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“穢れ”という呪い

「まず先に言っておくわ。坊や、アナタは命を狙われる立場にある。だから、今から言うことを良く聴いておきなさい。坊やが勝手に死ぬのは構わないけれど、それはルカちゃんが悲しむことになるもの」


 ルミィナの言葉は、そんな冷淡な宣告で始まった。


「————いの、ち……え?」

「あらなに? まさか吸血鬼なのに狩られない、なんて思ってた?」


 棘があるくせに無関心な表情。にも関わらず、どこかオレの一挙一動を品定めする様な気配を感じる。ルカと話すのと違って、ルミィナとのやり取りには緊張を強いられる。


 『吸血鬼なのに狩られないと思ったでも思っていたのか』という言葉は、確かに反論できない真実だった。だがそれ以上に、ことここに至って未だ思考を"人間側"に留めているオレを嘲る色も確かにあった。


 不安が湧き上がる。視線は無意識にルカ(味方)を探す。


 ルカは、何を考えているのかよく分からない表情でルミィナの話に耳を傾けていた。オレの視線に気がつくと、安心させるように薄く笑顔を向けてくれる。

 なんとなく、オレという新参者とルミィナとのやりとりを楽しみにしている様な、そんな好奇心を感じる表情に思えた。


 そんな無言のやりとりを無視して、赤い女は口を開く。


「最初に、この国について概説しておくわ。

 この国は『神聖国家シグファレム』。通称は『教国』で、正式名称よりも日常的には『教国』の方が用いられるわね。

 けれど、国名は本筋ではないから、常識程度に覚えておけばいい。要諦は宗教の方なのだしね」

「シグファレム…………」


 その国名を聞いても、特に思うことはない。

 あの村から、倒れたオレを国境を越えて運んだのでもないなら、オレは元々『教国』の人間だったと推測できる。なのに、本当に何も胸に去来するものがない。


 それになぜか寂しさを感じるのが不思議だった。


「ルミィナさん」

「あら、何か思い出したの?」

「いや……何も。そうじゃなくて、オレが倒れていた村って教国——つまりはシグファレムにあったんですか?」

「ええ。坊やのいた村はセトナという村よ。間違いなく教国に属する小規模な村ね。村の名前を聞いても思い出せることはない?」

「……………………」


 頭の中に、微かな聞き覚え。ただ、それを思い出そうと手繰り寄せようとすると、あまりにもあやふやで輪郭のないその記憶はほつれて、霞むように消えてしまう。

 それはもはや、記憶にも満たない"感覚"の次元だった。


「特に何も思い出せないようね。なら続けるわ。

 ここからが本題。『クリシエ教』という大陸最大の宗教について、坊やには確実に理解してもらう。

 一般的にはクリシエ教勢力を『教会』と呼ぶから、以降教会とはクリシエ教勢力を指す。そのつもりでいなさい」

「急に宗教、ですか?」


 なんとも唐突に感じる話題の転換だった。今は国について話していたのに、前触れもなく。

 だからつまり、この『クリシエ教』とやらもまた、教国に関係しているということなのだろう。


「そう。この宗教こそが、吸血鬼の生存を最も妨げているのよ。

 ねえ、坊やは吸血鬼が恐れられているから排除されると考えているんじゃないかしら」

「まあ……それは」


 当然だ。人の形をし、人のように振る舞いながら、しかし人を圧倒できる捕食者。そんな存在を恐れない人間はいないだろうし、嫌悪しないはずもない。

 オレが吸血鬼という存在に抱いている嫌悪感は、所詮は『人外である』ということに尽きる。

 人間であることにこだわっている自分が、人間以外の存在全般へ抱く違和感と嫌悪。そういった人間視点からのものだ。

 この程度の悪感情しか向けていないのは、もしかするとオレ自身が吸血鬼であることと関係しているのかもしれない。


 しかし、オレのような《《ニセモノ》》ではなく、被捕食者たる人間からすれば、吸血鬼という存在へ抱く悪感情はどれほどのものなのか。……残念ながら、オレでは想像し切れない。


 以上が、オレの理解だった。

 だがルミィナの言葉からして、おそらくはそれだけの理由ではないんだろう。そして現に、そんなオレの想像は正しかった。


「それは吸血鬼を排除する理由として、確かに妥当なものね。けれど、クリシエ教の視点から説明するなら、少し違うのよ。怖いとか怖くないとか、そんな理由を越えて、吸血鬼という存在は許されないの」

「? つまり怖くなくても、殺す……? 怖くないっていうのは、つまり、例えば吸血鬼が人間を吸血対象にしない場合とか、仮にそうなっても殺すってことですか?」


 微かな反感と動揺。まるで心を覗かれているのかと錯覚してしまった。


 今まさに『自分という吸血鬼は怖い吸血鬼でない』と示せば、友好的に接してもらえることもあるんじゃないか、なんて期待(逃げ道)を抱きかけていたのに釘を刺されたように感じたからだ。


