夢のツインタワー(8) 残余財産分配請求権③
「佐々木さん、商法406条ノ2を使えるかもしれませんよ。」
佐々木は受話器を持ったままで、慌てて商法関連の文献を開いているようだった。
「藤堂さん、わかりました。解散判決請求権ですね。」
商法では総株式の10%保有する株主は、裁判所に会社の解散命令を出してくれと請求することができると定められていた。10%は単独の株主ではなく、複数の株主の合計保有割合でも認められる。
もちろん、普通に事業活動を行なっている会社では到底認められるものではない。会社業務の執行が著しく困難となり、回復不可能な損害が生じてしまう恐れがある、会社財産の管理や処分がはなはだしく悪くて、会社の存立が危ぶまれるなどの場合に限って認められるのである。
会社の事業が事実上消失してしまう阪神土地企業においては、「会社業務の執行が著しく困難」な状況であり、事業がなくなるというのに、無理な事業を代わりに始めて会社を存続させようとするならば、「回復不可能な損害が生じてしまう恐れがある。」とも言えるわけである。
「でも、藤堂さん。我々の資金力だけで10%は無理ですよ。」
「株主名簿の相互商事を見てください。6%株主ですよ。この会社を味方につければいいんですよ。」
「味方につけることができるんですか。」
「それは交渉してみないとわかりません。しかし可能性はあると思いますよ。」
阪神土地企業の筆頭株主、2位株主はいずれも上場企業であった。有価証券報告書で阪神土地企業の社長らの経歴を調べたが、いずれもそれら大株主の会社からの天下りであった。会長は、筆頭株主の会社の社長であった。これだと、筆頭や2位の株主は、解散を決断しにくいかもしれない。
さらに調べてみると、相互商事の社長は、阪神土地企業の監査役の一人であった。監査役がどれほどの報酬であるかはわからないが、相互商事にとって会社が存続することは、意味のないことだった。収益が不透明な事業を続けられるよりも、解散してきっちりと資産を清算してもらう方がいいに決まっている。我々と同じだ。
「もし、私と佐々木さん、あるいは他の投資仲間で4%を買い集めれば、相互商事と組むことによって解散請求権が手に入ることになりますよ。」
「10%を集めたら、どんなアクションを起こしますか。」
「少し気の早い話ですね。もちろんすぐに裁判所に解散を請求するのではなくて、会社と交渉しながら、解散を求めていくことでしょう。」
「取締役会が解散を総会に提案できなければ、こちらが解散の提案を出す。最悪の場合には、裁判所に解散判決を請求するよという姿勢を見せていくというわけですね。」
「そういうことです。とりあえず、私が一度、相互商事にコンタクトを取ってみます。」
「よろしくお願いします。」
私はすぐに相互商事の電話番号を調べ、代表者あてに連絡を取ってみた。相互商事の登記上の本店は、かつての県会議員の事務所が所在したビルにあった。
だが、電話をかけても代表者と話がつながることはなかった。どうやら実質的には休眠会社にようである。元々が資産管理会社であったためか、事業活動はビルの賃貸ぐらいしかないようだ。
代表者はいつも不在で、電話に出た事務員らしき人に阪神土地企業の件で相談したいと用件を伝えたが、代表者からは電話が返ってくることはなかった。
そのしばらく後、阪神土地企業は、自主的な解散予定を発表した。そして、その年6月の株主総会で解散は決議された。清算会社として、会社資産を処分し、株主に配当するというわけである。さらに数年前に競輪場の観客席を改修した費用について、競輪を主催していた地元自治体に対して、未償却部分の補償を求めていくという。
私が相互商事の代表者に用件を伝えたことで、インサイダー取引になってしまうことを相手方は考慮したのかもしれない。その代表者は阪神土地企業の監査役でもあった。
解散という会社の重要情報を私に洩らした場合、私がその情報を元に株式を売買すれば、インサイダー取引となってしまう。そのために相手方は意図的に避けていたのだろう。
私と佐々木は、阪神土地企業の株式にいくらかの金額を投資した。相互商事とコンタクトを取ってからは、まったく売買をしていなかったので、もちろんインサイダー取引とはならない。株式買付け価格は35円程度であった。解散による回収を確信できなかったため、思い切った投資はできなかった。
その年の6月、阪神土地企業は、予定通り株主総会での解散決議が可決し、清算会社に移行する。
そして約1年後、競輪場の敷地を売却した後に第1次清算金として1株当り80円の配当がなされた。これだけで、我々の投資額を大きく上回っている。
会社は、さらに競輪を主催していた地元自治体に対して、観客席建設工事代金から未償却の価額について、損害賠償を請求する訴訟を提起している。これの解決には、あともう数年かかりそうであるが、ともかく、投資成果と十分なものであった。