夢のツインタワー(41) 切り札
切り札
8月になった。翡翠不動産の株価は上昇を続けている。喜ばしいことではあった。我々が目標としてた観光センターの株価は、佐々木が800円、私が1000円であった。翡翠不動産の株価が1600円ならば、佐々木の目標は達することになる。私は佐々木に電話した。
「佐々木さん、どうしますか。目標株価を達成しそうな勢いですよ。」
「おそらく植村は降りるでしょうね。我々も降りても悪くはないですよ。」
「しかし、ここまでやってきたんだから、判決を聴きたいね。」
偽らざる心境であった。ここまで戦ったのだから判決を聴きたい。
「そうですね。降りるのはいつでもできるわけですから。もう少し頑張ってみますか。」
そう、止めるのはいつでもできる。続けるリスクはない。唯一のリスクは裁判所から不動産鑑定を求められ、莫大な鑑定費用を負担しなくてはならなくなることだった。
それも東京都地価図を提出したことと、相手方に2000年取引の不動産鑑定書を提出させたことで、どうやら回避できたようである。裁判官は鑑定書の新たな作成の必要性をまったく口にしていない。
前回の公判では、相手方弁護士が、我々の訴訟資格に異議を唱えていた。まずはそれを木っ端微塵に打ち砕きたかった。
翡翠不動産、観光センター、そして被告たちの側は、株式交換によって、簡単にこの戦いに幕を引くことができるとタカを括っているに違いない。当初からそう考えてTOBや株式交換をしてきたはずである。そんな簡単に、奴らの思惑通りになってたまるものか。
私は、9月8日の第5回公判に向けて、4通目の準備書面を作成した。いよいよ「切り札」を表に出すことになる。
私は、過去に親族と骨肉の争いをしてきたことは以前に書いた。持株数の少なかった私は、永年にわたって心血を注いだ会社から追い出され、追い出した側の不正に対し、株主代表訴訟を提起した。
一方、私の持株が第三者に渡ることを恐れた相手方は、定款に新たに株式の譲渡制限を加え、その議案に反対した私に株式買取請求権が生じた。
その代表訴訟の被告代理人弁護士は、私の提訴を「解任された意趣返しであり、悪意によるもの」として、担保提供命令を申立てた。さらに「原告はすでに買取請求権を行使しており、実質的に株主ではない」と主張していた。
私の依頼した弁護士は、商法の条文の解釈から買取請求権を行使している株主に代表訴訟提起権があると主張し、その通りの判例を勝ち得ていた。しかも相手方が、高等裁判所に抗告を申立て、そこでもこちらの主張が認められたため、高裁の判例までも得ていたのである。
なんたる運命のいたずら、皮肉であろう。
株主代表訴訟で取締役の不正を追及しながら、株式買取請求権を行使する。まさか親族を相手にした戦いを、再び天下の翡翠不動産、観光センターを相手にすることになろうとは。
そして、そこで得た判例を利用することになろうとは。
「あの戦いは、天与の導入であったのか。」
切り札(判例)を表に出した、準備書面を作成した。
『 原告準備書面(4)
第1 原告2名の訴訟継続資格には、何ら問題は生じない
1 原告2名の株主としての訴訟継続資格
本年7月28日の口頭弁論において、被告側代理人より、原告2名の原告資格について疑義を呈するかのような発言があったため、原告2名は下記の通り主張し、本件訴訟の原告資格に何ら問題が生じないことを明らかにする。
2 訴外翡翠不動産による訴外日本観光センターの完全子会社化
本年6月24日開催の訴外日本観光センター第65回定時株主総会において、同社と訴外翡翠不動産との株式交換契約書が承認可決され、同社は本年10月1日をもって、訴外翡翠不動産の完全子会社となることが確定した。
3 原告2名の決議反対
原告2名は、総会に先立つ本年6月16日に同決議に反対する意思を通知し、さらに総会に出席して反対の意思を表明した。
