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“穢れ”し少年の吸血記 〜聖騎士の息子は、真祖の少女に救われた〜  作者: Gerbera
2章 逸脱の歩み

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吸血という悦楽

 雨が降っている。

 森を引き裂く街道に、荷馬車が3台、雨に打たれて止まっている。

 生者の気配はない。ただ、生者だったものがあった。

 オレがやったらしかった。


 目の前に横たわる家族の姿。

 守ろうとして死んだ父。身を差し出して逃がそうとした母。それでも守られなかった子。

 オレがやったらしかった。


 辺りに散らばる死屍累々。その多くは萎びている。

 潤っている自身の充足感が、そのままオレの罪だった。

 オレが…………やった……。


「アトラ?」


 誰かの声。

 雨に混ざった誰かの涙が、雨と間違えようのない感触がほおを伝い落ちる。


 静かだった。静かになってしまった。静かにしてしまった。


 雨に薄れた赤色が、恨めしそうに広がる。揺蕩う。


「…………終わらなきゃ」


 終わろう。終えてしまおう。こんなもの、存在していいはずもない。

 色々なことが間違いだったけど、強いて一つ挙げるなら——


 ————生まれたことこそ、間違いだった。


 万が一にも、『"オレ"が選択していなかったことだから罪はない』なんて奇跡があったとしても、この穢れを前にしてなお生き続けようとするのなら——


 ————そんな選択こそが、罪だった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「フゥーーーーーーーッ………………寝れない!」


