紅の側面
「オレを刺した……って、あの槍、だよな……銀色の」
「うん」
居住まいを正す。
これほどに直接的な脅威はない。
今のオレは、魔法以上にあの槍の方がずっと怖かった。
「それで、その『聖印』っていうのはなんなんだ、ルカ」
「えと、そんなに詳しい訳じゃないけど——」
ルカは自分から話を出しておきながら、よく分からない前置きをして語り出す。
「『聖印』っていうのはね? んー……武器とか道具とかに特別な力を持たせるため……の……紋様? なんだって。
似たことができるのはあるけど、『聖印』は特別だってルミィナは言ってたから、うん……すごいみたい」
ルカは懸命に『聖印』について思い出そうと努めているらしい。
その様子を見るに、あまり他人に説明し慣れている感じではないようだった。
正直言ってルミィナの方が説明は上手いだろう。
けど、ルカにはルミィナにはないオレに対する気遣いみたいなものがあって、それだけでたどたどしさなんて何の不満にもならなかった。
どう言えばオレに分かりやすいだろうとか、これじゃ難しいかなとか、そういう考えが伝わってくる。
「ただ……この『聖印』は私たち"穢れ"を浄化する力があるんだって」
"浄化"という言葉を口にするとき、ルカの声から少し張りが消える。
心なしか、微かに表情も翳って見えた。
当然だ。自分を害する力を"浄化"なんて説明しなくてはならないなんて、その度に突きつけられるものがある。
だから——
「なるほど。『聖印』が特別なのは、オレたちが嫌う力を持たせるからなんだな。
他にも力を与える方法はあるけど、オレたちが特に嫌いな力も持たせるから厄介だって、そういうことで合ってるか?」
「…………」
だからオレは、そんな言葉は使わなかった。
オレの妙な言い方に、ルカは一瞬キョトンとする。
それでも、遅れて意図が分かってくれたらしい。
「うん! そうなの! アトラは合ってる、すっごく合ってる‼︎」
その笑みで胸が満たされるのが分かった。
さっきまであった、得体の知れない焦燥感や不安感が消える。
ルカにはそうあって欲しかった。
「それでね、この『聖印』が刻まれたのが『聖具』って言うんだって! 剣なら聖剣、槍なら聖槍っていうみたい」
明るくなった表情を眺めながら、ふと聞き覚えのある言葉だと思った。
あの男の言葉だ。オレを刺した盗賊の男。確かに"聖具"だとか"聖槍"だとかと言っていた。つまり、この『聖印』という特別な技術は、この国ではかなり一般的に知られているということなのかも知れない。
それはつまり、オレを刺し貫いたあの槍みたいなものが、この国には溢れているという最悪の事態があり得るということだった。
「そんなものがあんな小さな村にすらあったなら、結構みんな持ってるってことだよな。…………なんか、改めてキツいんだなって……はは」
そんな弱音が漏れる。今更言っても仕方ないこととは知っているし、こんな言い方をしたらルカが励まさざると得ないことだって分かっているのに。
励ましてほしい。優しい言葉をかけてもらいたい。慰めてほしい。
なんて無様だろう。
そんな惨めな弱音に対して、ルカは少し慌てたように何かを言おうとして——
「それはないわね。同時に存在できる『聖印』の数には限りがあるもの」
——それを、魔女の言葉が取り上げた。
「ルミィナ……さん」
いつからそこにいたのか、ルミィナは相変わらず冷めた目でオレを見ていた。
ルミィナのいる扉の前からはやや距離がある。
なのに、ルミィナが今のオレの浅ましさを見下していることだけは、何故かはっきりと伝わってくる。
「ルミィナ! あ、ちょっと待ってて。今ルミィナの分も用意するから!」
「大丈夫よルカちゃん。さっき部屋で飲んでいたの。ありがとう」
コツコツとした足音が近づいて来る。
コツコツ
後ろを通り。
コツコツ
真横を通り。
ポス
対面に、座った。
「————————」
身体が緊張しているのが、嫌でも分かった。
ルミィナはオレに主従関係を刻むと言った。
そしてそれは、ほぼ完璧に成功したらしい。
刻まれた恐怖は、目を合わせることすら難しくさせるほどだった。
「あら、いいのよ坊や。さっきみたいに『怖いよ~』って続けても。
私が慰めてあげましょうか?