原告2名は商法第355条に基づき、買取請求手続に着手している。
4 商法第355条及び245条ノ3、4の解釈
商法第355条第2項においては、株式交換決議反対株主による株式買取請求手続について、同245条ノ3、4を適用すると定められている。
そして245条ノ3第6項においては、「株式ノ代金ノ支払ハ株券ト引換ニ之ヲ為スコトヲ要ス、株式ノ移転ハ代金ノ支払ノ時ニ其ノ効力ヲ生ズ」と定められている。これは買取請求が決着し代金が渡されるまで、株主としての地位・権利が保証されるということに他ならない。
よって、買取請求手続中である原告2名の訴訟継続資格に何ら問題は生じないことは明白である。
5 判例
上記、商法第245条ノ3第6項において定められた買取請求手続中の株主の権利、特に株主代表訴訟提起権が保証されるという解釈は、「平成12年第16**号担保提供申立事件」、及びその抗告申立である「平成13年第6**号担保提供申立却下決定に対する抗告事件」において、それぞれ神戸地方裁判所、大阪高等裁判所から示されている。
同解釈は既に判例として確定ずみであり、被告らが異議をとなえる余地はない。 』
前回公判の終了後、私のところに「買取請求はどんな案件だったのか」と訊きに来て、「譲渡制限を設ける定款変更反対による買取請求権である」との私の返答にニヤリとした若野先生。さあ、これをよく読んでください。
株式交換に反対した株主も、譲渡制限を設ける定款変更に反対した株主も買取請求権を行使する手続は、どちらも245条ノ3を準用するのですよ。
そして私が得た判例こそ、その245条ノ3第6項についての解釈なのです。
245条ノ3第6項には、「株式ノ移転ハ代金ノ支払ノ時ニ其ノ効力ヲ生ズ。」と書かれています。そう、譲渡制限を設ける定款変更に反対する株主も、株式交換に反対する株主も、株式買取請求が決着して、株式の代金が支払われるまで、株式を所有しているのであり、株主の地位は留保され、代表訴訟の原告としての資格があるという判例なのですよ。
まさか素人が、こんな切り札のような判例を握っているとは思わなかったでしょう。我々には、弁護士がついていないと甘く考えていたでしょう。
さあ、これに反論できますか?
さらに準備書面(4)の後半部分では、2000年取引の不動産鑑定書と2004年取引の不動産調査書を対比させ、これまで主張してきた2004年作成の不動産調査書は取引価額を低く抑えるために恣意的に作成されたものであるという事実をより完璧に立証する内容となった。こちらは佐々木による執筆である。
すべて完璧であった。
8月下旬に、ONT法律事務所の神野弁護士から、また電話があった。いくら話しても金額的な隔たりは如何ともしがたく、こちらもどうやら裁判所の判断を仰ぐことになりそうである。
それでも一応、最後に面談しようということになった。次回公判は9月8日午前11時からであると言うと、当日の午前10時に、やはり弁護士会館に部屋を用意するとのことだった。
9月8日になった。約束どおり、午前10時前に弁護士会館のロビーで佐々木と待ち合わせ、指定された部屋に行った。
ONT法律事務所の神野、林弁護士は、やはり先に来ていた。この日も1時間近く話し合ったが、やはり平行線のままであった。
不思議なことに、私は彼らと話している時、奇妙な親近感を覚えていた。
彼らはそんなことは感じておらず、私の勝手な思い込みかもしれない。ただ、翡翠不動産と観光センターのこれまで不透明な取引の経緯やTOBを経た株式交換によって訴訟資格を奪おうとするやり方など、我々が反発を強めた話は、複雑な不動産取引の中で行われており、並の人に話しても、簡単には理解はできない。
ここに至るまでの経緯について、話が通じるというか、スムーズな理解が得られているような感覚があり、なにやら気分がよかった。
