人外の少年と怪物の少女
「坊やの種族はね、“吸血鬼”と呼ばれるものよ。他者の血を取り込むことで活動する吸血種。その中でも最上位に位置する種族ね」
「吸血鬼……」
なんとなく聞いたことがある気がする。
うまく思い出せないけど、自分はそれをどこかで聞いたはずだ。
…………思い出せない。ただ、頭の隅にいるもう1人の自分が、それがとんでもないことであると警鐘を掻き鳴らす。それが確かな怖気となって背筋を這い上がるのを感じた。
取り返しのつかないことになったと判断した身体が、バカみたいな量の冷や汗を吹き出させる。
「この吸血鬼には二種類あるわ。一つが、元から吸血鬼として生まれた者。これが“真祖”。もう一つが、“真祖”の血を与えられることで吸血鬼へ生まれ変わった者。これは“赫徒”と呼ばれているわね」
“真祖”は生まれながらの吸血鬼。
“赫徒”は生まれ変わりの吸血鬼。
オレの場合は人間から吸血鬼になったから、つまり“赫徒”だ。
しかし、これではっきりした。
やはりどうやっても、オレは人間ではないんだ。それを他人から宣告されて、ようやく未練にトドメが刺される。なのに、どうしてかオレは…………安堵していた。
「あ……」
ルカの驚いた声。
それで、自分が涙を流しているのに気付いた。
オレは、人間だった。過去形だとしても、ちゃんと人だったということが、どうしようもなく嬉しくて、安心した。けれど同時に、そうでなくなったという事実がたまらなく孤独だった。人間であった安堵と、大切なものと決別したような喪失感。それらが同時に迫り、混ざり合って滴となってこぼれ落ちた。
「アトラ」
いつの間にか、ルカは隣にいた。震える手を、ルカの両手が包み込む。不思議と、それだけで感情の波は落ち着いてくれた。
「ごめん……はは、もう大丈夫。ありがとう、ルカ」
不安に揺れる瞳に、オレはできる限りの笑顔で言った。ルカは数秒、オレの顔色を観察してから、覗き込むようにしていた顔を離す。隣から移動する気はないらしい。
そんなルカの様子を見て、唐突に、あることに思い至った。
「ルミィナさん…………オレが“赫徒”ってことは、オレは“真祖”の血を……」
「そうね。坊やが“赫徒”として吸血鬼になったのなら、坊やに血を与えて眷属とした者——“真祖”がいるはずよね」
そう、アトラという人間が“赫徒”としてここにいる以上、オレをそうした存在がいる。
そして、オレを助けたのはルカであるとも言われた。
なら、一体どう助けたのか。助かるとは、何をさすのか。
「簡単なことよ」
ルミィナの視線が、オレの隣へと移動する。ルカは俯いていた。
「言ったじゃない。坊やはルカちゃんに救われた。それが人間でなくなった理由だって。人間なら助からない傷だもの。救うなら、人間でなくすしかないでしょう? だからそうした。それだけよ」
理路整然と、ルミィナはなんでもないことを告げるように、当然のこととして口にした。
「ル……カ…………」
声が震える。どんな感情がそうさせるのかは、オレにも分からなかった。ただ、ルカはそれを怒りと受け取ったようだった。
俯いていたルカは、オレの声に一瞬ビクリとすると、
「うん……。私が、アトラを眷属に……“赫徒”にしたの」
そんな罪を、告白した。
そう、その様は本当に罪の告白そのもので、断罪に怯える咎人を連想させた。
「ルカが……吸血鬼?」
我ながら、なんて白々しい。
ついさっき、おそらくそうだろうと予感はしていたはずだ。オレが眷属であるという時点で、いったい誰の眷属となったかは明白なことで、つまり彼女が何かもまた自明。
ただ、そんな白々しさを糾弾する自分がいる一方で、しかし本心からの反応でもあったのだ。
だって目の前にいる少女は、およそ吸血鬼らしさを感じない。吸血鬼について詳しくはないが、本で調べるまでもない。オレが吸血鬼なら、あの村でのオレ自身を思い出せばいい。
悍ましく、浅ましかった。殺した男の吐いた血を、飢えた野犬のように這いつくばって舌を出し、地面の砂や土と共に舐めとった。
あれが吸血鬼だ。あれがオレなんだ。なんて穢らわしい存在なのかと虫唾の走るほどの醜悪さ。それがオレだ。
しかし、あの姿をルカに重ねることはできない。似ているところなんて皆無で、獣性のカケラも感じない。それどころか、いっそ人間よりもずっと人らしいじゃないか。
「うん……あのね? あの……あの時のアトラ、すごい傷で……見た瞬間に死んじゃうんだって分かったの……」
いつまでも来ないオレを心配して様子を伺いに来たルカが見たのは、見るも無残な姿だったはずだ。
友人がそんな状態で倒れているのを見た時のルカの気持ちは……オレには想像できない。
けど、ルカの目にあるのはそれを思い出した悲しみだけじゃない気がする。
助けてくれたのになんで、なんでそんなに苦しそうなんだ……。その目に罪悪感を宿すのは、何故なんだ。
「だから、私の血をあげて……眷属にしちゃった。アトラを……人間じゃ無くしちゃったんだ。……ごめんね」
