夢のツインタワー(32) 植村ファンドと協議②
5月19日がやってきた。公判は午前10時からだった。私は、新大阪6時40分発ののぞみに乗り、予定通り東京地裁のロビーで佐々木と待ち合わせていた。彼はなにやら嬉しそうな自信ありげな顔をしていた。
「おはようございます。」
「おはようございます、藤堂さん、あの資料見ましたか。」
「不動産調査書のことですか。」
「そうです。」
「昨日届いたばかりなので、まだあまり詳しくは見ていません。」
実は、その前日に被告側から不動産鑑定士が作成した不動産調査書のコピーと代理人弁護士が作成した準備書面が届いていた。通常、このような資料は不動産鑑定評価書というと思っていたが、被告側から送られてきた資料には、不動産調査書と記されていた。
我々が第1回公判で、取引価額の決定について、より具体的な根拠を求めたことに対して、取引価額算定の根拠とした不動産調査書を提出し、「このような資料に基づくものである。」と主張してきたわけである。
私は、受取ったのが公判の前日であったため、改めてじっくり分析し、反論材料を探そうとは思っていた。100ページほどの分厚さがあり、評価額の算出に様々なデータや計算方法を駆使したものであった。これを分析するのは大変だな、と少し厄介に思っていたところであった。
「僕のところには、一昨日届きましたよ。」
東京在住の彼には、1日早く届いていたようである。さらに驚いたことに、すでに分析をしていた。
「あの資料、ほんとインチキですよ。わざと評価額を低くするため、デタラメばっかりやってますよ。」
「もう分析できたんですか。」
私は少なからず驚いていた。佐々木には、企業の財務・収益性の分析に卓越した能力があることを知っていたが、不動産評価においても同様のようである。
「わかりました。後でゆっくり聞かせてください。とりあえず、法廷に行きましょう。」
不動産調査書の詳細について、聞きたかったが、公判の時間が迫っていた。
法廷に入った。東京地裁の法廷に立つのは、最初に提訴して即日取下げた時、そして先日の第1回公判に続き3回目だったが、やはりいつも緊張する。
第2回目の公判であったが、いきなり裁判官が代わっていた。4月に人事異動があったのだろうか。
新しい裁判官は、訴訟の論点を的確に整理していた。確かに親会社出身・在籍の役員が、自社と親会社との取引においてわざと自社に不利・親会社に有利な条件を設定し、親会社に不当な利益を供与したというのは、動機の面でもわかりやすい案件ではあるようだ。
我々は、被告側から届けられた不動産調査書について、佐々木がすでに分析した通り、「評価額を引き下げるため作成された、恣意的なものある。」と主張し、より詳細に分析した上で、内容を批判する書面を提出すると約束した。
一方、裁判官からは、原告・被告双方に対して、非常に重い課題が示された。
提訴以来、原告である我々は、過去の当事者(翡翠不動産・観光センター)間の取引価額に比べ低くなることがおかしい、相場水準は上昇していると主張していた。一方、被告側は不動産調査書を提出した上で、「適正な調査・評価に基づくものである。」と主張していた。
裁判官の問いかけは、「では、相場価額はいくらぐらいだったのか。」ということであった。つまり原告・被告双方に対して、相場価額との比較から、取引価額が不当か適正かを立証せよというわけである。
裁判官の言葉は、ズバリ核心を突いていた。我々は、2000年の両社間の取引を基準に路線価の変動率を考慮した額を損害賠償額算定の根拠としていた。被告側は、不動産調査書の収益還元法による算定から取引の正当性を主張していた。どちらも、相場価額、いわゆる『時価』と比較して適正かどうかという主張が欠けていた。
これは両者にとって、非常に重い課題を投げかけたことになる。
不動産の評価額と言えば、一般には、公示地価、路線価、固定資産税評価額が知られている。
この中で最も時価に近いのは、公示地価である。しかし、観光センターが借地権を保有する八重洲口の場所は、公示地価の対象場所ではない。
路線価は相続税や贈与税の算定基準として国税庁が発表するものであるが、相場水準よりやや低く設定されているため、これを根拠とすることは難しい。我々は路線価の変動率を損害賠償額算定の根拠とはしたが、これは相場の変動を示す資料にはなっても、価額そのものであるとは言いがたい。
固定資産税評価額も同様である。
非常に重い課題ではあった。しかし、これに応えられないようでは、勝訴などとても覚束ないと考えるべきであろう。また、重い課題であるのは、被告側にとっても同様である。両方に出された課題ということで、フェアな対応であると考えなくてはならない。
とにかく数週間のうちに、答えを出さなくてはならなかった。
その日は、その課題を負って東京地裁を後にし、約束どおり午後から植村ファンドのある六本木タワーに向かった。