 自室のベッドで横になりながら、オレはまぶたを体感3時間ぶりに開いた。真っ暗だ。

 窓はないが、まだ外も真っ暗な時間帯だろう。

 光源もないこの部屋は、昼間なら不思議と快適な明るさを保ち、夕暮れに合わせて茜に染まり、そして夜には何の光も失ってしまう。

 この部屋が暗いということは、外もまた暗いということだった。


 もっとも、真っ暗と言ってもオレの目は周囲に何があるのかを完全に視認している。光源もないのに何を見ているのか。

 流石に読書には向かないが(もう試した)、行動するなら本当に便利な能力だと思う。


「どうやって寝てたんだっけかな」


 記憶を探っても、この身体になって以降睡眠をしていない。

 何度かこのベッドには世話になったものの、それは睡眠ではなく意識を失ってのことだった。


 目を瞑っても、眼球がまぶたの裏を見ている感覚がして眠れない。

 それに、何だか気になりだすとキョロキョロと動いている感じがして、まぶたを閉じた状態で視線が迷子になっていた。


 呼吸もそうだ。

 眠る呼吸とはどんなものだったか。これも気になるともうダメだった。呼吸がめちゃくちゃになってしまった。


「ダメだ。ちょっと歩こう」


 結果こうなる。色々と無意識でやっていたことを、その手綱を意識に渡してしまったのが間違いだった。頭を空っぽにする必要がある。


 扉をそっと開ける。何となく足音を忍ばせて部屋からそ~っと。

 連なる窓に招かれた月光が、長い廊下全体を青く白く照らしていた。

 部屋が暗かったからだろう。その月明かりに、眩むような感覚を覚えるのは。


 廊下はどこまでも続いている。

 しかし、後ろ手に扉を閉めて、ふと違和感に襲われた。

 何か、歓迎されていない感覚。

 この廊下に、オレは異物とみなされているような、そんな得体の知れない違和感。


「やっぱ戻——は…………?」


 ————振り返ると、オレの出てきたはずの扉は消え去っていた。



- - - - - - - - - -



「違う……」


 何度目かの落胆。ジリジリとした焦燥感から目を逸らすのも、いい加減に疲れてきていた。

 消えた自室を探して、廊下に立ち並ぶ扉という扉を開くもことごとくハズレを引いている。

 そうしてふと開け放っていた扉が閉まっており、かつその扉の意匠も変化しているのを見つけるに至ってようやく、オレはある可能性に気づき始めていた。


「これ、寝たか?」


 夢じゃないか、これ。

 そんな、極めて真っ当な疑いを持つに至っている。


「うん。たぶん夢だな。これ寝たんだオレは」


 なーんだ、なんて声に出してみる。それなら全てが理解できる気がした。

 だって普通に考えて部屋は消えない。開けた扉は勝手に閉まらないし、風の仕業で閉まっても、だからって部屋まで変わることはないはずだ。


「いつの間に寝てたんだろうなぁ……眠れない気がしていた時点で、もしかしてあの瞬間にはもう眠ってたのか?」


 夢だと思えば気楽なものである。

 オレは悠々と適当な部屋に入り、様々な調度品や部屋ごとの雰囲気を楽しんですらいた。

 部屋はどれも同じものなどない。自分の想像力に感嘆するばかりだ。


 例えば、今入った部屋なんて暖炉があるし、その上に大きな肖像画が飾られてもいる。


「これは……ルカ、だよな?」


 描かれているのは、黒い長髪に白い肌。何となくイタズラっぽい表情も、何となくルカに似ていた。違うのは、どう見てもルカよりも歳が上であるという点だった。

 もしもルカに姉か母かがいれば、きっとこんな外見だったのだろう。もしくはルカが成長した姿ともとれる。どちらもあり得ないことだった。


「ルカは成長しないし、家族もいない。我ながら何だってこんなものを夢に見てるんだか……」


 何となく虚しさを感じた。それは彼女の境遇によるものか、はたまた別の理由によるものか。

 ともかく、オレがこの夢を作っているなら、当然これもオレが作ったものだ。その理由を考えて、思いついたものが救いのないものだっただけ。それだけなのかもしれない。


「ん?」


 ふと、廊下に気配を感じた。

 この夢に入って以降、他者の気配なんて初めてのことだ。

 虚しさと寂しさを感じたオレが、夢の主人として何物を生み出したのか。

 それは何か重要なものな気がする。


 急かされるように部屋を出る。

 青白く照らされる廊下。

 視界の先に、覚えのない両開きの扉から室内の灯りが漏れている。

 それは寒々しいこの廊下に唯一の、暖かな色合いだった。


「————」


 静かな廊下。自分だけの足音。それだけが唯一の音だった。

 部屋の前へ立つ。中からは他者の気配。優しく動く音がする。


 半分開かれていた両扉を、両手でそっと開いた。

 目に飛び込む暖色の光。柔らかな香りと、柔らかな笑顔。


「あっ、アトラ! 一緒にお菓子にする?」


 半ば予想した通り。

 そこに、さっき見たばかりの彼女がいた。



- - - - - - - - - -



「眠らないぃ?!」

「うん」


 思わず発した素っ頓狂な声に、対面に座るルカはあっけらかんと肯定した。

 テーブルには、やたらサクサクした焼き菓子と、淹れたばかりの紅茶が用意されている。黒に銀彩の美しい、怖いくらい薄いティーカップが、オレの声にカチャカチャと共鳴する。


 サンルームというのだろう。昼間なら開放的に違いないガラス張りのテラスは、外より明るい室内を写す漆黒の鏡と化している。

 ルカの背面のガラスに写る、口をあんぐり開けたマヌケな誰かと目が合った。


「言ってなかったかな? 吸血鬼は眠らないって」

「言ってないし聞いてない……あれみんな現実なのか」

「『あれ』?」

「いや、なんか廊下がおかしいんだよ。扉が消えたり増えたり変わったり」

「あはは! アトラは初めてだったね、そこの廊下はイタズラ好きのイジワルなんだ」


 ルカの言うことは本当によく分からない。追求する気力すらなかった。

 ため息をひとつ。すると、ふと疑問が漏れた。


「よく分かんないけど、よく分かんないってことだけはよく分かった……あれ」

 

 全てが本当にあったことなら、あの肖像画は?