 怖くても怖くなくても殺すということは、つまり現状吸血鬼が『怖い』理由が無くなっても殺すということだ。


 人間視点から吸血鬼が怖いのは、吸血鬼にとっての獲物という当事者である以上は当然と言える。なら、怖くないと言える状況を仮定するなら、それは吸血鬼が人間以外の血で満足することだ。人間を襲わない。吸血対象にしない。

 そうなれば、わざわざ犠牲を払ってまで討伐するほど『怖く』無くなると考えたのだ。


 だが、ルミィナの返答は完結にして、尚且つ確信に満ちていた。


「ええ、殺すわね」


 仮定や推論の余地のない断定。

 だから、続けたオレの言葉は、単なる悪あがきでしかなかった。


「仮に、人間よりも格段に弱くなったとしても、ですか?」


 究極的には、吸血鬼が人間以外の血で満足できるとしても、人を襲おうと思えば襲える状態であること自体が『怖い』とも言える。

 だから、何かの方法で吸血鬼を弱体化させて、人間を襲おうとしても危害を加えられない状態にできれば、これも人間からの敵意を消せるのではないかと考えた。


 いい加減気づく。これはオレが人間と共存したいが故の、敵対なんてしたくないが故の、なんの意味もない駄々でしかない。ルミィナはそんなオレの無様にとっくに気づいているようで、その目にはあからさまに嗜虐的な光があった。


 そしてやや口角を上げながら、愉しむように、やはりキッパリと————


「ええ、殺すわね」


 そんな嗤笑を含む声に、癇癪じみた感情が誘発される。


「なんで! 人より弱い吸血鬼なんて、もう蚊みたいなもんじゃないですか! いや、アイツらと違って、こっちは人を狙わないんですよ?! それなのに殺すって、じゃあなんでそんなに固執してるんだ……!!」


 ゴトンッと重量感のある低い音が響く。

 さっきまで座っていたのに、オレはいつの間にか立ち上がっていたことにこの時に気づいた。膝がテーブルにぶつかったらしく、ルカがそっと抑えてくれていた。

 おかげで、跳ねたテーブルはルミィナに当たる前に停止したらしい。


「アトラ、落ち着いて。大丈夫だよ? ね?」


 心配そうなルカの視線と、恐々と不器用に撫でられる背中。


 オレは努めて冷静さを失わないよう、促されるままゆっくりと腰を下ろす。途端に、いきなり平静を失ったことが恥ずかしくなり、心配をかけてしまったのが申し訳なくなった。


 こんな自制の効かないヤツが、何が人間との共存だ……何が襲わなければだ……笑えもしない…………。


 意外にも、魔女はオレが落ち着くのを待っていた。

 だが、それはオレを待つのではなく、『オレが落ち着くまで待ちたいルカを待っている』のだと直感する。

 そしてその直感が正しいことを、ルカがオレの背から手を離した途端に話を再開した魔女の態度がこれ以上なく示していた。


「吸血鬼という存在が、クリシエ教の『穢れ』に指定されているからよ」

「ッ、……ケガレ? …………なんですか、それは」


 突然渡された『答え』に、指向性を失っていた思考が一気に集中する。

 飢えた獣の群れに弱った獲物を放り投げたような貪るようなそれは、この『穢れ』という概念だけは何としても理解しなければならないという本能的危機感によるものだった。


「クリシエ教の抹殺対象とでも思いなさい。

 これに指定された存在は常に捜索され、発見し次第全教会勢力をもってこれを抹殺する。穢れに指定されるとはそういうことなのよ。

 だから、怖くても怖くなくても殺す。殺すことはもう決定しているわけね」

「……なぜですか?」

「それを理解するためには、少し歴史の勉強になるわね」

「構わないから教えてください」

「そう。飛ばすつもりだったから略説するけれど、まあいいでしょう。


 クリシエ教は6柱の神から成る多神教よ。かつて存在した6柱の神々によって、世界は平穏に治められていた。そしてそんな神に敵対する『偽神』と呼ばれる存在が現れ、魔物と呼ばれる僕を生み出し神々に戦争を仕掛けた」


 始まったのは、歴史というよりは神話だった。

 まさかそこまで遡るとは思わず、吸血鬼が『穢れ』とされている問題の根深さのようなものをひしひしと感じる。


 もうすでに、なんとなく諦観のようなものが、陰鬱な感情を呼び込むのが分かった。それが逆に、一見して冷静さと同じ効果を齎しているのがよくできた冗談だった。

 

