13日 ゲームスタート
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
という意味である。
(新約聖書 マタイによる福音書 27章46節)
「君、本当に大丈夫?」
僕が挙動不審に見えたのだろう。
少女が心配そうに話しかけてくる。
薄い桃色の僧衣を着た少女。
おそらく、職業は僧侶だろう。
「え、ええ、だ、大丈夫です。すみません」
人見知りが発動して、声が震える。
しかし、彼女はそれに関せず、快活に話し続ける。
「メンテナンスが終わって、DOに一番乗りしたら、人が倒れているんだもん、びっくりしたよ」
「? なんのことですか?」
メンテナンスってあったけ?
ログアウトできない不具合修正のことじゃないのか?
「え? ……さっきまでメンテナンスがあったじゃない。1時から7時までの大型メンテナンスが」
その言葉を聞いて、僕は失礼しますと前置きしてから、メニュー画面から時間を確認する。
「なっ……!」
1/13 (金) 07:13
いつの間にか6時間以上の時間が経っていた。
「あ、あのメンテナンスって本当にありましたか?」
「本当にあるのかって言われても困るんだけど……、なんか緊急メンテナンスを行いますっていうメールがメンテの30分前に来たんだよ」
メール見る?と聞いてくるので、僕は断った。
一体どういうことだろう?
自分のメールボックスを調べたが、不具合修正についての未読メールがあるだけで、メンテナンスのお知らせについてのメールはなかった。
おかしなことばかり起こっている。
ゲームオーバーになったと思ったら、街に戻るかどうかの選択肢がでるはずなのだが、何も起こらず復帰した。
メニュー画面を閉じる前にステータスを見てみると、HPもSPも全回復していた。
そしてゲームに復帰すると6時間以上の時間が経っている。
ゲームの中で寝落ちしてしまったのだろうか?
いや、即座に自分の考えを否定する。
DOを始めとしたVRMMOをプレイするのに、必要な『ブレインデバイス』。
フルフェイス型のヘルメットと似たような形状をしており、それが脳と電気信号のやりとりで仮想現実を見せ、ゲームをプレイすることができる。
それには脳波を読み取る機能がついており、装着者が寝ていたり、なんらかの事情で意識を失ったと判断されれば、自動的にログアウトをしてくれる。
だから、意識を失ってもこのゲーム世界にいる今の状況がおかしいのだ。
ということはまだ何か不具合が起きたのだろうか?
このDOか『ブレインデバイス』か、はたまたネットワークの問題かもしれない。
まあ、そこらへん考えてもしょうがないし、僕にはどうしようもない。
とりあえず、このままここにいても仕方ないし、ログアウトをしよう。
僕は心配そうに見詰めている少女の方に顔を向けた。
僕が動かないままでいるので、立ち去るタイミングを失ったのかもしれない。
「あの、いろいろ心配かけてすみませんでした」
「ううん、大丈夫ならよかったけど……」
「ええ、じゃあ、僕はログアウトしますね」
メニュー画面を開いて、ログアウトボタンを押す。
……………………。
あれ? 反応しない。
もう一度。
……………………。
ボタンを押しても何も反応しない、昨日、じゃなかったまだ同じ13日のできごとだ。
意識を失う前の状況と同じだった。
でもログアウトできない不具合は修正されたんじゃ……。
「どうしました?」
少女が尋ねる。
「なんかログアウトできないみたいで……」
もう一度ボタンを押すが、やはりログアウトはできない。
「本当ですか? なんかのバグでしょうか?」
「うーん」
「運営に連絡してみたらどうですか?」
「……そうですね、そうしてみます」
その言葉に従って通話機能を使う。
音声通信、DO運営管理局を選んで、通話ボタンを押す。
あれ? あれ?