「ルカって……あー」

「んー?」

「姉とか……いるっけ?」

「姉って、同じ母体から先に生まれた個体ってこと?」

「え? あ、まあ、そうだな、うん」

「いないよ?」

「だよな! あー例えば、さ」

「うん」

「母親も、いない、よな」

「うん」

「…………か、家族て……いるっけ?」

「————」


 我ながら頭を掻きむしりたくなる。

 変に気を遣おうとして、失敗して、訳の分からないことになっているのが嫌でも分かった。

 ルカは少し考えるそぶりをして、数秒反応しなかった。


 そうしてそろそろそこのガラスをぶち破って、外の漆黒に呑まれて消えたくなってきた頃、ルカはピッとオレを指差した。


「アトラがいるよ」

「————ぇ?」


 屈託のない、あまりに純真な無垢が向けられていた。


「家族ってね、血のつながりとか、血縁とかがあるんだって! じゃあ私とアトラはすっごく家族なの!」

「————————」


 それに、その言葉に何が満たされたのだろう。何に、救われたのだろう。

 その言葉は、その表情は、その温かさは、優しさは——何か心の柔らかな場所を愛しむように包んでくれて……込み上げるものがあった。


「ああ……いいなぁ………………いいなぁ、それ」


 驚くくらいに、優しい声。

 ルカの背面のガラスに写る、優しい表情をした誰かと目が合った。


 その後も、ガラス窓が鏡の役目を終える時間まで、ここで二人、他愛のない話で過ごしていく。


「魔力切れって死ぬのか?!」

「うん。人間ってすごいよね」


 ルミィナがオレを呼びに来る頃、オレたちはすっかり家族になっていた。

 肖像画のことなんて、すっかり忘れるくらいに。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



 ルミィナに朝の挨拶ついでに夜に何をしていたのかと訊くと、大まかに『眠っていたに決まっているだろマヌケ』というような旨の返答をされた。我ながらバカだった。


「喜びなさい、坊や」


 爽やかな挨拶のあとの唐突な言葉。

 なんのことか分からず、ルミィナがゆっくりとひと口を終えるまで、長い時間を待つ。

 そして硬質な音を奏でて、カップがソーサー上に収まったとき、ようやく質問を許された。


「何を……ですか?」

「その渇きを癒せることを、よ」


 じわりと、痺れに似た感覚が胸の辺りから背中、後頭部へと広がるのを感じた。


「生きた人体が届いたのよ。6体ね。2体は使う予定があるけれど、あとの4体は二人で楽しみなさい」


 なにか、とんでもないことを言われている。言われているのだが、何がとんでもないのか、なぜか考えがまとまらない。

 とにかく、とても嬉しかった。


「私、血はいいや。まだいっぱいあるから、アトラにあげる」


 二人が腰をあげる。

 オレも、突き動かされるようにその背に続いた。


 廊下は雰囲気を変えていた。

 月光に冷却されていた空間はあたたかな陽光に照らされて、拒絶的雰囲気は全てを受け入れるような心地よさへと解けている。


 コトコトとした足音が心地良い。

 どこかフワフワとした足取りで、気持ち踵を意識して歩く。

 こうすると、一層コトコトが響いた。


 見覚えのある重厚な両扉が開く。

 前回とまるで正反対の心持ちで、石畳を踏み締める。

 背後の思い音が、今はオレの退路ではなく、獲物の退路を絶っていた。

 一緒に狩りをするような連帯感が心地良い。ようやく迎えられた気分だ。背中を押されてすら感じられた。


「————————」


 もう、見るまでもなく分かる。

 獲物がいる。4匹。全て男。

 香りがした。芳醇な。素敵な。


 視界が開ける。

 いつの間にか、ルミィナを追い越して、先頭にいたらしい。

 無意識に早歩きになっていた。


 いた。見つけた。いるイるいルイルイル。


「あれ、武装してません?」


 意外に冷静な声がした。オレの声だった。

 3匹は槍を持っている。

 腰には剣もある。

 1匹は盾だ。


「ええ。少しは自信を付けてもらわないと、できることもできなくなるでしょう? 色々やってみなさいな」

「私たちはちゃんと見てるからね!」


 『がんばれ~』なんて無邪気な声援を背にしていた。

 ふわふわしている。身体がカルい。


「本当に帰してくれるんだな?! 約束したぞ!」


 盾を持った男が、ナニかイッタ。

 槍のヤツラも、しきりにウナズく。


「ええ、その子を殺すだけでね」


 ルミィナの声が、ヤッパリ耳元で聞こえた。