11時近くになって、話し合いは決裂して終わった。次はおそらく東京地裁の価格決定申請の場所で、裁判官を交えてお会いするでしょうということになった。
神野、林両弁護士は意外なことを言い出した。代表訴訟を傍聴するというのである。
「それでは、これから参りましょう。」
東京地裁の入口は、関係者用と一般者用に分けられている。オウム裁判の影響か、一般の入口には空港の搭乗口のように金属探知機が置かれ、手荷物・身体の厳しい検査が行われていた。混雑する時には、しばらく並んで待たねばならない。
一方、裁判官、検察官、弁護士、裁判所事務官などは、襟に着けたバッジや身分証明書があれば、関係者用入口から検査なくスムーズに入ることができる。その日は、一般用入口も混んでおらず、我々4人は揃って入ることができた。
エレベーターに乗り、7階の法廷に向かった。
「まるで私たちの代理人みたいですね。」
私がそう言うと、彼らは苦笑していた。実際のところ、弁護士バッジをつけた彼らと我々二人の合わせて四人が法廷に向かっている様子は、事情を知らない人ならば、そのように見えただろう。
もちろん法廷に入れば、我々は原告席、彼らは傍聴席である。
被告側の席には、いつも通り、常盤門法律事務所の若野、松野、中林の3名の弁護士が座った。筆頭の大井弁護士はやはり欠席である。
今回は、争点が少なかった。
裁判官は、「そろそろ主張は出尽くしたようですね。」と審理の終了が近いことを示唆する。
そう、早く結審してもらいたい。そして早く判決を下して欲しい。我々の訴訟資格には時間的制約があるのだ。
今月中旬には、株式買取請求価格決定申請をしなくてはならない。買取価格決定申請において、市場株価は公正な価格とは言えないと主張するには、一日も早く代表訴訟で勝訴判決を得なくてはならない。
万一、価格決定申請において、「市場価格以外にはあり得ない」と即断されてしまえば、代表訴訟も続けることが困難になる。買取価格決定申請が決着し、裁判所の決めた株価で我々が観光センター株式を売却すれば、その時点で代表訴訟の原告資格は喪失する。
また、その決定株価を拒否したとしても、買取請求権が消滅することには変わりなく、やはり原告資格はなくなってしまう。
被告側弁護士からは、私が主張した判例について、決定年月日を教えて欲しいとの要望が出された。
法律事務所で判例を調べるのに、事件番号だけでは無理で、決定年月日まで必要とは考えられなかった。しかも相手方の素人に「教えてくれ」とはなんたることか。「そんなことぐらい自分達で調べられないのか」そう言いたかったが、やむなく後日連絡すると返答した。
次回公判は、10月20日と決定し、その日の公判は終了した。
数日後、私は決定年月日を調査し、相手方の常盤門法律事務所にFAXで連絡した。
相手方弁護士は事件番号と決定年月日から、判例を調査したはずであるが、その次の公判までに、我々の訴訟資格に異議を唱える趣旨の書面は提出されなかった。
「どうだい、どうにも反論できないだろう。」
私は勝ち誇った気分でいた。地価図による立証、2000年取引の鑑定書提出、それを利用した立証、訴訟資格についての争い、すべて完璧に論破してきた。後は判決を待つばかりか。
もし勝てれば、快挙というより他にない。株主代表訴訟に精通した伊阪弁護士ですら、「勝訴は極めて困難」と言った事例である。しかも翡翠不動産側は資本の力にものを言わせたTOBからの株式交換で、訴訟を打ち切ろうと図ってきた。
そのたくらみを打ち砕き、勝訴判決を素人二人が勝ち取れるとは、司法関係者の誰もが予想できない事態であろう。
裁判の結果はわからない。しかし例え敗訴になろうとも、我々は何も恥じることはない。ここまで戦ってこられたのも、私と佐々木という強力コンビにしかありえないからだ。
日本中の個人投資家で、弁護士を依頼せずに、これほど戦える者は我々以外にはいない。そう確信していた。




