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夢のツインタワー(45) 結審、そして判決へ②

結審、そして判決へ②



 「勝てますかね。」

 閉廷後、裁判所のロビーで佐々木が言った。

 「どう考えても、負ける要素は見当たらないですよ。」

 私は勝利を確信しつつあった。私の方が楽観的、佐々木の方が慎重であった。

 「しかし、それでもやっぱり、『取締役会の裁量範囲を逸脱していない』と言われそうな気がするんですよね。」

 「でも、これでそんな判決を出したら、裁判官の指示は何だったのかということになりますよ。」

 「地価図のことを言っているのですか。」

 「そうですよ。『相場価額を示して、そこから取引価額が適正だったのか、不当だったのかを立証しろ』と指示を出したのは、裁判官自身ですからね。」

 「ええ、確かにそうでしたね。」

 「我々はそれに完璧な解答を出した。被告側は何もできなかったんですよ。」

 我々の東京都地価図による立証は、言うまでもなく完璧だった。そして、被告側は、いかなる資料も提出できなかったのである。

 「これで我々が敗訴なら、『どうせ最初から被告を勝たせるつもりだったのか、だったらそんな指示をする必要はなかったじゃないか』ということになりますよ。」

 「確かに、相場資料による立証を求めた意味は何だったのかということになりますね。」

 「裁判官の指示は意味がない、守らなくていいということを認めるような判決は出せないでしょう。」

 「ただ、この国の常識は、やっぱり経営者有利ですからね。」

 佐々木は、その頃、植村ファンドがTOBを発表した会社について言及した。大手紡績会社が、無線機器製造の会社に対するTOBを発表し、無線機器製造会社の取締役会も、そのTOBに賛同の意思を表明していた。

 そこに、TOB価格が低すぎると待ったをかける形で、植村ファンドが対抗TOBを発表したのである。紡績会社のTOB価格は840円、植村ファンドは900円を提示した。紡績会社の方は、植村ファンドの提示額以上にTOB価格を引き上げるだろうと、私も佐々木も見ていた。

 ところが世の中には不思議なこともあるものだ。紡績会社はTOB価格を変更せず、その無線機器メーカーの筆頭株主だった事実上の親会社は、価格の低い紡績会社側に売却すると発表したのだった。

 その親会社の筆頭株主は、当の紡績会社でもあったことから、元からこの3社は親密な関係にはあった。しかしながら、株主から預かった大切な資産をわざわざ買取価格の低い相手に売却するとは、とても理解できたものではない。

 当然ながら植村ファンド側は収まらない。安い価格での株式を売却した、その親会社の株主でもある立場から、株主代表訴訟を提起すると発表していた。

 「あんなことをやっても、特別背任にならないんですから、この国では。」

 佐々木が批判する気持ちは、私も同じだった。

 「とにかく、年内に判決が言い渡されるのは、我々の思い通りです。次は12月9日ですね。この日にとにかく買取価格決定請求を市場価格で決着されないことです。」

 その日も、いつも通り昼食を共にして、解散した。


 12月9日になった。株式買取価格決定申請の第2回目の審問期日である。

準備書面は前々日に提出してあった。

 午後の3時からの審問には、私と佐々木、ONT法律事務所の神野、林弁護士が参集し、前回と同じように民事第8部の受付奥の部屋に通された。

 前々日に詳細な準備書面を提出していたので、さすがにこの裁判官も事態を把握していた。我々が、無茶なごり押しをしているのではないという程度はやっと理解できたようで、めでたい。

 ただ、我々の主張は、1審での勝訴判決を根拠とすることを見込んでいたので、判決がまだ出ていない以上、前回と同じような発言になってしまうのは仕方ないことだった。

 株式買取価格決定申請は、訴訟ではなく非訟手続にあたる。

 双方の主張はほぼ出揃っていた。株式の評価方法を市場株価とするのか、純資産評価とするのかというだけだから、決定にそれほど時間がかかるわけではない。

 今回の争点は、株主代表訴訟の結果を待つのかどうかということであった。我々はすでに結審し、今月22日には判決が出ることになっているので、その結果を踏まえた最後の主張をしたいということを強く主張した。