通話と書かれたボタンを押しても何も反応しない。
どうなっているんだ、これで電話みたいにつながるはずなのに。
試しに他のアドレスにもかけてみる。
通話機能のちゃんと使えるか確認のため、今はゲーム上にいないが、友人に電話する。
セント、リコット、ロック、フィリ。
かったぱしから選んで、通話ボタンを押していくが、反応しない。
呼び出し音すらしないのだ。
それならば、メールを使おう。
メールボックスは開けるのだから、メールを送って連絡を取ろう。
僕はメール作成で、ログアウトができないという文章を入力する。
そして宛先をDO運営管理局に選び、送信ボタンを押す。
……反応しない。
メールを送信しましたという画面に切り替わらなかった。
試しに宛先を変えて、送信ボタンを押すが、同じ結果だ。
「……あの」
僕の様子を見かねて、少女が再び話しかける。
「私が変わりに連絡しようか?」
「……お、お願いします」
あんまりにも情けなくて、泣きそうだった。
音声通信もメールも使えないということは通信――ネットワークがおかしいのだろうか。
いやネットワーク自体に問題があるなら、このゲームにログインなんてできないはずだ。
そうなると、DO内の内部回線に障害があるのだろうか?
そんなことを考えていると横から声がする。
「あ、もしもし運営管理局ですか?」
少女の音声通信がつながったようだ。
「えっと、不具合が発生しているんですけど、……私じゃないんですが、ログアウトできない人がいて……、はい、はい、……あと音声通信とメールも使えないそうで……、ええ」
どうやら普通に会話ができているようだ。
「はい、はい、そうですか。はい、お願いします」
音声通信が終了した。
「すぐにGMが来てくれるって」
「すみません、本当にありがとうございます」
僕はお礼を言って、頭を下げる。
彼女がいないとどうなっていたのか、本当に感謝しきれない。
「いやあ、乗りかかった舟ってやつだよ」
少女は快活に笑った。
「そういえば自己紹介がまだだったね。私はヤコっていうんだけどあなたの名前は?」
「僕はクリスって言います」
「へー、クリス君って何才?」
「えっ」
「ああ、急にごめん。敬語が気になってさ、クリス君が年上なら私が敬語使わなきゃいけないのに」
「いえ、そんな……」
「このゲームの、アバターって自由にカスタマイズしたりできるから、見た目と実年齢が合わないことが多いでしょ。クリス君のそのキャラの見た目だと二十歳くらいに見えるし」
僕もそんな話を何度か聞いたことがある。
アバターが若者だけど、中の人が中年のおじさんとか、アバターが女性で、中の人が男性とか普通にありえるのだ。
「ごめんね。ゲームの世界で現実世界のこと聞くなんて……。言いたくないなら言わなくていいよ。ちなみに私は15歳の高一だよ」
そう言って、イエーイとピースをする。
オンラインゲームでは現実世界のことを持ち込んだり、無遠慮にプライベートなことを聞くのはマナー違反だ。
ヤコさんの年齢も嘘かもしれないし、本当かもしれない。
だけど、ヤコさんにはいろいろ面倒かけたし、僕は正直に答えることにした。
「ええと、僕は13才の中学一年生です」
「うそっ! わかっ!」
大げさに驚く。そんなにびっくりすることだろうか。
今のオンラインゲームなんて、小学生でもプレイしているのに……。
でも、VRMMOは機材にお金がかかるし、現実とゲームの区別がつかなくなるわ危険性だわと考える親も少なくはないので、珍しいかもしれない。
そんな会話の最中に、「すみません」と声がする。
振り向いてみると、白衣の男がこちらに歩いてやってきた。
彼は僕たちの前に来ると挨拶をした。
「おはようございます。DO運営管理局のシモンです」
その男はDOのファンタジー世界に似つかわしくない眼鏡に白衣の姿。
まるで医者のような風貌だ。腕にDO運営管理局と書かれた腕章があった。
「不具合が出たという連絡を受けたのですが……」
シモンは僕とヤコさんを交互に見る。
目が合った瞬間、ぞくっ背中に冷たいものがはしった。
「ああ、あなたですね」
シモンは僕の方を見て、一歩近づく。
「では、問題を解決致しましょう」
歩きながら、軽く手をかざすと、日本刀が出てきた。
え、日本刀?
