第二話
転生して女として生まれ変わってからの一番の変化と言えば、鏡をよく見るようになったことだ。前世では二メートル近い身長に鍛え抜かれた筋肉、そして全身に生える剛毛という、おおよそ「おしゃれ」や「ファッション」といった言葉とは無縁の身体をしていたもので、鏡など、それこそ風呂に入ったときに目にはいるくらいで、意識して見ようと思ったことなど数えるほどにしかなかった。それが何の因果か女の子に生まれ変わると、なかなかに可愛らしいじゃあないか。以前とは違って鏡を見ているだけで楽しい。
腰に手を当てて斜めに構えたり、背中を向けて振り向いたり、女の子座りをして崩れ落ちてみたり。全身鏡を前に低い声でうなりながら様々なポーズを取ってみる。うむ。……うむ。
「今日もかわいい!」
人差し指と中指をたてた両手を横にして顔の横に構え、「きゃはっ☆」と擬音がつきそうな感じで顔をきめる。かわいい。いかにもあざとくてかわいい。
今の身体が女とはいえ、俺の精神はおっさんとして完成している。幸いにも性同一性障害のように心身の不一致による不快感やストレスは感じないが、それでも、違和感というか、この身体が自分自身のものであるという実感が薄いのも確か。だからなのか、こうして鏡の前でポーズを決めて遊ぶのも、ナルシスト然としたものではなく、むしろお人形遊びをしているような感覚に近い。あるいはアイドルの写真撮影会のように、俺の指示で女の子がいろんな姿を見せてくれるのを楽しんでいるのだ。
しかしそういった心情は他人からすればわかるはずもなく、端から見ればナルシストが鏡を見て喜んでいるようにしか見えないのもまた事実だった。以前リコにセルフ着せ替えごっこを見られたときには、ドン引きされてしばらく距離を置かれた。まあ半分くらいは演技だったようで、今ではそんな俺の内面も理解してくれる。
「いや確かに、嘆かわしいことに、あんたはきれいな顔してるけどさ」後ろでスナック菓子をつまみながら漫画(月に代わってお仕置きする女の子の話)を読んでいたリコが、野良犬を見るような目で言った。「ふつう、身長一七四センチの女を、可愛いとは形容しない」
「いやいや、そんなことないでしょ。確かにちょっと背は高いけど、横山くんとかに比べたらまだまだだし。それに 『かわいい』はどんな対象にも当てはまる万能の形容詞だし」
リコは、少し前からこうして、身体的な特徴について触れるようになってきた。女性としてはかなり高身長である俺に対して、リコは一五〇センチもないちんまい身体で、それに比例して肉付きも薄い。ちなみに中学で柔道部主将をしていた横山くんは、俺よりも拳一つ分は高く、まだまだ成長期という話だ。
実際、基本的に可愛いと評されるのは小さい子だ。それについて異論はない。しかしそもそも、大前提として、女の子とはすべからく可愛いんじゃないだろうか。
前世の二メートル超の身長と暑苦しい筋肉に比べたら、今の身体は細身だし、肌も白いし、何よりいい感じに柔肉がついてて実に女の子らしい。十二分に可愛いと形容できる。「キングコング」というあだ名で呼ばれていた前世と比べたらなおさらだ。
自身が男であるという意識が強いからか、今の自分の容姿を客観的にとらえることができる。前世から筋トレは日常的にやっていたし、関連して節制も慣れている。どうせなら可愛くあろうとちょっと意識すれば、ほら、絶世の美女にはなれないけれど、かなり可愛くなれた。多少局所に肉が多めについていようと。
振り返って改めて今の自分の身体を見る。身長一七四センチ、体重六二キロ。スリーサイズは割愛。髪は美しい黒髪ロング! ……にしたかったけど暑いし重いし手入れの仕方とか謎なのでばっさりカットしてあご下くらいの長さ。ちょっと癖が入ってるのも長髪を諦めた理由の一つである。目は大きいけどちょっとつり目ぎみ、唇は少し厚い。おしりとおっぱいはそれなりに大きいけれど、ウエストは筋トレの成果でちゃんとくびれてる。というか最近筋トレしすぎて腹筋割れてきてるし体重だって結構重くなってる。
我ながら、可愛いと言うよりは、きれい系の出で立ちだ。でもやっぱり女の子は「かわいい」なのだ。でもリコはそんな俺を頑として認めようとしない。
「可愛いって言うのは、私みたいなものを言うんだよ」
「えっ、それ、普通自分で言う?」
ベッドに横になり、漫画を読みながらどうでもよさげに言ってくるリコを見る。リコは小さい。身長も、胸も、おしりも。目はくりくりで、手足は華奢で、唇は薄い。肌は真っ白で、俺よりもちょっと長い髪も、茶色というよりも黄土色に近いほど淡い。大きい黒縁眼鏡も彼女の童顔を際立たせている。いかにも少女然としていて、まさに可愛らしい女の子そのものだった。
でもリコは、そんな可愛い顔をぶすっとさせてるときが多い。笑うときもサディスティックな感じが強いし、そういうリコももちろん可愛いんだけど、ちょっともったいない気もする。おかげで俺の封印されしマゾヒスティックな部分が年々開発されているのは完全に余談である。
