文明保存計画 第5話
遠方からの叫び声を混ぜるマイク越しに、女王ヤマダの声が届いている。
「[ウルトラ・クリムゾンよりの使いは二人。魔術は素人。角はなし。念力は、どちらも脳一つ分。成殊したるは、そちらへ放ったちんさんのみ]」
魔界は、仏教の語を借りれば色界、科学の語を借りれば物質界から、光を吸う性質がある。可視光線も赤外線も電波も、魔界から物質界へ出ることはできない。魔界へ開いた次元界面は物質界から見ると、それゆえ暗黒の穴となる。逆に、魔界側の穴からは物質界の光景が見え、電波が届く。
金兵衛が着けているような科学技術だけで作られた無線機は、物質界からの発信と、魔界での受信のみができる。この無線機で双方向通信をおこなえているならば、女王ヤマダは結界を出たか解いたということだった。
「念力の質はいかがか?」
「[均質で癖がない……さよう。強化箱に授かりしものであろうな]」
「目撃者はいかほど?」
「[そこそこおるのう。この、捜査官とやらがわめくゆえ]」
女王ヤマダの近くで、女が激痛に襲われた声で「ウッギイイィ!」とわめいた。
「[魔界褜は捜査官が逃げこんだ巣に残した。目撃者にも、この祭りに興じてもらおう]」
「よろしいのでござるか?」
「[大したものは収めておらぬ。景品には手頃であろうて]」
堤防道路と、そこを走る車列を飛び越え、女王ヤマダが草原へ降りてくる。四次元結晶構造の鎧が、無限の反射面に太陽の残光を浴びて、沸騰しているかのようなすさまじい赤金色に輝いている。
輝く鋏の片方には、捜査官なるもがく女を捕らえていた。堤防の陰へと降り立ち、もう一方の鋏で迷彩服男を拾う。迷彩服男はあらがわなかった。
四次元結晶構造は、暗い場所では光輝を増幅せず虹色の鏡面となる。三次元空間に対して〝限定された角度〟で、ではあれども〝無限の奥行〟を有し、三次元物理で実現できる最大の衝撃力に、無傷で耐えられる。最大の衝撃力とは亜光速だ。
遠い昔のことだが、常世の大型艦は亜光速弾を多用してどこかの星系文明を蹂躙したという。天体に穴を穿つこの亜光速弾に、四次元結晶構造で装甲した常世の戦闘艦は耐えられるらしい。
四次元結晶構造体はかくも優れた装甲材ではあるものの、地球の昼半球のような明るい環境では、やはり目立つ。
「あの、あ、あれってロボットに乗ってるんですか?」
運転席の窓から頭を出して小山が尋ねた。
女王ヤマダは両鋏にウルトラ・クリムゾンよりの使いを捕らえ、こちらへ低速で草原を飛んでいる。
「飛んでるし……」
「ロボットにあらず。関東のダンジョンを支配する種族にござる」
「異世界までつながってるダンジョンですか……危険な異世界から地球を防衛してるっていう」
「いかにも」
「マジすか……ヤッベえぇ……」
ダンジョンで話が通じるとは、便利な時代になった。
そう思いながら金兵衛は、軽装甲バンの側面扉から脳強化箱を一個だけ出した。
「一つ、貰い受ける」
「え……、いいんでしょうか?」
「五つ六つもあらば、一通りのことはできる」
これらは新たな日本政府となる改革派秘密結社への祝いの品であり、一五〇〇一五〇九任務部隊が必要としているわけではない。
手信号で金兵衛が指示すると、小山は六番隊を追って発進した。
成殊物として多少の歳月を経ているであろう迷彩服男は、生物にすぎない小山には危険すぎる相手だった。佐久島も高田も、成殊物については詳細を知らない。
当然ながら基本的な情報は、彼らにも作戦参加にさいして伝えられた。
異世界のモンスターがダンジョンから溢れ出しそうになっていること。
結社が日本の政権を奪い、この事態に対処すること。
モンスターの完璧な封じこめはできそうにないため、少なからず死傷者・行方不明者は出ること。
結社は日本の恒久的支配を次なる戦略目的としていること。
参加報酬は、とりあえず一人一億円。
といった情報は周知されている。むろん、一部は都合の良い嘘だ。
「ウルトラ・クリムゾンにも困ったものよな」
佐久島と高田から少し離れたところで停まった女王ヤマダが金兵衛にそう言って、女を投げ降ろした。血染めのワイシャツと目立たない色のスカートを着た、ガチムチではなく細身の、髪も生えた白人だった。
ワイシャツがめくれて、傷口が見える。女王ヤマダに腰骨の右側を砕かれ、腹部の大きな血管と、筋肉と皮膚を裂かれていた。スカートと絡まった臓器から生きた動物の匂いがこぼれ、金兵衛は八月の食事を多忙によって忘れていたことに気づいた。
女は身を起こせず、仰向けのまま両手を広げた。
「ゾンビ壺について説明せよ」
「説明する。全部説明する。全部」
金兵衛の命令に、女は日本語で即答した。
