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“穢れ”し少年の吸血記 〜聖騎士の息子は、真祖の少女に救われた〜  作者: Gerbera
2章 逸脱の歩み

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ちぐはぐ

 ルカに連れられた扉の向こうは、どこかの洞窟へと繋がっていた。岩の洞窟だ。空気は湿り、濡れた石が濃く香る、そんな洞窟。

 空間全体に、何か大きくて不気味な、くぐもった音が反響している。灯りなんてないのに、躓くこともなく歩みを進められるのは、間違いなくこの眼のおかげだった。そうして歩くこと数分。洞窟の終わりは予想外にも、すぐに視界の先に光源として現れた。音がはっきりとした輪郭を持ち、洞窟内部の空気が外気によって掻き混ぜられているのを肌に感じる。

 洞窟を抜ける。


「————————」


 そこは何かの岩山で、その高い崖の上にオレは立っていた。雄大な自然を、汚れなき清澄な樹々の海を眼下に見下ろしている。


 雨が降っている。針のように細く、そして冷たい雨が。

 空はどこまでも厚い雲が覆う鉛色で、どこかあの村での目覚めを思い出させる。だからだろうか、重苦しい空は、そのまま気持ちも重くするようだった。


「すごい光景だな……なんだかすごく、大きいって感じがする」


 視界を上下に、重い鉛色と深い緑色とが二分する。

 そんな光景を前に、つい感嘆が漏れていた。自分の語彙力の無さに辟易することすら忘れるほど、本当に自然と溢れた心の声がそれだった。


「『聖ニンファの大森林』っていうんだって。ニンファっていう人が、昔ここで修行したからついた名前みたい」


 雨音の中、ルカの声は耳に心地良い。

 森からは雲のようなモヤがそこかしこから立ち上がっている。

 熱い身体を、森の息吹と冷たい雨が冷ましてくれている気がした。


「それで、これからどうするんだ? 人なんていなさそうに見えるけど」


 声は落ち着いているのに、心は弾んでいた。

 だってルカと一緒の狩りだ。楽しみにもなる。


「えっとね、この森を通る街道が何個かあるの。その中で、大体おんなじ時間に通る馬車があるから、それを待とう? きっとそんなに待たないと思うから」


 なるほど、ちゃんと獣道は把握しているわけだ。

 ここの他にもいくつかの狩場も持っているんだろう。

 なんとなく、ルカからは慣れを感じた。


「分かった。じゃあ……って、ここからどうやって降りれば良いんだ?」


 張り切って行ってみようと、崖の際まで進んではみた。

 角度のせいで見えないだけで、もしかすると階段なんかが見えてくるかもしれないと期待したのだ。

 けれど————


「……ぅ」


 崖はやっぱり崖だった。

 見下ろしても、足場としてはあまりにも攻撃的形状をした岩が、その先端を向けてくるだけ。

 一度足を踏み出せば高速で転がり落ちて、ところどころであの岩の先端に衝突し、見るも無残な肉となるだろう。それはそれはよく解された、ぐちゃぐちゃな肉に。

 そんな場面を想像しながら見下ろすだけで、不気味な浮遊感に襲われた。クラクラとして、フラフラとするその感覚は、背骨が抜けたように上体を安定させてくれない。

 そうして崖下に吸い込まれそうな身体を、眼下の斜面を吹き上げる風が強烈に押し留める。森が助けてくれているようにも、はたまた拒絶しているようにも受け取れた。


「これ————」


 視界の端に、風に暴れる黒い長髪が入り込んだ。それで、どうすれば良いかと相談するはずだった。隣に並ぶように立っている気配に、視線をやる。いや、やろうとした。


「行こっか」


 そんな、本当に軽い調子の言葉が、風と雨の音と混ざり鼓膜を撫でた。

 ルカの姿が消える。

 いや、視線はちゃんとその動きを追っていた。

 ただ、頭の処理が追いつかなかっただけ。起きたこと、見ていることが、オレにとって起こり得ないことだったからこその停滞。


「ル————?!」


 ルカは眼下の大森林に向かって、何の躊躇もなく身を投げ出していた。

 あまりに強い風によって滑空するような軌道を描いて小さくなって行き、その輪郭が樹々の海に完全に沈む。