 ONTの両弁護士は反対である。代表訴訟とこの買取価格決定は、別の問題であり、他の訴訟の結果によって、こちらの審理が影響されるのは納得できない。前回と同じ主張を繰り返していた。

 代表訴訟の状況が厳しいということを被告である社長の佐藤、専務の河内たちから、あるいは常盤門法律事務所の弁護士から直接聞いているのかもしれない。

 そこでまた裁判官が、前回と同じオトボケ発言を繰り返した。

 「代表訴訟の代理人は務めておられないのですか。」

 「聞くに堪えない」とはこのことか。この裁判官にも、神野・林両弁護士が卓越した能力を持つ法律家であるということは理解できるのであろう。文書を読めば、その圧倒的な法的知識、論理構成力の高さが感じられる。

 「これほど優秀な弁護士なら、どうして観光センターの取締役たちは代表訴訟の代理人も依頼しないのだろう。不思議だなあ。」と1ヶ月経っても納得できないのであろう。だから前回否定されているのに、同じ質問をしたのだろう。

 私と佐々木は顔を見合わせて、苦い笑いを噛み殺していた。

 それでも何とか我々の主張を通すことができた。代表訴訟の1審判決が22日、その結果を踏まえた最後の準備書面提出が26日と決まった。

買取価格の行方はともかくとして、代表訴訟の判決を迎えられることだけは間違いなくなった。

 裁判官から、最後の代表訴訟判決後の準備書面提出という言質を取ると、私は発言を抑えられなくなった。

 相手方代理人二名のうちから年長である神野弁護士にこう言った。

 「先ほどの裁判官のご発言についてですが、神野先生、法曹界の先輩として一言助言してあげたらいかがですか。」

 私の突然の発言に、裁判官は意味を図りかねている。神野弁護士はポーカーフェイスを保っているが、林弁護士と佐々木は意味を悟ったようで苦笑いを抑えたような表情をしている。

 「神野先生、会社の代理人弁護士が、株主代表訴訟の被告となった会社役員の代理人を務めることはあり得るのですか。そちらの裁判官は前回の審問でも『代表訴訟の代理人は務めておられないのですか』と質問されていましたよね。同じ弁護士が会社の代理人を務めながら、『会社に損害を賠償しろ』と訴えられている役員の代理人を務めることがあり得るのか、あり得ないのか、あり得ないとすればなぜなのか、少し説明して差し上げたらどうですか。我々はこれで退散しますので、ご遠慮なく。では、失礼します。」


 審問の部屋を出て、私は佐々木とエレベーターホールに向かった。エレベーターは、なかなか来なかった。待っている間に、神野、林の両弁護士が追いついてきた。

 「お疲れ様でした。」

 林弁護士が苦笑いを交えて言う。私のように感情を露にしてはいないが、同じ法曹家として彼らの方が不快感は強いのかもしれない。

 「余計なことを言ってしまいましたかね。」

 エレベーターに乗り込みながら、私は両弁護士に向って言った。相手方弁護士にこんなことを言うのも余計なことかもしれない。

 「いいえ、お気持ちはわかりますよ。我々もあの発言には呆れていましたから。」

 この二人の弁護士に対する奇妙な親近感は何なのだろうか。

 彼らがあの裁判官に対してどんなことを言ったのか、あの裁判官がどんな反応を示したのか、尋ねて見たかったが、さすがにそれは我慢した。

 ロビーに着いた。神野、林弁護士と挨拶を交わした。彼らは事務所に戻るのであろう。

 私と佐々木は今後の予定を話し合った。

 「さあ、佐々木さん。22日はどうしますか。」

 「藤堂さんは、どう考えてますか。」

 「せっかくだから、勝訴していれば、また会見しましょう。ここの記者クラブでもいいんじゃないですか。」

 提訴の時も同じような議論をしていた。上場企業の役員を相手にした訴訟についての発表ならば、東京証券取引所の兜倶楽部、東京地方裁判所の記者クラブ、どちらでもいいのではないか。提訴の時は、兜倶楽部だったが、今度はこちらでもいいのではないかと話は決まった。

