夢のツインタワー(35) 証拠提出①
証拠提出①
我々が訴訟継続と買取請求を両立させる戦略はこうだ。まず買取請求をすることで株主としての地位は、それが決着するまで保障されると解釈していた。
根拠は商法第355条及び245条ノ3である。245条ノ3第6項では、「株式ノ移転ハ代金ノ支払ノ時ニ其ノ効力ヲ生ズ」となっている。
観光センター側は、市場株価を基準にした低い買取価格を提示してくるだろう。これは断固拒否する。拒否した場合、買取価格の決定を、やはり東京地裁に求めることになる。
こういう場合、つまり上場企業株式の買取価格決定が裁判所に持ち込まれた場合、判例では市場株価を基準として買取ることとなっていた。
私と佐々木の「素人コンビ」は、この判例を改めさせ、通常非上場会社の株式買取請求において用いられる純資産評価による買取価格決定を求めるという無謀な試みに挑むわけである。
判例が市場株価で買取るべしとしてきた根拠は、商法第355条2項、245条ノ2第1項による。すなわち「決議ナカリセバ其ノ有スベカリシ公正ナル価格」を市場価格としたわけである。
我々の反論根拠は、会社経営が公正に行われてこなかったという事実である。翡翠不動産への不当な利益供与は、我々の算定ではすでに78億円にも達している。
一方、我々株主への配当は、1株当たり3円、発行株式数が2千万株だから総額にして6000万円である。130年分ほどの配当が、特定株主に不当供与されている状況では、市場でまともな株価、公正な株価がつくわけがない。
東京地裁に株式買取価格決定を申請し、これらを主張するには、その根拠として代表訴訟1審での勝訴が必要だった。
観光センターから翡翠不動産に対して不当利益が供与されたという東京地裁の判決をもって、公正な経営が行われてこなかった、すなわち市場株価は公正ではなかったという根拠とし、観光センターが保有する資産価値に見合った評価を求めるわけである。
あるいは、希望的ながら、もう一つの可能性も考えていた。
翡翠不動産としては、自社会長や自社出身の役員が主要ポストを占める会社から不当な利益を得ていたという事実に基づいた判決が出ることは、自社のイメージにとって痛手となる。
判決を受けるリスクを避けるには、買取請求において、我々の主張する株価で買取るということも選択肢になるのではないか。判決を受けることを回避するならば、我々の主張する価格で株式を買取り、決着させてしまえばいいのである。
買取請求を代表訴訟よりも先に決着させようと譲歩してくるのではないかというのは、あくまで希望的な可能性であるが、いずれにせよ、とにかく代表訴訟で相手方を追い詰めること。そこに全力を傾注しなくてはならなかった。
差し迫った課題は、裁判官から求められている相場価格からの不当性を立証することであった。次回公判は6月16日、書面提出の期限は6月10日であった。
相場価格を立証する資料については、ひとつ心当たりがあった。大阪府の宅地建物取引業協会では、土地取引の価格決定における基準として、「大阪府地価図」という資料を出版している。
調べてみると、やはり東京都宅地建物取引業協会も「東京都地価図」を作成、出版していることがわかった。相場価格を示す資料としては、これしか考えられなかった。この東京都地価図は、隔年の発行で、本年(2005年)がちょうど発行の年であるとのことだった。
東京都宅建協会に問い合わせると、発行予定は6月末頃であるとのことだった。あと1ヶ月余りで手に入るが、次回6月16日の公判には間に合いそうもない。
私は佐々木に東京都地価図について相談してみた。彼は、一昨年の2003年版、さらに2001年版について、国立国会図書館に行って調べてくれるとのことだった。
数日後、佐々木から電話がかかってきた。
「藤堂さん、2003年版の東京都地価図、国会図書館にありましたよ。」
「ありましたか。」
「ええ、日本観光センタービルの土地も、評価対象になっていました。」
「それは、よかった。それでいくらでしたか。」
「それがね、思ったほど評価が高くないんですよ。」
「いくらですか。」
「3.3㎡当りで4300万円です。㎡にすれば1303万円ですね。」
「それでは、有利な証拠にはならない・・・」
観光センターと翡翠の取引価額は、108億2700万円、3700㎡の28.17%だ。借地権価値を底地価値の80%とすると、計算式は、
108億2700万円÷0.2817÷0.8÷3700
となり、土地評価額は1298万円/㎡である。
この2003年度地価図を適正な相場価額とすれば、取引価額は、ほんの0.4%ほど低いだけであり、不当な安値で資産を売却することで、不当利益を供与したという主張はできない。
これでは、賠償請求を認めさせることはまず不可能だろう。
「藤堂さん、どうします。地価図の提出はあきらめますか。」
「少し検討し直しましょう。考えがまとまれば、私から電話します。」
私は一度、電話を切り、考えを整理してみた。
しかしいくら考えても、東京都地価図以外に相場を示す資料は浮かばない。
2003年版は、確かに我々にとって不利な資料でしかないが、その後2年間に都心の地価が急上昇しているという報道は、新聞や経済誌でもよく目にしていた。
ここはとにかく2005年版地価図に賭けるしかない。2003年版をとりあえず証拠提出して、6月下旬か7月上旬には2005年版が入手出来るので、入手できれば、すぐに提出すると約束すべきであろう。
私は佐々木に再び電話をかけた。
「佐々木さん、やはり地価図は提出しましょう。」
「どうしてですか。」
「地価水準を示す資料を提出できなければ、勝てません。裁判官が提出せよと言ったわけですから。それを果たせないようでは話にならないでしょう。とりあえず2003年版を提出して、6月下旬に発行される地価図は入手出来次第提出すると約束しましょう。」
「もし、2005年版も同じような数字だったら、どうするんですか。」
「最悪の場合は、提訴を取下げることになります。でもどうせ、資料を提出できずに負けるのなら、これに賭けましょう。」
「厳しい賭けになりますね。」
「でも可能性は十分ありますよ。都心の地価が騰がっているのは間違いないし、地価図の評価もきっと騰がっていますよ。」
「それならいいのですが・・・」
佐々木は不安げだった。もちろん私にも不安がなかったわけではない。
ただ、資料を提出できずに不戦敗になるよりは、公正な第三者が作成した資料に賭けてみようと思ったのである。
第3回公判は、6月16日である。その公判の3日前までに準備書面を提出しなくてはならない。
その準備書面では、やむなく2003年版を一応の参考資料として添付し、2005年版が6月末頃に発行されるので、それを待ってさらに立証すると説明した。
一方、佐々木による被告側提出不動産調査書の批判文は、見事な出来栄えであった。
不動産調査書は、収益還元の算定において、わざと賃料水準の低い物件をサンプルとして選択し、そこから新しく完成するであろうビルの収益性を算出し、その収益からの還元法で観光センタービルの土地価格を算出していた。
佐々木は東京都地価図を参考資料にして、八重洲口の観光センタービル跡地と同じぐらいの評価をされている場所のオフィスビルはサンプルとして選択されず、遙かに評価の低い物件ばかりをサンプルとして選択されている事実を詳細に立証していた。