「その偽神とかいうのは結局敗れたんですよね。こうして人間の世界になっているんだから。魔物なんてもの、オレはまだ見てもいないです」

「ええ。結果として人間は勝利した。ただし、偽神の遺した呪いは世界に残存した」

「…………呪い?」

「そう、呪い。代表的なのは2つ。

 1つは魔物という存在。これは、まあ魔法を使う怪物とでも思いなさい。魔法器官や魔石について今語る必要は無いのだし。

 坊やはまだ見ていないといったけれど、魔物は未だに存在し続けているのよ。勝手に繁殖して、まるで普通の生物と同じ様にその命を紡いでね。

 教会は魔物という存在そのものを『穢れ』として、長期的には全滅させるつもりの様だけれど、今更もう難しいでしょうね。そこまでの熱量も感じられない」


 そうツラツラと魔物が世界に定着しているようなことを言われても、さっぱり想像ができない。魔法を使う怪物とでも思えというが、そもそも魔法なんてものもよく分かっていないのだ。

 

 いや、それよりも重要なのは、ここまでの話は創造された御伽の話ではなく、単なる歴史的事実を語っているらしいということだろう。


 神と敵対した存在の影響が、未だ世界に残っている。なら偽神も存在したんだろうし、それを退けた神々も実在したんだろう。

 いや、神々は戦いに勝利した以上、今も世界を治めているのだろうか? だとしたらなぜ魔物なんてものを滅ぼさないのかが、漠然と不思議だった。


「何か聞きたいことがありそうね」

「えっ」


 わざわざ話を止めて訊いてくれるのが意外で、一瞬何を訊けばいいのか分からなくなる。

 何とか錆びついた思考を動かして正気に戻る。


「あ、まあ、その神様たちは今どうしてるのかなぁ、と。教会がオレを殺そうとするなら、神様にも狙われてるってことですよね? なんだか全然現実味がないけど……」


 そう。神々を信仰する教会がオレを狙うなら、それは当然神々の意思に則しているはずだ。ならつまり、神とかいう得体の知れない存在からも逃げ隠れしないといけないことになる。


 こうなってくると当事者意識なんて、なんだかもう持ちようもない次元の話になってしまう。


「もうずっと昔に消えているから安心なさい」

「消えてる? 死んだってことですか?」

「いいえ違うわ。

 偽神との戦いによって、この世界は神に相応しくないほどに穢れてしまった。だから神々はこの世界から去り、『天蓋園』と呼ばれる高次の世界に移ってしまったのよ。天国、と言えば分かりやすいかしらね。

 だから教会は世界の穢れを滅することで、再び神々を呼び戻して、また世界を治めてもらうのを目的としているわけね」

「……読めました。それでオレも神々に相応しくない存在だから消えろってことなんですね。オレがいるせいで神様が帰ってこないって、そいつらは思ってる」

「察しがいいじゃない。

 さっき言った2つの呪い。そのもう一方が真祖という存在。偽神の遣いとされる、世界最大の呪いよ。

 だから厳密には、狙われているのは坊やではなくルカちゃんね。ただ、坊やは真祖の眷属になった。当然抹殺対象よ」

「真祖が、呪い……?

 なんだってそんなことになるんですか? だって、そんな昔にルカはいないのに、なんでルカが今さら狙われなきゃいけないんですか……! ルカの先祖が何かしたって、ルカ自身には関係ない!」


 あまりにも唐突で理不尽な話だった。

 勝手に呪いだなんて言われて、よくわからない教会の連中に命を狙われる? 無茶苦茶だ! 一体なにを思って、何を根拠にしてそんなことを喚き出したんだそいつらは?!


 思考が一気に加熱される。自分でも不思議なくらいで、オレ自身のことには碌に反応しなかった怒りという感情が、ルカについては自分のこと以上に敏感に反応した。


 オレの憤慨は本当に予想外だったらしい。

 ルカが戸惑いの目を向けてくるのが視線を動かすまでもなく分かった。けど、そんな戸惑いこそ理解できなかった。

 ルカもルミィナも、まるで真祖が狙われること自体を完全に受け入れてる様で、そんな事実がまた悲しかったし、悔しかった。


 ルカは、せめてルカだけは、こんなオレ以上に怒っていいはずなんだ! 嘆き、糺す権利が誰よりもあるはずなんだ!

 自身が排除されるべき呪いだと受け入れるなんて、しなくていいはずなんだ……。


 そんなオレの思いは、きっとそのまま伝わったんだろう。

 ルカは何を考えているのか、その胸中すら漆黒の瞳に隠して、けれど少し悲しそうに口を開く————その直前、ルミィナがあっけらかんと告げる。


「『真祖は呪いであり、人類の敵対者であり、世界に6度顕れる』という内容で聖書に記述があって、

 現にこれまで5度顕れて、

 現に人類と敵対し、

 その全てが多大な犠牲を以て討伐されてきたからでしょうね」

「……………………は」

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