「あ————」
迂闊……だった。
元々は人間だったオレを、助けるためとはいえ人外に変えた。それをまったく気にしないでいられる訳がないじゃないか……。
重ねて、さっきからオレは“人間”にこだわって…………目の前でそれを見せられる続けているルカは、一体どんな気持ちでオレを眺めていたのか…………。
「————————」
心臓が動いてないと知った時の感情を覚えてる。
あの時オレの中にあったのは…………絶望だった。
心臓が止まっていて、なのに生きていて……あの時抱いた絶望は、何に対してのものだったか。
死んでいると思ったわけじゃない。
むしろ、生きていることに絶望した。
何か、大切な約束を破った気がして。
何か、大切な夢が砕けて消えたと分かって。
それが何なのか、記憶のない身では分からない。
それでもオレは、助けられたんだ。
どんな事情はあれ、助けてくれた人にこんな表情をさせていい訳はない。
なら当然、言うべきことは決まっていた。
「……………………」
ルカは不安そうな目でオレを見ている。
オレは——
「ありがとう、ルカ」
「え——?」
ありったけの想いを込めて伝えた。
ルカは変な顔で固まっている。
だからもう一度伝えた。
「ありがとう。ルカのおかげで助かった。こうして生きてるのには本当に……感謝してるから」
「え、あ、アトラは、怒ってない……の? 勝手に眷属にしちゃったし……これからすごく、大変になっちゃうけど……イヤじゃ、ないの?」
きっと、人間の頃の記憶があれば違ったのかもしれない。以前の自分と、変わり果てた自分。それを比較できない今ですら、これだけの衝撃を受けている。それが、もし記憶があればどうなるか。そのときのオレは、それを恨まなかったか。嘆かなかったか。
それはあくまで仮定の話だが、どうなるかは分からなかった。けど、それでもハッキリしていることがある。それは、オレは生きていて、生きているのはルカのおかげで、そんな命の恩人に恨みを向ける理由は皆無ってことだ。
「今のオレはルカのおかげで生きてるんだから、感謝しかないよ。助けてくれて、本当にありがとう」
「————————」
ルカの目が見開かれる。
オレの伝えたいことは、これが全てだ。
もしかしたら、記憶のあったオレなら恨み言の一つや二つ口にしたのかも知れない。でも、今のオレが伝えたいことは感謝だけだ。
再び俯いたルカは、袖で目元をぐしぐしとして———
「うんッ、どういたしまして! これからもよろしくね、アトラ!」
満面の笑みで、そう言ってくれた。すごい力で手が握られ、ブンブンと振られる。それも、なんだか悪い気はしなかった。安心した。
「良かったわね、ルカちゃん。……まあ、ここで恨みを向けるようなら消えてもらうことになったから————おめでとう坊や。ひとまずね」
抑揚のない声が、距離を無視して耳元で囁いた。『消えてもらう』という言葉が、『退室してもらう』程度の穏便穏当な意味でないことは、ルミィナの目を見るまでもなく明らかだった。
「ん、アトラ?」
「ぃゃ、な、なんでもない」
ルカに手を握られてる間、冷や汗が止まることはなかった。『消す』という選択肢を、この魔女だけは未だ手元に残している。
実際、オレは未だにこの魔女のことを知らない。けれど、少なくとも味方ではあるという甘い考えは、あくまでオレだけの願望に過ぎないことを、その声の冷たさだけが告げていた。
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ルカとの和解?が済み、しばらく雑談をしていた。
ルカの話では、前のアトラは今のオレと少し違ったらしく、人格が変化しているのも吸血鬼化の影響かもしれないとのことだった。
まあ多分それ以外にも、そもそも記憶を失って以降も、失う前と同じ人格であり続けるものなのかは微妙なところだ。
ただ、根本は変わってないんじゃないかというのがルカの所見だった。ある事柄に対して抱く感情は同じであり、ただその表現や反応が変わっただけだと思う、と。
ここら辺は、記憶のないオレには検証できない。きっとルカにしか分からない部分だ。
その他にも、ルカはオレの記憶を埋めようといろんな話を聞かせてくれた。時々嘘みたいに人格者なアトラが出てくる度に、オレは本当に脚色されていないのかを疑わなければならなかった。
そんな話もようやく一区切りして、ルミィナが唐突に言った。
「さて、ルカちゃんが満足したところで本題に入りましょう。坊やにとっては命に関わることだから、今知っておかないと面倒だもの」
「命に関わること?!」
どこか弛緩した気持ちが、ルミィナの言葉で一気に張り詰める。
「ええ。坊やにはまずこの国のことを知って、自分の立場を認識してもらわないといけないわ」
ルミィナは酷薄な笑みを一瞬浮かべてから、“本題”を口にする。オレはルカの言っていた『大変』の意味を、ちっとも理解していなかったことを知ることになるのだった。




