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夢のツインタワー(47) エピローグ

エピローグ


 年が明け、2006年になった。翡翠不動産の株価はついに2500円を超えた。私の買値の約4倍、佐々木に至っては5倍以上である。二人ともその水準でほとんどの持株を売却していった。

 結局のところ我々は、敵と思っていた翡翠不動産の株主になり、その株で大きな利益を得ることになったのである。我ながら呆れるほどの皮肉な運命と言うしかない。

 植村ファンドの方は、関西の人気プロ野球チームをグループに抱える電鉄会社の株式をさらに買い集めていた。これは、その年の6月に、別の関西の電鉄会社が、植村ファンドの取得原価を大幅に上回る価額でTOBを実施することになり、結果的に植村ファンドは莫大な利益を得ることになる。

 そして同年6月、植村ファンドの植村義明代表は、前年のラジオ放送会社の株式売買について、インサイダー取引の容疑で東京地検特捜部に逮捕される。逮捕前の記者会見場は、奇しくも我々が会見した東京証券取引所兜倶楽部であった。もっとも、集まった報道関係者の人数は、我々の時とは比較にならないほどであったが。


  私は、今でも夢想する。ツインタワー完成の姿ではない。

2004年、私が目標としていた観光センターの株式1%を買い集めた時点で、植村ファンドに話を持っていき、もし植村ファンドが私の提案に乗っていれば、ということである。

 植村ファンドは、関西の電鉄会社が保有するプロ野球チームの価値や大阪都心の超一等地に保有する不動産を高く評価していた。観光センターの保有していた借地権価値は、それに勝るとも劣らない。

 植村ファンドによる観光センター株式買付けがもう1年早く、2004年の4月以降ぐらいから始まり、観光センターの主要株主として名乗りを上げていれば、翡翠不動産も7月にあれほど無茶な搾取はできなかったのではあるまいか。

もし仮に、植村ファンドが大株主になった場合に、あの無謀な契約を結んでいたとしたら、どうなっただろうか。植村氏は当然黙っていない。

 我々が行使できなかった商法第272条による差し止めや、それに伴う仮処分申請など、あらゆる手段を講じただろう。新興系IT企業と老舗ラジオ放送局、テレビ放送局が展開したような争いに発展しただろう。

 植村氏は、翡翠と観光センターのこれまでの不透明な取引を非難し、さらに2000年、2004年の取引の不当性を世論に訴えることで、かなり違ったイメージになったのではないか。

 親会社と子会社との不透明な取引による利益供与、並びに子会社取締役たちの特別背任を糾す、となれば、植村ファンドに対しマスコミも違った対応をしなくてはならなかっただろう。

 また、ある程度買い集めた時点で、2000年の取引について、株主代表訴訟を提起すればどうなっただろう。そうなれば翡翠不動産は、やはり自社の代表取締役会長である江田雄一郎や元副社長の佐藤守夫を守るため、TOBから株式交換による完全子会社化を画策しなくてはならなかっただろう。

 植村ファンドなら、それを見越して(会社側から情報提供を受ければインサイダーとなるが、予期しただけなら当然ならない)、事前に買い集め、場合によっては対抗TOBに出ることもできたであろう。面白い勝負になったのに・・・。

 実際のところ、都心の地価の上昇は続いていた。旧観光センタービルの北隣の土地は、別の不動産会社が保有していたが、2006年初頭に外資系投資銀行に売却された。取引価格は坪当り1億円であった。

