夢のツインタワー(42) 買取価格決定申請①
買取価格決定申請
代表訴訟の方は、どうやらヤマ場を越えた。次は株式買取価格決定申請だ。これも以前に弁護士が作成した文書があるので、それを手本にすればすぐに書ける。今度は、私と佐々木が連名というわけにはいかないので、私と佐々木の申請書を2通作成した。
9月15日、同じ東京地裁民事第8部に株式買取価格決定申請書を提出し、受理された。
数日後、東京地裁民事第8部非訟係の事務官から連絡があった。第1回の審問の期日についての連絡である。
私と佐々木は、10月20日に代表訴訟でそちらに行く予定である、公判は午前11時からなので、審問はその前後の時間帯に設定してもらえるとありがたい、という希望を述べた。
事務官は、裁判官や相手方代理人と相談してまた連絡するということで電話を一旦切った。そして、しばらく後に、当日の午前10時という予定が連絡された。
10月になった。翡翠不動産の株価はさらに上昇し、1700円台になった。
代表訴訟の方は、被告側から準備書面が届いたが、もはや愚痴のような負け惜しみのような内容にしかなっていない。
我々が提出した東京都地価図の信頼性にケチをつける一方、我々が、「では、被告側はそれ以上に信頼性の高い公正中立な第三者作成の資料を提出してみよ。」と主張したことに対しては「意味するところは不明である。」などととぼけている。
また、我々の訴訟資格については、やはり何も主張できないままであった。
一方、ONT法律事務所の神野、林弁護士からも答弁書が送付されてきた。こちらは見事な出来栄えであった。敵の文書に感心している場合ではないが、最大手法律事務所のエリート弁護士の実力をまざまざと見せつけられていた。
商法が定める「決議がなければ有したであろう公正な価格」とは、上場企業においては市場価格というのが判例であった。その判例や学説を根拠に、当事案も、市場価格を基準とするべきという主張を完璧なまでに展開している。
この相手方主張を突き崩すには、やはり代表訴訟での1審の勝訴判決がなければとても無理である。会社経営陣が不公正な取引をしていたことが、同じ東京地裁民事第8部の裁判官によって認定されれば、その判決を根拠に、公正でない経営が行なわれてきた会社の市場株価も公正ではないと主張することができる。
そこに賭けるしかなかった。
10月20日になった。午前9時50分頃に東京地裁民事第8部の受付に行った。ONT法律事務所の神野、林弁護士はすでに来ていた。すでに顔見知りになっており、弁護士本人といがみ合っているわけではないので、「おはようございます。」と挨拶を交わした。少し後に佐々木も到着した。
私と佐々木、そして相手方弁護士の4人が同じフロアの奥にある審問用の部屋に案内された。
万に一つの可能性で植村ファンドが来ているかと思っていたのだが、やはり来ていない。植村ファンドは買取請求を取下げたようである。
植村ファンドは、この約1ヶ月前の9月下旬、関西の人気プロ野球チームを抱えた電鉄会社の株式を大量に買付け、大騒ぎとなっていた。観光センター株式の買取価格を争っている暇はなかろう。交換に翡翠不動産株式を受取って、速やかに売却し、ある程度の利ザヤを得ているはずであった。
裁判官が部屋に入ってきた。年齢的にはかなり若そうだ。30歳ぐらいだろうか。色白で神経質そうな印象であった。知性よりも頼りなさを感じさせる。
争点は、株式の価格をどのように決定するかということだけである。
裁判官はやはり判例重視のようで、市場株価を基準にするという考えが強そうだ。これを覆すのは並大抵ではない。
とりあえず、今日は第1回目だから、まだ本格的な議論にはならない。相手方の答弁書が届いたのは、前日だったから、反論の準備書面も用意していなかった。
この買取請求が決着すると我々の代表訴訟原告資格は確実に喪失してしまう。代表訴訟は急いで判決を迎えるように、買取請求は許される限り時間をかけるというのが作戦だった。