 ヤッパリ不思議だっタ。


 4匹が喜んデいる。

 オレを殺スと嬉しいラシイ。

 オレも4匹を殺スと嬉シイから、ワラッタ。

 遠いケど、ココからなラ、届くとオモウ。

 思いっ切リ、ふみコンダ。


「あ?」


 コンニチハ


「ァぎャエッ」


 サヨウナラ


 盾ごト貫いた男ノ首元に、牙ヲ深ク突キ刺シタ。


「————————ッ?!」


 瞬間————意識が多幸感に打ち据えられた。

 頭の中の赤い霧が、吹き飛ばされる。


 吸血という言葉から、オレはてっきり“吸う”のかと思っていた。

 違う。まるで違った。

 牙を突き刺した瞬間、男とオレに何か“路”のようなものが繋がったのがハッキリ分かった。


 雪崩れ込んでくる。

 赤くて瑞々しくて熱くて幸せなもの。

 きっと血液と呼ばれるアカが、水が滝口から滝底へ落ちるように、男という“滝口”からオレという“滝底”へ殺到して来る。

 こんな暴力的な幸せ、知らない。

 怖いくらいに嬉しい。やめてと叫びたいほど幸せ。


 全身が渇望していたものを、満たされながら理解した。

 満たされながら、まだ不足していることを知った。

 もっと。もっと。もっとと思ったところで、もう男だったものが空っぽなことに気付く。

 一瞬だった。寂しい。びっくりした。少なすぎる。


「は……うおおおおおおおおおおァ?!?!?!?!」


 半狂乱になっている3匹が、槍でツンツン突いてくる。

 突いてもダメだから、今度はそれで叩いてきて、槍と一緒に壊れてしまったようにそれを繰り返した。

 かゆいし、邪魔臭い。

 邪魔臭いから、腕で払った。


「あれ?」


 どこか見覚えのある黒い爪が、なんだかすごく伸びていた気がする。

 面白いくらいあっさりと、なんの抵抗も感じさせないで、3匹は上半身を下半身から落として、お行儀良く床に額を擦り付けて死んでしまった。

 嬉しい。ありがとう。おいしい。たのしい。


「あはは! アトラ、もうないよ?」

「え?」

 

 気づけば、もうどこにもアカはなかった。

 溢れたものまで、全て舐め取っていたらしい。

 満たされない。渇いている。渇きはむしろ、より増してすらいた。

 渇きの癒やし方が分かった瞬間、身体は遠慮なく注文をつけてくるようだった。


「じゃあ、もったいないから貰うね?」


 無意識に握り込んでいたらしい、死んだ男のへしゃげた腕が、その上半身ごと優しく取り上げられる。

 ルカが小さな口を開けて——


「ん」


 萎びたそれを、無造作に噛んだ。

 

「それ、もうすっからかんだぞ?」


 本当は欲しかったんだとしたら、なんだか申し訳なかった。

 けど、すぐにそうではないと気付く。


「え————」


 パチュンッ、と。

 まるで水泡が弾けるように、その上半身が弾けて消えた。

 死体の数だけ、それは続いた。血の一滴も残らない。

 残ったのは、今の瞬間まで男たちが身に纏っていた衣類だけ。


「私ね、血だけじゃなくって、“全部”もらえるんだって。でもね、あんまり美味しくないんだ」


 ルカが笑顔で言って、立ち上がった。

 それで、どうやらオレが座り込んでいるらしいことに気付く。

 ジクジクとした渇きを覚えながら、その不快感を努めて無視して、オレも立ち上がった。

 立ち上がれば、少しは気が紛れるかと思ったのに、渇きは全く収まる気配がない。


「どう? 少しはマシになったかしら」


 香りが近づいてくる。

 視界に入れるのを、無意識に避けている自分に驚いた。


「そう、ダメそうね。これじゃあ、一度満たさないと話もできないじゃない」


 落胆が伝わってくる。

 咽せるような衝動を、なんとか抑えている。

 不快だった。


「外で“狩る”しかないわね。街道で適当な集団を狙いましょ。——ルカちゃん」


 噛み締める。耐える。勝手に跳ねそうになる肩を、相反する力みで無理やりに抑え込む。


「私が近くにいるのも良くないみたい。狩りは何度か経験しているし、お願いできる? あまりここを離れることは避けたいの」

「うんっ、分かった!」

「今日は三番の扉から出てちょうだい。ちょうど雨の扉だから、待ち伏せには向いているでしょう?」

「はーい」


 手を引かれる。小さな手。

 香りが遠のいていく。

 どこかで聞いた重い扉の閉まる音が、どこからともなく反響し、ようやくオレは正気を取り戻すのだった。

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