ルカちゃんに慰めさせるなんて、素敵すぎる身分だとは思わない?」
ルミィナには完全に見抜かれていた。
言葉一つひとつが、オレの醜さをほじくり出して晒しあげてくる。
「やめて、ルミィナ。アトラにひどいよ……私、本当に怖かったんだよ……?」
「————そうね、少しやり過ぎたわ。もう、ルカちゃんもそんな顔しないでちょうだい」
「もうしないって、約束したよ?」
「ええ、ええ、約束したわ。ちゃんと守るから、ほら元気を出して」
それは、オレにはよく分からないやり取りだった。
ルカは見たことのない、今にも泣きそうな顔でルミィナを責めている。
泣きそうなのも、責めているのも、それは初めて見るものだった。
「アトラにも、……ちゃんと謝って」
「ええ。——ごめんなさい、坊や。この前は少し興が乗り過ぎたみたい」
「ぅえっ、あ、はい」
急にこっちに振られたから、よく分かりもせずに返答を返してしまった。
だが、オレのその一言で事態は収束に向かってくれたらしい。ルカはまだ表情が暗いものの、さっきみたいな、こっちの胸が締め付けられる表情ではなくなってくれた。
それだけでいい。それだけで、どうにか安心する。
「……………………」
そんなオレを見るルミィナの目は、どこか観察めいていた。
「さ、それじゃあ前回の"試験"の結果だけれど——」
空気を変える、凛とした声。
「しけん……?」
「ええ、試験。耐久試験、したでしょう?」
「っ、そう……でした」
ようやく言わんとしていることが分かる。ルミィナはあの戦いについての話題を口にしようとしているらしい。
あれは"試験"なんてもんじゃない。"躾け"や"調教"に類する何かだ。
「まず、坊やの耐久力について。これは合格。私が保証するわ。坊やを魔法によって害せる人間は、世界でも一握りでしょう。」
「本当⁈ やったねアトラ! ルミィナが言うなら本当だよ‼︎」
「アトラは強いんだよ」なんて、自分ごとみたいに喜ぶルカ。
悪いけど、オレは全然実感がない。
「別に強くはない……だろ」
だって、オレの戦績は全戦全敗だ。
盗賊には刺され、ルカには力負けし、ルミィナには手も足も出なかった。
「それに、魔法なんて使われたら……それこそ頭の中をボンッてされたらお終いだろ。
強くなんて……ないよ。弱い、オレは」
そう、それが怖い。
刺されて灰になるのだってもちろん怖い。
けど、いきなり脳をあの魔弾みたいなので爆散されたら、一体どんな感覚に襲われるのか。
それだって、たまらなく怖かった。魔法なんて得体の知れない何でもありな脅威に、オレはどうやって立ち回ればいいのか分からない。
「それは考えなくていいことよ」
ため息混じりに、魔女は断言する。
「それは考えてもどうしようもないってことですか? けどそれじゃあ、オレは魔法使いに会ったらどうしようも————」
「そうね、『内界』についても覚えていないのは知ってるわ。ああ、本当に面倒だこと」
「ないかい、ですか?」
知らない。一切何も浮かばない。
「そう。完全に自身の魔力が支配している、他者の魔力が干渉できない空間のこと。今は体内空間と思いなさい。他者の魔力が干渉できない以上、そこで魔法を発現させることはできないの。
これはあらゆる生物が持つもの。私はもちろん、ルカちゃんにも坊やにも、この『内界』の保護は存在するわ。
だから、いきなり坊やの内臓を内側から焼く、なんて楽しいことはできないワケ」
「できるならやっていた」と付け加えて、ルミィナの手が虚空を彷徨う。
「持ってくるね」
「ごめんなさい、やっぱりお願いできる?」
「うん!」
どうやら紅茶を飲もうとしていたらしい。らしいのだが、ここにルミィナの分はなかったので、その手が空を切った訳だ。
ルカは軽い足取りで離席し、退室しようとする。
「ルカちゃん。はしたないから、そう忙しなく跳ねないの」
「は~い」
ゆったりと扉に手をかけ、優雅にお辞儀してから退室する。
閉まった扉の向こうから、トトトトという足音が走り去る。聞いちゃいない。
「ふふ、まったく」
指示を無視されたはずのルミィナは、柔らかな表情で足音を見送るのだった。
「……………………」
「……………………」
さて、空気が重い。
思えばオレとルミィナを繋いでいたのがルカだった。
ルカ抜きで対面するなんて、それこそあの"躾け"のときだけ。
リラックスしろというのが、どだい無理な話だ。
「それで、坊やは『内界』について理解はできた?」
「っ、あー、はい。たぶん……大丈夫です」
「そう? 本当にそうかしら」
「————————」
……………………まずい。
冷や汗が滲みでる。
オレは何かを求められているのに、それが何なのか浮かばない。
それが、まずい。
「いや、ちょっと……」
何だ? オレが言いそうなことがあるはずだ。
何を予定されている?
きっと『内界』に関することだろう。
オレが『内界』について理解できているなら、きっと疑問とするべきことがある。
何だ? それは一体、何なんだ?
『内界』とは何か。それは、とにかく何か不可侵な領域ということだったと思う。
体内空間とでも思えばいいらしいから、ひとまずその前提で理解していいはずだ。
この『内界』のおかげで、オレは体内に直接攻撃されるようなことはないという。
そしてそれは、他のあらゆる生物にも共通のことで、つまり互いに体内に干渉できな————
「あ」
オレの、あの視界は?