 心なしか「キャ~~!」なんて楽しそうな声が聞こえたような気もするが、本当に気のせいかもしれない。


「ぅ…………そ……だろ」


 一人、残される。

 風雨はまるで勢いを落とさず、不規則に、急かすようにザアザアビュウビュウを繰り返す。

 急に、不安に気づく。

 よく知らないこんな場所で、それでもどこか余裕があったのはルカがいたからに他ならなかった。


 今も、きっとルカはオレを待っている。同じことをするのを予定されている。それが一番怖くもあった。今が()()()()なんて、冗談じゃない。

 けど行かないと……オレも、追いつかないといけない。


「グ……ぅ」


 そう思っても、なかなか足は思い切ってくれない。

 翔んだが最後、減速する手段もないままに潰れる未来がいくつも見える。変に躊躇すれば、槍みたいな岩々に身を投げ出すことになるだろう。かといって思い切り翔べば、次に触れるのは母なる大地だ。

 …………破裂、なんて言葉が浮かぶ。何がとは考えたくもない。


「ハ……く——」


 足が震えている。寒さとは違う痙攣。それは足から腰を通して、身体の芯から揺さぶるようだった。

 足だけでもこの身から別れて助かりたがっている。そんな妄想が、まるでバカにできない。


 ——いや、思い出せ。オレは人間じゃないんだ。それに、ルカは慣れた様子でもあったじゃないか。きっと吸血鬼なら大丈夫だったりするんじゃないか?


 雨に湿気った心に、なんとか決意を灯そうとする。だが、妙に冷静な理性がそれを許さない。


 ————いやいや、ルカは真祖だ! 確かにオレは吸血鬼だし、自分が如何に死に難いかは分かっている。それでも、ルカはそんなオレの完全に上位の生物で、『オレが平気ならルカも平気』や『オレができるならルカもできる』はあり得ても、その逆はなんの保証もされないじゃないか! ルカが平気だからなんなんだ?!


 …………でもだからって、ここにいてどうする……?


 吸血鬼としての身体に、まだ心は追いついていない。

 オレにとって“できる”と思えることは、きっと未だに人間の範疇だ。だから怯える。だから震えている。実際にできるのかは知らない。ただできる気はこれっぽっちもしてくれない。


「……ゆっくり降りれば……行ける、か?」


 縋るように見つめたのは、眼下の崖。こうして見るとまるで垂直に見えるが、実際には急ではあれど坂と言えなくもないはずだ。俯瞰して見れば、そこにはたしかな勾配があるだろう。ゆっくりと、確実に足場を捉えて降りれば…………安全に降りられる。当然時間はかかるだろう。けれど、潰れる心配はない。破裂もなし。これ以上はないし、これ以外にない。

 懸念点はただ一つ。濡れた岩がどれだけ滑るのかわからないというたったの一点。


「よし……もうそれしかないだろ! 戻っても今のオレじゃルミィナさんもまともに見れないんだから、このままじゃ帰れないんだし。これしかない……もうこれしかない、……うん、よし……、よし!」


 誰もいないのに、一体オレは何を言っているのか。いや、誰に言っているかなんて決まってる。オレ自身にだ。

 そしてようやく、足はこの案で納得してくれた。


 崖際の岩に座り込む。そのまま眺望に背を向けて、ゆっくりと慎重に足先で岩を探る。硬い感触に触れた。

 

 片足を乗せる。

  

  体重を預ける。


  片手を崖際から離し、触れた岩を掴む。


   胸を崖に擦るように、ズリリと降りる。

   濡れた岩はザラついた部分とツルツルした部分がまだらに存在していた。

   変に滑る部分もある。掴む力を一層強めた。


   もう片足を別の岩に乗せる。


    体重を……預ける。


    崖際から最後の手を離し、手探りで岩を掴む。


     ズリリと、降りる。


 それを繰り返した。神経をすり減らしながら、全身を使って少しずつ。

 森に背を向けると、森の息吹に思えた風はまるで怪物の呼吸のように、その印象を変化させる。崖際でオレを支えていた見えない圧力が、今はオレを叩き落とすために機械を伺っている。その力には強まるときと弱まるときとがあり、オレは強ければ止まり、弱ければ降りるを繰り返した。こういうとき、雨は風の強さをより分かりやすくしてくれた。見えないはずの風の強弱を、体感する寸前に、音の予兆として教えてくれるのだ。