第2回審問は11月9日10時からと決まり、我々はその前々日までに答弁書に対する反論、純資産評価が相当と主張する準備書面を提出することを約束した。
続いて11時から代表訴訟の第6回公判が始まる。ONT法律事務所の二人の弁護士は、やはり傍聴に行くという。4人揃って、エレベーターに乗り、7階の法廷に向かった。
私と佐々木は原告席、ONTの二人の弁護士は傍聴席、そして被告席には、いつも通り、常盤門法律事務所の若野、松野、中林の3名の弁護士が着席した。答弁書や準備書面に筆頭として名前を出している大井弁護士は、やはり欠席である。
公判が始まった。裁判官は双方の準備書面を確認し、双方に対し、「主張は尽くしたとしていいのか。」と念を押す。被告側は、前回の公判で我々の訴訟資格に異議を唱えながら、書面での主張はできなかった。それについて、裁判官が念を押そうとする。
私は挙手して裁判官に発言の許可を得ると、起立して発言した。
「前回、9月8日の公判において、被告側代理人から私に対して、私が示した判例の決定年月日を教えて欲しいという要請がありました。私は、後日FAXで被告代理人の常盤門法律事務所宛てにお送りしましたが、間違いなく届いているのかどうか、届いているならば、いつ届いたのか、被告側にご返答をいただきたい。」
相手側の弁護士は、もちろん嘘はつけない。
「はい、9月14日に送付いただいています。」
事実上の筆頭代理人である若野弁護士が返答した。
私は発言を続けた。
「それから本日まで、1ヶ月以上も経過しています。当然、判例は調査なさったのでしょう。」
今度は、返答をしようとしない。さらに私は発言した。
「判例を調査して、反論する期間が1ヶ月以上もあったのに、被告側からは本日までにそれに関する文書は提出されておりません。判例を調べた上で、こちらの主張に反論できないということです。我々の訴訟資格には、何ら瑕疵はないということにつきましても、すでに決着しているわけです。双方主張は尽くしたということで、速やかなる判決をお願いします。」
言いながら、私の両眼は、相手方の三人の弁護士、そして右側傍聴席の神野、林弁護士の表情を捉えていた。
神野、林の両弁護士は、私が被告側弁護士をやり込めているのに驚いた表情を隠せない。
(神野さん、林さん、これが我々の実力ですよ。ほら、相手方の弁護士は何も言えないでしょう。)
私は、誇らしい気分だった。
裁判官は、それでも被告側に最後の確認をした。主張をするのか、しないのか、はっきりせよと促した。
被告側代理人の若野弁護士が言った。
「それにつきましては、こちらとしては、留保いたします。」
(ふざけるな!)
そう怒鳴りたかった。訴訟資格を否定できないとなれば、審理を引き伸ばそうというのか。先に買取価格決定が決着するまで、代表訴訟の審理を引き伸ばして代表訴訟の継続資格を失わせようとする被告側弁護士の意図が見え透いていた。
しかし、これはさすがに裁判官にも通用しない。
「留保などは認められない。主張するのか、しないのか、はっきりしていただきたい。」と咎められた。
結局そこまで言われて、被告側弁護士たちはやむなくといった表情で最後の主張をすると言い、裁判官に認められた。
次回公判は、11月17日と決まった。相手方は、我々の訴訟資格が喪失しているという主張を、その前々日までに提出しなくてはならない。
1ヶ月以上も主張の機会を放っていた被告側に対し、なお主張の機会を約1ヶ月与えるとはずいぶん甘いなと思ったが仕方ない。
裁判官の発言からも、次回には結審しようとしていることがうかがえる。そうすれば、年内に判決を迎えられるはずだ。買取請求の方も、年内一杯ならば、なんとか決着を引っ張れるだろう。
勝ちたかったのはもちろんだが、とにかく判決を聞きたかった。あの取引が不当なのか、不当とは言い切れないのか、裁判所としての判断が聞きたい。せっかくここまで戦ったのだから。




