第一話
モテたい。それは人間として、いや意思を持つ生物として当然の欲求である。休日に一緒におでかけしたり、ご飯を食べさせあったり、手をつないでどきどきしたり……ああ、うらやましい。
男一匹三五歳。年齢と彼女いない歴が等号で結ばれる悲しい男である。中高を男子校で過ごし、大学も理工学部の男の園。当然職場も男の園。せめて女の子とお話ししたいと願いながら静かにその生涯に幕を下ろした。
そんな思い(というより半ば怨念と化しつつあった欲望)を神様が叶えてくれたのか、なぜか生まれ変わっても前世の記憶(というか人格)をもっていた。生まれ変わりなんて本当にあるんだ、と驚きつつも、チャンスを与えてくれた神様に深々と感謝する。ああ、ありがとうございます、神様。でも神様、どうして私めは女の身体なのでしょうか。
女にモテたい俺は、女に生まれ変わっていた。どうすんだこれ。悲しいけれど、俺、性自認は男なのよね。女として生きていける気が全くしない。けれど性転換手術なんてしたくない。モテたいけれど、男にモテてもしょうがない。男だもの、女の子ときゃっきゃうふふしたい。
息を大きく吸って、ゆっくり細く吐く。今俺がいるのは自室である。そして、今この自室にいるのは俺一人。ごくり。……とはならない。いくらモテたいと言っても、さすがに自分の身体に興奮はしない。というかまだ一〇歳だった。第二次性徴期もきていない身体に興奮するほど業は深くない。……いやしかし、同級生を紫の上に仕立て上げるのも……いやいや、それはさすがに下衆の極みだ。女の子とはもっと純粋にお付き合いしたい。
そこまで考えたところで雷が落ちたような錯覚に陥った。雷なんて食らったことはないが、まさにそれほどの衝撃だったのである。天啓。神からの啓示。
ーー身体は女だもの、女の子と合法的にスキンシップできる。それも、口では言えないような濃厚なスキンシップが。
前世でこんな都市伝説を聞いたことがある。曰く、女の子は友達付き合いの延長で百合百合な関係となることがある、と。我が心は男なれど、その身体はまごうことなき女の子。男女の関係を築き上げるよりも、女の子同士の友情を深めて深めてきゃっきゃうふふな関係に持ち込んだ方が幾分か難易度が低い(かもしれない)! もしかしたらハーレムなんてできちゃうかも! うふ、うふふふふ。
そうと決まれば話は早い。夢はでっかくハーレムを作ること! そのためなら、どんな鬼畜な所行だってやってやるぜ!
数秒前までの純粋な気持ちはどこへやら。神の啓示どころか悪魔の甘言に踊らされていることに気がついたのは、これから何年も経った頃となる。
§
ハーレムとは修羅の道である、というのは今勝手に作った適当な名言であるが、我ながら含蓄が込められた言葉だと思う。何せ自分の経験から生まれたものだ、この言葉に詰まっている重みの全てを感じ入ってしまう。
というわけで一四歳、中学二年生。ハーレムづくりは難航していた。と言うかぶっちゃけ女友達が全然できない。そもそも女の子と会話ができない。話を振られても続けられない。ビジネスライクなやり取りはできても、会話の中心となる共通の話題がみつからない。こちとら前世で三五年も男をやっていて、思想も感性も男に染まりきっているのだ。今さら「女の子」として生活することなんて無理です。
それでもまだ小学生の頃はよかった。男友達と走り回って馬鹿やっていても、それほど奇異な目で見られることもなかった。けれど、もう、中学生である。思春期なのである。互いに第二次性徴が始まり、男女の性差が無視できなくなり、距離が生まれてくる。かく言う俺だって、いまだ生理こそ迎えていないものの、胸は膨らんできたし、薄いながらも陰毛だって生えてきた。今までのように男友達と遊んでいるわけには行かないだろう。たとえ前世で女っ気がなかろうとも、女性の結束力の強さと敵への苛烈さは話に聞いている。いまだって、たまにクラスの女の子がこっちを見ながらひそひそ話しているときがあるのだ。このままではいじめられてしまう!
「ああ、そう」
そう言った旨を、幼なじみであるリコ--石田理子に散々訴えた末に言われたのが、いかにも面倒くさそうなこの台詞である。
「えっ、それだけ!? 人生のほとんどをともにしてきた幼なじみのピンチだよ!? もっとなんかあるだろ!」
「うるさいなあ。今いいところなんだよ」
「人が真面目に話してるんだからマンガおけよ!」
怒りのままにリコの読んでいるマンガ(七つの玉を集める国民的格闘マンガだ)を取り上げると、「やれやれ」とでも言いたげな様子で、ようやくベッドから起きあがった。そう、こいつはあろうことか、人のベッドに寝転がりながらマンガを読んでいたのだ! 許せない!