 そうして降下を繰り返す中、徐々に動きはパターン化し、どこか余裕が生まれつつあったとき——


「ぅわッ?!」


 嫌な振動の直後、体重に耐えきれずに折れた岩の破片が崖を転がっていった。

 反射的に必死に両手に力を込めて、きっと全力で岩を掴んだと思う。それが拙かった。


「っエ……?!」


 バカンッという手応えと浮遊感。手には()()()()()()砕けた岩の破片。

 「滑落」なんて単語すら浮かばない。「しまった」なんて常套句も遥か遠い。ただ血の気の引く冷たさだけが全身を巡る。


「ぇあ、ああああああぁああぁあ?!?!」


 視界は回転し、今の自分の姿勢もよく分からない。

 バタバタと不規則に暴れる腕と、時折見える足。とんでもない加速感。衝撃のたびに浮遊感と静寂が訪れ、また硬く冷たくザラついたものに殴られる。


「ぐぅぅうぅううう————!?!?」


 必死に身体を丸めた。それでもう周囲が見えなくなっても、今は視界なんてなんの役にも立たなかった。ただただ怖かった。歯を噛み締めながら、やってくる()()()に一層身を丸くした。


 いつまでも続くように思えた落下は、不意打ちの衝撃によって終わりを告げた。


「がッ————?!」

 

 一際強い衝撃。巨大な壁に打ち付けられたような衝突。丸めた背を打ちつけるそれが、畳んだ四肢と頭を強引にこじ開け、落下の勢いそのままに壁へと叩きつける。理性が、その壁こそがきっと地面なのだと告げていた。


 体内で暴れる残響と、後頭部から広がる痺れ。それらは盛大な耳鳴りと共に、視界を明滅させる。


「——ヵ、ぅ」


 その明滅も治まると、視界は木々の枝葉と、その奥の鉛色の天蓋を映していた。なのに、まだ回っている気がした。この感覚と、この視界。どちらが現実で、どちらが幻覚なのかも分からない。


「……………………」


 放心する。そうしている間にも、落下してくる石とか砂とかがどこかの葉を叩くのが、雨音の中でもよく聞こえる。風は静かだった。


「…………あ……あー」


 なぜかすぐに起き上がるのではなく、声が出ることを確認する。全身は脱力している。力を込めようともしていなかった。


「生きてる……オレ、生きてるよ……」


 声にすることで、ようやく信じられた。視界外の右手を上げる。視界内に、手のひらを入れるつもりだった。

 違和感の後、肘がおかしな方向に曲がった右腕が、ゆらりと視界に入る。


「……………………」


 パタリと、視界から異常を外した。右手の甲に、濡れた地面の感触がしたことに安堵する。

 左手は無事だ。足を確認する。少し身体がくの字になっているらしく、少し頭を持ち上げるだけで足は見下ろせた。

 力を入れて、バタバタとさせる。反応に異常はない。感覚も正常。


「ふっ……と」


 起き上がる。脱力感はなくなっている。問題ない。

 問題は、この右腕だけだ。“狩り”に支障が出ないように気をつけないといけない。


「ん? ————本当にすごいな、この身体……」


 固定できる枝でも探そうかと思い、何気なく右腕を持ち上げた。すると、さっきのが嘘みたいに、完全に元通りの右腕がそこにはあった。力を入れたり、振ってみたり、地面を殴ってみたりする。問題ない。オレの知っている、オレの右腕だ。服はひどいことになっているが、身体には傷一つなくなっている。


 崖を見上げる。急峻な岩山。その頂上は寒気を覚えるほどに遥か高い。


「ふ、へへ、ハハハ、あははははははは!」


 何かに勝ったような優越感と、何に対してかも分からない達成感。そして自身への高揚感が声を上げる。

 哄笑は、木々の狭間からルカが現れるまで続いた。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



「もう、アトラが遊んでるからだよ」

「ごめん……」


 森を駆けている。

 手入れなど当然されていない、木々や蔦や蛇みたくのたくる根などを避けつつ駆けている。

 すぐ前には、ルカの背中があった。黒を基調とした、とてもこんな場所を走り回るには向かなそうな服装。しかし、雨にも拘わらず汚れどころか濡れた痕跡すらないのはどういうことなのか。

