乾いていないか」「疲れてはいないか」とユニスに尋ねてくれたのだが、ユニスの方がまともに返答できなかったのだ。

 ユニスがファスから降りるのを抱きとめる際も、ルディウスは細心の注意を払っているようだった。知れば知るほど、ルディウスがどれほどユニスの為に心を砕いているのかが分かる。――にもかかわらず、自分は酷い態度をとっている。

 このままでは駄目だ、とユニスは思う。このままルディウスと気まずいままなのは、嫌だった。

 ルディウスはユニスが地面に降り立つと、そっと手を離そうとした。その腕をひしと掴んで、ユニスは意を決して口を開いた。

 緊張で、声がうわずる。

 

「あ、後で」

「後?」


 ルディウスが首を傾げる。


「話をさせてくださいませんか。二人だけで……」


 最後は消え入りそうに小さな声になった。ルディウスはじっとユニスを見つめたまま、静かに問うた。


「……いいのですか?」


 自分の事が恐くないのかと、ルディウスの目線が問いかける。

 ユニスはこくこくと頷いた。その必死さが伝わったのだろうか。ルディウスは少し考え込んだ後、ユニスに告げた。


「分かりました。夕食の後、殿下の部屋に参ります」

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