 「じゃあ、今から行ってみましょう。」

もう一度エレベーターホールに戻り、3階の記者クラブに向かった。東京証券取引所の記者クラブは兜倶楽部というが、こちらの記者クラブは司法クラブというようだ。

 司法クラブの幹事は持ち回りで、12月は協同通信社が担当しているとのことであった。我々は、協同通信社のブースを訪ねた。社会部の坂田という記者が応対してくれた。

 私と佐々木は名前を名乗り、日本観光センターの社長らを訴えている株主代表訴訟の原告であると自己紹介した。

 坂田記者は、さすがに東京地裁担当の記者だけあって、訴訟の概要をよく知っており、改めての説明は不要だった。しかも判決日まで正確に記憶しており、 「22日でしたよね。」と言ったのには少し驚いた。

 我々は、勝訴していれば、こちらで記者会見したいと申し出た。

 22日の判決文が郵送されてくるのは、23日か24日。23日の祝日から24,25日は土日になるので、週明けの26日に会見したいと言った。

 しかし坂田記者は、報道する側としては即日の会見が欲しいと言った。週明けの会見では、情報の鮮度が落ちてしまうというわけである。そこで、22日午後1時15分の判決を坂田記者が確認し、その結果を私が電話で問い合わせ、勝訴していればすぐに東京地裁に向かい、その日の夕刻から記者会見をすることで合意した。

 もちろん佐々木も同じ予定だ。勝訴の可能性は感じていたが、戦いに絶対はない。敗訴の場合に無駄足になることを避けたのだった。

 さあ、これで後は本当に判決を待つのみである。


 12月中旬、株式市場は空前の活況に沸いていた。東証での売買代金総額は、史上最高を更新し続け、日経平均株価やTOPIXといった指数も数年ぶりの高水準を示していた。

 翡翠不動産の株価は、ついに2000円の大台に突入した。もちろん、今後下落するリスクがないわけではないが、これで、買取価格決定申請の必要がなくなったということになる。我々の日本観光センターへの投資は、当初の想定とは違った形で、大きな成果を挙げていた。

 私は佐々木に電話した。

 「佐々木さん、もう2000円超えてしまいましたよ。どうしますか。」

 「買取請求の意味がないですよね。当初1000円で主張していましたから、今さらやっぱり1300円だ、なんて言っても駄目でしょう。」

 私も佐々木も、根拠のない買取金額を主張するようなことはしたくなかった。 1300円でも1500円でも主張できないことはなかったが、当初1000円と言っていたわけだから、途中で変更するようないい加減なこともしたくはない。

 「とりあえず、代表訴訟の判決は受けましょう。勝訴していれば、記者会見して観光センターと翡翠不動産のインチキな取引の数々を非難し、株式交換によって代表訴訟を封じられる法制度や親子上場の問題点を指摘して、それで終わりにしましょう。買取請求は取り下げです。」

 「勝訴しても、本当に名誉だけになりましたね。」

 「いや、佐々木さん、もう一つありますよ。」

 「なんですか。」

 「被告たちは、当然控訴するでしょう。」

 「そりゃそうでしょうけど。」

 「1審で敗訴して、控訴する場合、供託金を積まないといけませんよね。奴らに敗訴させて、供託金を積ませましょう。」

 「そりゃいいですね、ははは。」

 私も佐々木も観光センターの取締役たちには、さんざん煮え湯を飲まされてきたようなものだ。供託金はおそらく莫大な金額になるはずである。彼らには借金でもして、その供託金を調達する苦労をしてもらおう。

 「ただ、控訴は無理でしょう。奴らは控訴してもこちらは応じない。それで終了です。買取請求も取下げてお終いです。」

 「でも、本当に勝って終わりたいですね。」

 「その通りです。」

 判決は数日後に迫っていた。


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