 比べてオレは全身びしょ濡れで、服だって土やら砂やら植物の汁やらで酷い有様だ。おまけに肘や背中の部分が破けてもいる。


「これ、服さ……怒られるかな?」

「呆れられちゃうね」

「…………」


 それだけで済むことを切に願う。かなり、相当に本気で願っている。

 ルカは、ルカ自身が同じことした場合にどんな反応をされるかを念頭にしているところがある。だから、今の言葉で安心することはできないのだ。オレが知りたいのは、()()()やったらどうなるかである。ルカで呆れられるなら、オレなら一体全体どうなるのかって、そういうことである。ルカがやったら大抵許されるに決まってて、オレがやったら大抵許されないという、そういう前提を真正面から見つめた上での推測を訊きたいという————なんだか悲しくなってきた。


「燃やされるのかなぁ————ぬべッ?!」


 注意が逸れて、窪みに足を引っ掛けた。鼻先を地面の木の根に強かに打つ。もう何度目とも知れなかった。


「アトラ、不器用さんだね」

「ぐ……」


 立ち上がり、また駆けた。またも少し速度が落ちているのは、ルカの気遣いだった。

 最初はもっとずっと速かった。しかし、どういう訳かオレがうまく走れず、速度を落とした。

 いや、理由は大体分かっている。速く走ろうとすると、加速するほどに身体が跳ねて走れなくなったのだ。おそらく、オレの体重に対して脚力が強すぎることが原因だと思う。

 走るということは、つまりは地を蹴ることで身体を浮かせ、それを一定に保持するということでもある。地を蹴る力が強すぎれば、それは跳躍へと変わってしまい、加速は頭打ちとなる。

 理解できないのは、どうしてかルカは平然と走ることができることだが、ともかくオレが走り続けるためにも速度を落とす必要があったのだ。

 これによって、まず大きく減速した。

 

 二度目は、オレが樹を躱せずに衝突したことをキッカケに、またも減速した。だってあんなの無理だ。急停止にも限界があるし、曲がろうにも小回りの効くような速度じゃなかった。

 解せないのは、これもルカは問題なく樹々の間を縫うように進めていたことだ。が、兎にも角にもオレが走り続けるために、やはり速度を落とす必要があったのだ。

 そうして更に減速していた訳である。


 で、三度目以降の減速は全部これ。躓いて転ぶ。今みたいに。

 いや、だって無理だろこんなの。走りながら視界に映った足元の状況も判断している訳だが、いきなりこんなの頭が追いついてくれない。もっとこう、慣らしみたいなものがあって良いと思うのだ。

 たぶんルカにはここら辺の地形も分かっているんだろう。ただ、ここでの“狩り”に慣れていないオレではそうはいかない訳で。


「やっぱり、私が抱っこ——」

「それはいい」

「でもね、アトラ——」

「大丈夫」


 そうしてこれまた何度目かの提案を、これまた同じように却下する。ルカに抱えられて運ばれるのは、なんというか失ってはいけないものを失いそうな気がした。ルカは徐々に主張を強めつつある。速やかに話題を転換する必要があった。


 視線を前方に固定して、視界全体で地形を把握しながら、話題を探した。ルカが食いつくような話題でないとダメだ。それでいてオレも知っていることでないと、きっと唐突すぎてやはりダメ。


「そういえばさ、ルミィナさんが付いてこないのは意外だったな」

「ああ、うん。ルミィナは今日忙しいから」


 ————来た! これだ!


「忙しいって、なんで?」

「今日はお客さんが来るんだって。ルミィナのお仕事仲間? みたいな人」

「へぇ、お仕事か——」


 存外に、この話題はルカが食いつく以上に、オレも気になる話を提供してくれそうだった。

 ルミィナにも当然仕事はあるだろうし、それによって莫大な収入を得ていることは想像に難くない。ただ、具体的にどんな仕事をしているのかはよく分かっていなかった。

 本を書いていることくらいしか知らないが、作家だったりするんだろうか? それとも研究者か?


