夢のツインタワー(4) 翡翠不動産
翡翠不動産
この日本観光センターが保有する八重洲口借地権について、誰も気づかなかったわけではない。早くからこの場所に目をつけていたのが、国内最大手の不動産会社である翡翠不動産だった。
翡翠という大手財閥グループの中核企業である同社は、ライバルである乙菱財閥の不動産会社、乙菱地所を常に意識してきた。
乙菱地所は、新東京駅丸の内側に数多くのオフィスビルを保有し、「丸の内の大家さん」とまで呼ばれていた。
翡翠不動産が、乙菱地所への対抗意識から、新東京駅の反対側、八重洲口に権益を求めたことは当然であった。また翡翠財閥の発祥地は、八重洲口にほど近い日本橋であり、八重洲口から日本橋にかけてのエリアを丸の内に劣らない超一流のオフィス街、商業エリアとして発展させ、自社物件を数多く保有することは、翡翠不動産の宿願とも言うべきものだった。
翡翠は1950年代後半から、この日本観光センタービルに目を着けていた。特に株式が店頭公開された後、観光センターの株式を市場で買い集めるとともに増資にも積極的に応じ、友好的な関係を築きながら徐々に役員を送り込んでいた。これらの関係強化策を1950年代後半から、40年がかりで進めてきていたのだった。
日本観光センターの保有する八重洲口3,700㎡の借地権は、翡翠にとって、まさに喉から手が出るほどの権益だったのである。
私が日本観光センターについての情報を佐々木から聞いた2003年の時点では、翡翠は発行済み株式の38%を保有する筆頭株主であった。
また、代表取締役の両名(社長佐藤守夫及び専務河内博史)が翡翠不動産出身者であり、さらに翡翠不動産代表取締役会長江田雄一郎と取締役事業本部長北川和夫が、非常勤取締役を務め、取締役9名の内、4名を翡翠の出身者・在籍者が占めるという状況になっていた。
また監査役3名の内、2名がやはり翡翠の出身者・在籍者で占められていた。
観光センターは、会社設立時には日鉄の子会社であったのに、数十年かけてここまで密接な関係を築き上げた翡翠の執念も尋常ではない。
老朽化した観光センタービルからテナントを退去させる交渉がまとまり、再開発計画に目途がついたのも、やはりこの2003年であった。八重洲口に自社が主導して超高層ビルを建設する、まさに翡翠不動産にとって数十年がかりの宿願が実現されようとしていた。
後に私は翡翠と徹底的に対立することになるが、彼らにしてみれば数十年かけて築いた利権にクレームを差し挟む私と佐々木に対して「昨日、今日株主になったぐらいで、何を言っているのか」という程度の意識だったのかも知れない。