そうだ、あの紅に染まる視界はどうなるんだ?
オレはアレで、ナニをして来た?
紅いモヤのかかる記憶。そこに手を突っ込んで、薄く、断片的な記憶をかき集める。
紅い視界。
赤い、人形。
赤い……糸。
そう、赤い糸だ。
アレを弄ると、人は死んだ。
アレは、ナンダ?
「思い至った?」
「——はい」
一瞬、なんであの視界のことを知っているのかという疑問が湧く。
ただそれも、他人事として見ていた記憶が教えてくれた。
そう、信じられないことにオレは、あの視界で目の前の魔女を眺めていたのだ。
————なんで今まで、こんなことが思い出せなかったのダロう?
「坊やの魔眼について、使われて分かったことを教えておくわね」
心なしか、『使われた』の部分で怖気が走った気がする。
「坊やの魔眼は、対象の体内の血液を自在に掌握するものよ。だから、坊やが掌握した血をめちゃくちゃにすれば、血液の通う臓器は内側から破裂するでしょうね」
「…………なんですか、それ」
それはまさに、オレが恐れた魔法使いそのものだ。
『内界』の説明と真正面から衝突している。
「それができないって話が『内界』でしたよね?」
「そうね。そしてそれを突破できる者を『内界突破者』と呼ぶわね。
矛盾しているけれど、坊やはまるで魔力を自覚しない『未覚醒者』なのに、その瞳だけは世界有数の『内界突破者』の資格を持つのよ。こんな例は見たことがないわね。ええ、その眼を持つという一点のみでも、坊やには価値があるわ」
何が嬉しいのか、ルミィナの表情は自然な笑みを湛えている。そんな表情を向けられるのは、思えば初めてのことだった。
「……あっ、でもルミィナさんには通用しませんでしたよね? いや、あまりハッキリとは覚えてませんけど、なんかとても困惑したのは覚えてます」
その時の視界は……思い出せない。他人の夢を思い出そうとでもしているような曖昧さだ。
「そう。覚えていないのなら、今見てみなさい」
「え」
「通用しなかったのは覚えているのでしょう? なら躊躇する必要はないわ」
「それ、は……そうですけど」
あの視界に、知っている人を入れたくない。
あれは、良くないものだ。そこに入れるというのは、その相手を殺すという意思表示みたいなものだと思う。
例えば刃物で切れない皮膚を持っているとしたって、オレは冗談でもルカに剣を向けるなんてことはできない。あの顔に切り掛かるなんてこと、出来っこない。その行為そのものが、一種の敵意の表明だからだ。
それに何より————
「あと、どうやってアレを使えばいいのか分かりません」
————やろうとしても、やりようがない。
感覚自体は、何となく分かる気がする。
例えるなら、任意に利き目を切り替えるような、そんな感覚。
こんなのどうしようもない。
「そう————今後の課題ね」
意外にもすんなりと頷いてくれることに驚いた。
もっとこう、「分かりませんじゃないでしょう。やりなさい」くらいのことは言われると思っていた。
そうホッとしたのも束の間。
「あれを多用したら坊やの人間性が消滅するかも知れないから、そのうち魔眼の制御は完璧にしないとならないわね」
ルミィナは、何だかとんでもないことを口にした。
「人間性が消えるって…………何ですか?」
「坊やは自覚がないでしょうけど、ならそうね……今目の前に人がいて、坊やは喉が渇いている。
さ、坊やはどうするの?」
質問の意図が分からない。
分からないから、ごく自然な回答をした。
「渇きを癒しますね。普通に」
至極当然のことだ。
さっきの内界について訊かれたときとはまるで違う、なんの悩みようもない質問だった。
「そう。それを嫌っていたはずね」
「え?」
記憶を探る。
けど、そんな記憶はなかった。
「いや……オレ、別に吸血を嫌ってなんてないですよね?」
「そう。ルカちゃんが何かお願いして来たらどうするの?」
「はい? それは当然、叶えますよ」
「どの範囲で? どんなことでも叶えるということ?」
「いや————」
少し、違和感があった。
けどそれもすぐに霧散して、形を失ってしまう。
だから、これもすぐに応えられた。
「そりゃ、当たり前じゃないですか?」
「でしょうね。けれど、ルカちゃんは人間としての坊やも求めているのよ。
だから、アナタはお呼びじゃないの。早く"食事"をするべきね。ルカちゃんの濃度が強すぎる影響もあるでしょうから。
坊やの眼は、血を使い過ぎるみたいね」
それきり、ルミィナは黙ってしまう。
結局、会話が弾んだやら弾まなかったやら分からない。
ただ、ルミィナの『食事』という言葉に、どうしてか無性に昂る響きを感じたことだけは確かなことだった。
「いいですね。待ち遠しいです」