「っ、ルミィナさんって、どんな仕事をしているんだ?」


 躓きそうになったのを、なんとか踏ん張り、誤魔化す。


「色々なことをやってるよ? 今日来ているのは『魔女協会』の偉い人」

「『魔女協会』?」


 なんだかいかにもルミィナにぴったりな組織名が出てきた。

 ……ルミィナみたいな人が集団を作っているのだろうか……うぉ、ぉ。


「それは……どんな組織なんだ?」


 勝手な想像に冷や汗が出るときの、あの毛穴の開いた感覚がした。実際には雨に濡れているから分からない。


「いろんな国で魔法の研究や教育をしてるんだって。ルミィナは『教国支部』の支部長っていうお仕事をしてるの」

「へー」


 国を跨いだ研究機関の、支部長。支部長というのがどれほどの地位なのかは分からないが、ともかく偉そうな感じがする。予想はしていたが、かなりの地位を持った人間であることは確からしい。


「今来ているのは、『魔女協会』を作ったすごく古い魔女。【白き無謬の魔女】って言われてる人なの。会ったことないけど」

「白き……?」

「【白魔】って呼ばれるのが多いみたいだよ?」

「『教国』でもそうだったけど、略すのが好きだなみんな。けど、会ったことないんだな……まあ、そりゃそうか。オレも会わない方が良いってことなんだろうな、きっと」

「うん。すっご~く悪い魔女だって、ルミィナは言ってたよ」


 魔女はみんな悪いだろ、なんてことはかろうじて言わなかった。

 しかし、なかなか興味深い話だと思う。ルミィナについての情報は現状貴重だ。この際だからもう少し理解しておきたい。


「ふっ」


 ルカが跳んだのに合わせて、オレも跳ねる。割れ目みたいなものがあったらしい。ルカが前にいるおかげで、オレでは気づけない地形もなんとか対処できている。こうやって多少の考え事ができるのもそうだった。


「『魔女協会』ってことは、魔女しか加入できないってことか? それだと色々と研究の効率悪そうだけどな」

「【魔女】しか入れなかったら大変だよ。世界中さがしても10人いないもん」

「? 魔女って、魔法を使える女性のことだろ? 魔法ってそんなに希少なのか?」


 その割には、オレの部屋には魔法関係の本が多くあった。そもそもそんなに魔法を使える人間が少ないなら、研究も教育も困難極まる気がする。


 そんな疑問を含んだ質問に、ルカは少し戸惑ったような沈黙のあと、こっちに顔だけ向けてくる。


「【魔女】って、魔法を使えるだけの人じゃないよ、アトラ」

「あれ、そうなのか? てっきりそういう意味だと思ってた。じゃあ、どういうのを【魔女】って言うんだよ」

「一番すごい魔法を使える、女の人のこと」

「いちばんすごいって、なんだそれ?」

「詳しくないから、帰ったら一緒に調べよ? とにかく、ルミィナはすごいってこと!」


 一番気になる部分でお預けを食う。ただ、一緒に調べようと言ってくれるのは、とてもルカらしくて安心する。

 ルミィナがすごいって部分はそもそも知っていた。嫌ってくらいに叩き込まれている。

 まあ一応、今の所は味方であってくれる後見人が、社会的にも実力的にも頼りになるということらしい。

 しかしその反面、そんなルミィナと同格であろう【白魔】や他の【魔女】たちの存在をどう考えれば良いのか。それが分からなかった。

 そんな連中と万が一敵対した場合、オレは生き残ることができるんだろうか。


「いや——」


 それ以上に、ルカを守れるんだろうか。

 それだけが、漠然な不安として胸に残った。


「ぁべぇッ?!?!」


 思考に沈潜したせいだ。何度目とも知れない顔を叩きつける感覚。

 今までと違うのは、直後に浮遊感があったことだ。

 訳も分からず身体が柔らかい衝撃に包まれる。気づけばオレはルカの両腕に抱き上げられていた。


「もうダメ! 危ないし遅い! アトラはわがまま禁止!」

「ちょ、待ったルカ——」

「待たないから身体を丸くしててね。ぶつかっちゃうよ?」

「ッ————」


 言い終わるや否やの爆発的急加速。雨粒が礫のようにバチバチとあちこちを叩く。樹々が嘘みたいな速度で後方へ吹っ飛んでいく。頭上スレスレを、樹皮がすれ違った。底冷えするような音を、頭皮で聞いた。


「ぁっぁああああああぁぁぁあああああああ!?!?!?!?」


 崖から落下したときよろしく、オレは全力で小さく丸くなるほか無かった。

 だがそのおかげで、移動時間は相当に少なくなったはずだ。オレが思うよりずっと、狩場は遠く離れていたのだ。これだけ急いでもなお、狩場へ着くころには辺りは一層暗くなっていたほどに。


 雨は相変わらず強い。


 着いてすぐに、徐々に香るソレに直感した。

 

 狩りには、間に合ったのだ。

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