「たしかにリコはかわいいよ。お目々くりくりだし、身体とか折れちゃいそうなくらい細いし、肌はつるつるでシミ一つないし、抱きしめたくなるくらい可愛い!」
「そうでしょう、そうでしょう」
「でも私だってかわいい! 下手な男より高い身長も、最近ちょっと割れてきた腹筋も、この前力んだら軽く力こぶ出来てた手足も、全部可愛い!」
「えっ、うそ、ほんとに?」
「ほら」
ふん、と細く息を吐きながら、右腕を上に九〇度曲げて力を入れる。細く、けれどはっきりと筋肉の盛り上がりがわかる。前世だったらボディビルダーのようにポージングをとっても様になるほどだったが、さすがにこの身体になってからは自重しているため、この程度に落ち着いている。それでもリコは目をきらきらさせながらすごいすごいと触ってくる。可愛い女の子に積極的に触られて嬉し恥ずかしくて顔がにやけるのがとめられない。腹筋も見せるとすごい楽しそうにさわってくる。普段と全然違う、子どもみたいなリコの様子に、俺も嬉しくなった。
ところが、はじめはこっちも素直な反応に楽しかったが、ずっとさわられてると、なんだか変な気分になってきた。腹筋を見せるために服はたくし上げているし、リコの細くて白い指が身体を這うたびに、くすぐったいやらもどかしいやらでついもぞもぞと身体をくねらせてしまう。そんな俺の様子に気づかず、興奮して顔を赤くしながらも無邪気に身体を触ってくるリコを見ていると、自分が悪い大人のように思えて、そんな無垢な少女に悪いことを教えているという背徳感が、妙な興奮を確かに沸き立たせていた。
気づけばリコは指だけじゃなく手のひら全体で身体を触ってくるようになり、その範囲も、次第に腹筋だけじゃなく、腰や下腹部、そして背中、胸の方まで広がっていた。いつの間にか二人の位置は入れ替わっていて、ベッドの上で横たわる俺を、リコは覆い被さるようにまたいでいた。
熱が、吐息と共に漏れる。心臓の音がやけにうるさい。身体が、重い。まるで自分のものじゃないかのように、言うことをきかなくなっている。いや、今このとき、俺の身体はまさに、俺じゃなく、リコのものなのだ。リコの思うがママに、弄ばれ、辱められ、暴かれていく。目の前の少女が俺のことを求めているのだと、その事実が、たまらなく嬉しかった。
うれしい。きもちいい。リコが、この無垢で可愛らしい少女が愛おしい。いつしか困惑はなくなり、自然とこの状況を受け止めていた。昂ぶる気持ちのままに、両腕をリコの背中に回し、引き寄せる。濡れた双眸を見つめたまま、顔を近づけ、そして──
「なあアキラ、ここの謎解きわけわかんねえんだけどどうやりゃいい……あー……ごめん、またあとで出直すわ」
……。
…………。
……………………。
扉を開け無遠慮に部屋に入ってきた今世の弟の声に、熱に浮かされていた頭が冷静になる。リコを見ると、トマトのように顔を真っ赤にして、涙目でこっちをにらんでいた。そのまま、何も言わず自然と離れる。……服、直そう。
そのあとは、服の乱れを直すと、自然と会話がなくなった。こんな状況で何を話せばいいんだ。こちとら前世含めて五〇年童貞やってんだぞ! いいかげんにしろ!
いやしかしさっきはやばかった。つい雰囲気に流されたとはいえリコと一線を越えるところだった。大歓迎だけど、でも、やっぱり少し考えるところはある。リコのことは大切だ。幼なじみとしても、一人の女の子としても。だからこそ、もっと丁寧に関係を進めていきたいとも思う。
というか、俺は心がおっさんなので女の子とそういうことをするのはやぶさかでもないというかむしろお願いしたいくらいだけど、一応身体は女の子なわけで、リコはそこら辺どう思っているのだろうか。以前彼女は俺のことを好きだと言ってくれたけれど、その好きがどういう意味なのかはわからない。何にも聞かないまま、そして言わないまま、今でも変わらない関係をずるずると続けている。幼なじみとしては、それでもよかった。少なくとも俺は。でも、こんなことがあったからには、はっきりさせなくちゃいけない。……の、だろうか。いけないんだろうなあ。
「えっと……なあ、リコ」
「ああ、そうだ! 用事を忘れていた! ごめんなさい、今日はこれで帰るわ」
「あ、ああ、うん。気をつけて」
俺の言葉を遮るように、叫ぶようにそう言うと、リコは目も合わせずに部屋を出て行こうとする。用事って言うのはうそなんだろうなあ。正直気まずいのは一緒なので帰ってもらうのは非常に助かる。
……ああ、忘れてた。
「明日は七時半に家出るから、寝坊すんなよ」
「……うん、わかった」
まだ耳まで赤いリコが出て行くのを、俺はただ、ベッドに座り込みながら見送った。
……ところで、女の身体になった今、処女はともかく童貞は卒業できるのか?
まるで現実逃避をするように、そんなどうでもいいことを真剣に考えていた。
──そんな、高校入学の前日の出来事。