「でも実際もううちらそろそろ三年じゃん。そんなの今さらじゃね」
「三年になるからこわいんじゃん! なんかこう、積もり積もった怨念的な! 女の世界ってどろどろしてるって聞いたし!」
「だからうるさいって。つうか、真面目な話、あんたの杞憂だと思うよ」
「えっ、なんで?」
「だってあんた、顔はともかく中身はただのおっさんじゃん。大股開いて座るし、でかい口開けて笑うし。いくら顔がきれいでも、それじゃあモテないのは自明の理だし。モテない子相手に嫉妬するやつなんていないし」
「えっ」
「だから安心していいよ。あんたがいじめられることはない。あんたをいじめるほどみんな暇じゃないから」
「そこまで言わなくてもいいじゃん!」
辛辣すぎる! 相変わらずの調子で淡々と述べてくるリコには鬼畜メガネの称号がふさわしい。以前本人に言ったら氷点下二〇度くらいの視線にさらされたけど。冷え性だし、暑がりだし、まさに氷の女。手が冷たい人は心が温かいなんて、そんなの嘘だったんだ!
しくしくとマンガのように泣き真似をしながらそんなことを思っていると、人を殺せそうな目で睨まれた。彼女は人の心が読めるのだろうか。リコのことだから本当に出来そうでこわい。
「というか、あんたもそんなこと考えるんだね」
呆れたようにため息をつき、俺が読んでいたマンガ(ぽんこつアンドロイドとぽんこつ博士のギャグマンガ)を開きながらそんなことを言った。
「そんなことって?」
「モテたいとか、いじめられたらどうしようとか、そういう思春期っぽいこと」
「いやいやいや。同い年だから。れっきとした思春期だから」
「中身はおっさんなのにね」
「中学生だから! 中身はおっさんでも、れっきとした一四歳の女の子だから!」
実際中身は三五歳のおっさんだけどね! ぶっちゃけクラスの女の子とか娘の友だちを相手にしているような気分さ。まあ前世じゃ娘どころか親しい関係の女性すらいなかったけど。
生まれ変わってからなぜか涙腺が緩くなったようで、少し涙目になりながらリコをにらみつけると、実に楽しそうに口角をつり上げていた。これまでの付き合いでさんざん思い知らされてきたが、この石田理子という女は根っからのサディストで、親しい人間相手には特にその本性が強く表れる。俺なんかは、前世との違いが大きいのが原因か感情が表出しやすく、また情緒不安定なところもあり、よくリコに泣かされている。前世も含めれば倍以上の年の差があるというのに。やはり彼女には鬼畜メガネの称号がふさわしい。
「それで」
「……なに」
じっとにらみ続けていると、とうとう根負けしたのか、リコはこちらから目をそらした。いつの間にか読みかけのマンガは閉じられており、どこまで読んでいたかわからなくなってしまった。とはいえ、もうすでに何度も読み返しているので、そこまで気にすることでもないが。
「……いや、やめておくわ」
「言いかけて止めるのやめろよ。いいから、ほら。言ってみ」
「結局百合ハーレム計画の進展はどうなったのか聞こうと思ったんだけどね。あんたにそんな小器用な真似はできそうにないし、そもそもハーレムとか言い出すのが痛いし、聞いたところで私の役には立ちそうもないし」
「そこまで言えとは言ってねえよ!」
「まああんたのことだし、聞くまでもないかと思って」
さすが幼なじみと言うべきか、リコは俺のことをよくわかっている。しかも、わかった上で、的確に弱みをえぐってきやがる。性質が悪いことに、本気で嫌がるようなことは言ってこないので、何だかんだリコのことを嫌いになれないのだ。
何も言えなくなり、やはり俺は無言でリコをにらむしかない。リコはそんな俺を、やっぱり楽しそうに笑いながらこちらを眺める。この十数年間で完全に上下関係ができあがっていた。三十路過ぎのいい年したおっさん(現女子中学生)が、半分も生きていないはずの年端もいかない少女に、言い負かされていた。おっさん情けないな。……俺、情けないなあ。
「ねえ、アキラ」
心底楽しそうに名前を呼んだ。こういうときのリコは、経験上、大変面倒くさいことを引き起こす。それがわかっているから返事はしない。たとえ意味がなくても、抗議の意思を見せるのは重要である。
「ねえ」
そんな精一杯の抗議にリコは笑みを深める。俺のささやかな抵抗なんぞは意味ないとばかりに無視され、いつもの調子でからかい混じりの、しかしどこか真剣さのある言葉が続けられた。
「私は、あんたのこと、好きよ」
くやしいことに、こんな意地悪でサディストな幼なじみの言葉に、飛び跳ねそうになるくらい嬉しく感じている俺がいるのだ。