常世の共通語である日本語は、ウルトラ・クリムゾンにとっても重要な言語だ。極東本部の構成員は多くが、一九世紀後半の開国から世代をかさねて日本で暮らしている。江戸時代以前は、蓬莱の仙人を師と仰ぐ天師道の一門が、常世にも参候していた。
「……わたしも、騙された。基地から物資の、運び出しが終われば、ゾンビ壺でやれるって……」
「やれるとは?」
「たくさん虫がいるから、数時間でやれるって、本部の奴らが……自衛隊のザコしか残らないから、すぐ逃げるとか言って……でもこんな……」
「他の場所にもしかけたのか?」
「しかけた。……他の場所にも、しかけたから応援は来ないって」
「どこに、いくつだ?」
「数は、わ、わからない」
金兵衛は脳強化箱を、女がよく見えるように掲げた。
「脳強化箱だ。知っていよう。これを使えばサイキックヒーリングもできる」
女は焦点が定まらなかった目を向けて、正調の英語で「サイキックヒーリング」と返した。
「話す。知ってることは全部、話すから」
「待て、おれが話す」
鋏に捕らわれたまま黙って動かずにいた迷彩服男が、女をさえぎった。
迷彩服男も蒼褪めた肌の白人で、汗をかいていない。苦痛にさいなまれてもいない落ち着いた口調だった。
「まず、ゾンビ壺の数や位置は、正確にはわからん。一〇や二〇はあるはずだ。東京だけでだ」
「……ロサンゼルスにもしかけたのか?」
「ああ、そうらしい。上海とモスクワにもしかけると聞いた」
「さような都市にしかけてどうするのか? 常世を牽制するなり手伝うふりをしたくば、東京とロサンゼルスのみでよかろう」
「おそらく、BKKにてそうろう」
「BKKとな……ウルトラ・クリムゾンが?」
「ああ、そうだぜ」
自身を宙吊りにしている女王ヤマダに、迷彩服男は不敵に笑いかけた。
「総本部の奴らは、戦争目がけて突っ走り始めた。断崖絶壁でチキンレースをやるみたいにな。奴らなりの文明壊滅計画を、発動したんだ」
「我々の不意を衝いて、ゾンビ壺でか」
「常世に勝てると思うておるのか?」
「常世の全体と戦うことにはならない……少数派のあんたらを叩いて、保守派の御機嫌をとることはできると思わんかね?」
「機嫌を? なぜゆえか?」
「常世と、奈落が大きな戦争になると予言があった。地球の人間世界も無事ではすまない、地獄になるとか言い張る予言者もいる。だからだ」
「そうなる可能性は、消せておらぬな。ゆえに保守派を選んで尻尾を振るのか」
「まあな。総本部からは、ゾンビの大量生産と外界国家の戦略兵器で対応する、と説明されている」
「東京からはゾンビを供給し、外界の諸国はゾンビで恐慌させるというのか?」金兵衛は迷彩服男に確認した。「戦略兵器とは、核爆弾を撃たせるつもりか?」
意図的におこされる連鎖屍解に有効な外界人の戦略兵器は、それしかない。
連鎖屍解が始まれば、外界人が選ぶべきは徹底的焼却のみ。外界人には、これ以外の手段で生態系を守ることはできないのだ。
この正解を選択実行できなかった場合、外界人も娯楽作品で親しんでいるゾンビ・アポカリプスが示現し、文明は崩壊する。
「総本部の計画では、そうするつもりのようだ」
「なんとも、ありがた迷惑なことを……」
「そっちがショボい兵力はいらんと言ったんだろ。パラノイアなりに気を利かせたんじゃないか?」
ウルトラ・クリムゾンは地球規模の秘密結社となった今も、クダンの身体を得た数千人を含めて、ほぼヒトばかりの集団とされる。
成殊した者は少ない。より正確には、ただの外界人で構成された外郭部に比べて、成殊者と、クダンのような超能力者と、魔術師のみで構成される中核部が小さい。
成殊物となったヒトが増えれば、生物のヒトを養殖する牧場も相応に大きくする必要がある。白人至上主義を保っているウルトラ・クリムゾンにも、二一世紀の地球でそれは難しく、むしろ彼らのヒト牧場は半世紀前から小規模化している。不足分は、常世の養殖星から輸入していた。
肉人の輸入量から推定したウルトラ・クリムゾンの成殊者は、二万五〇〇〇~三万五〇〇〇人。成殊者の活動量が、生物としてのヒトの限界内にあると仮定しての数値だ。
外界人の増加にともない、ここ一〇〇年でウルトラ・クリムゾン中核部員も数倍に増えている。外界文明の急激な人口増加・技術進歩・活動規模の拡大に、彼らも数を増やす必要があった。
「秘密結社としての限界に、奈落の脅威が加わっての決断。であろうか」
「腑に落ちぬのう」
「知ってることは喋る」
迷彩服男は意識を失いかけている女に目を向けた。
「仲間を手当てしてもらいたい」
「おう、考えてやるぞよ」
ヘッドセットから着信音。網膜投影機が短い文章を表示した。画像端の時刻は一九時四四分。
『一五〇〇一五〇九任務部隊長@発:緊急事態につき、各隊到着次第にて、MMO仕り候』