その瞬間、真横から突き飛ばされた。
そのまま地面に倒れる。
「――――いっ!」
倒れるとき地面にぶつけたひじが鋭く痛む。
DOのゲーム内でこんな強さの痛み感じたことがないのに。
何が起こったのかと、顔を上げる。
そこには刀を振り下ろしたシモンとそれ受けたヤコが立っていた。
もちろん、ゲームの世界だから流血はないが、人が人を斬る光景は衝撃的だった。
「くぅ…………」
ヤコのHPが一気に減り、彼女は膝をつく。
な、なにが起こった?
僕が斬られそうになって、それに気づいたヤコは僕を突き飛ばした。
そして、身代わりになって斬られたってことか。
「おやおや、邪魔してもらっては困りますよ」
「な、な、なんなんだよ急に!」
いきなりのことで気が動転する。
「少し確かめたいことがあるのですよ」
シモンの口調は平たんで、瞳はひどく冷たい。
それは人間を見る目ではなく、実験動物かなにかを見るような目のように感じた。
シモンがこちらに近づく。
今がどんな状況かわからないが、頭の中で逃げろ、逃げろと叫んでいる。
僕はその声に従って、逃げ出そうとするが、体が動かなかった。
シモンは刀を握り直し、まるで自然な動作のようにその刀を僕の肩に刺した。
「ッアアアアあああああああアアアあアアアああアアアあああアアアああァァァッ!!」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――
思わず叫び声を上げる。 今まで受けたことのない痛みが走った。
こんな痛み、現実でも感じたことはない。
刀は抜かれ、僕は肩に刺されていた箇所を押さえるが、傷はなく一滴も血はこぼれていない。
ゲームの世界だから当たり前なのだが、それがひどく違和感を覚えた。
「じゃあ、このまま殺せば死ぬのかな」
シモンの声はまるで実験をする科学者のような淡泊さがあった。
そしてシモンは刀を片手で横なぎに振るう。
刃は僕の首にふれ――――
キンッ
――――なかった。
金属音がして、刃が止まる。
刀には鎖が巻き付いていた。
「シモンさん、それは独断専行ですわ」
鎖の先にその女性は立っていた。
黒と赤のゴスロリ衣装、その手には鎖を持っている。
腕にはDO運営管理局の腕章がある。彼女もGMということなのか?
「はあ、なんとか間に合いましたの」
それを見て、シモンは不愉快そうに眉をひそめた。
「おや、マイさんですか。邪魔しないでくれますかね」
「バカいわないでください。ここで彼を死なすわけにはいかないのですわ」
マイさんと呼ばれた女性はこちらに歩き、僕に何かを投げる。
それは透明な腕輪だった。
「これを付けて、お逃げなさい」
マイはシモンから目を離さずに僕に言った。
「私が押さえておきますから」
状況が飲み込めず、呆然とする僕に「早く!」と急かすように声を上げる。
僕は腕輪を拾い、はじかれたように立つ。
もう痛みを気にしている場合ではなかった。
言われた通り腕輪を付ける。
すると、体がふっと軽くなったような気がする。
そうだ、ヤコさんも助けないと。
ヤコさんの方を見ると、膝をついたまま呆けたような表情でこちらを見ていた。
彼女も何が起こっているのか、どうしたらいいのかわからないのだ。
一瞬、ヤコさんと一緒に逃げようと考えるが、すぐに思い直す。
狙われているのは僕だ、僕が逃げさえすれば。ヤコさんを巻き込まなくてもすむ。
僕がそのまま逃げるために走り出そうとしたとき、「待って!」と声が響いた。
声のしたほうを振り向くと、ヤコさんが助けを求めるように、手を差し出していた。
僕は――彼女に向かって走り、その手をとって逃げ出した。
二人のGMとは反対方向にだ。
今、僕の身に何が起こっているのかは、わからない。
ただ僕は走った。意味も分からず、理由も分からずに。