 観光センターの保有する借地権は、八重洲口に完全に接続しているため、その取引のあった場所よりもさらに高い評価であることは間違いない。

 その売買事例からすると、土地値は坪1億2~3千万円だろうか。観光センターの借地権は坪1億円、元々の保有借地権は1100億円を越える評価になる。

 「1株当り5500円か。」

 2000年の取引で借地権は約半分に減っていたが、それを考えても3000円ぐらいまでなら、値がついておかしくはない。

 特に翡翠不動産と植村ファンドによる新東京駅八重洲口借地権争奪戦ともなれば、話題にもこと欠かず、資産価値を正確に反映した株価まで上昇した可能性は高い。

 佐々木と電話で話した。

 「植村ファンドが、仮に2004年4月頃に5%程度を買い集めていたら、どうなっていたでしょうね。」

 「まず、7月に翡翠と観光センターであのインチキな取引を結ぶことは無理だったでしょう。」

 「植村氏なら、とにかく買えるだけ買って、取得から半年後には、2000年の取引について代表訴訟を起こしたかもしれません。」

 「翡翠とすれば、とにかく市場価格より上でTOBをかけざるを得ないわけだから、少々価格が吊り上ろうと、植村側にとってリスクはないはずです。」

 「そうなって欲しかったなあ(笑)。仮に植村が400~600円で買い集め、大量保有報告書でその事実が明らかになれば、市場での株価も跳ね上がる。関西の電鉄会社の株でさえ、我々がフェアバリューと読んだ株価の1.5倍ぐらいにはなりましたからね。」

 「800円、あるいはそれ以上の市場株価にはなったでしょう。そして植村側が代表訴訟を起こす。またそこで借地権に注目が集まり、市場価格はたちまち1000円を超える。翡翠不動産が1200円でTOBをかければ、植村は1300円、また翡翠はそれ以上で、ということになる。」

 「そうなれば、さらに個人投資家も群がるし、色んなファンドや外資も群がるでしょう。」

 「八重洲口の借地権という明確な資産があるわけだし、資産価値からすれば2000円でも3000円でもおかしくはない。とにかく翡翠とすれば、自社の会長や元副社長を代表訴訟から救うには、いくら高くてもTOBで2/3を押さえるしかないわけだから、おもしろかっただろうな。」

 私と佐々木の投資の成果は、4~5倍に達し、常識的に言えば、十分なものであった。しかし、「あの時こうしていれば、こうなっていれば」という愚痴も止まらない。うまくいけば、4~5倍どころか、10倍以上になる可能性も十分にあったのだ。

 しかし、それでもすべては終わったのである。成果は上々と言うべきだ。少なくとも、悪くはなかった。

 私と佐々木が、新東京駅八重洲口再開発のツインタワーに見た夢は、幻だけではなかったのである。


 私は、2005年12月に中小企業診断士試験に合格していた。本業である経営コンサルタントの業務拡大や自己啓発のための受験であった。本業や裁判の傍ら、試験勉強を怠ることなく、何とか合格を果たすことができた。

 2006年2月には、合格者が資格を得るための実務補習に従事した。中小企業診断士資格は、試験に合格すれば与えられるのではなく、所定の実務補習を修了しなくては取得できない。

 その実務補習は15日間に及んだ。先輩中小企業診断士である指導員のもと、6名の合格者である実習生が1チームとなって、7日間で中小企業を診断し、報告書を作成し、報告会を行う。この業務を2社続けて行えば、晴れて有資格者となれるわけである。

 我々6名のグループを担当した指導員は、大変厳しく、睡眠時間を削りながらの作業で何とか診断業務を達成した。

 15日間の補習を無事修了したその日の夜、私は疲れ切っていた。それでも自分のオフィスに戻り、パソコンの電源を入れ、メールをチェックした。

 佐々木からのメールが届いていた。

 「アクティビスト投資のターゲットを発見しました。詳しくは藤堂さんの実務補習が修了してから説明します。返信を待っています。」

 ニヤリと笑いを浮かべた私は、疲れも忘れて返信のメールを送っていた。







 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 日本経済の暗部、株式市場における不条理を描きました。

 日本の企業統治が改善されるきっかけに資するなら幸いです。

 なお、この小説はフィクションであり、登場する人物、団体等はすべて架空のものであり、実在の人物、団体等とは一切関係ありません。



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