夢のツインタワー(27) 植村ファンド
植村ファンド
TOBの発表後、観光センターの株価は、さらに上昇し始めた。
私が買い付けた時期は2003年の年末から2004年の3月にかけてであった。270円ぐらいから買い始め、最後は300円以上になっていた。株価はその後も、一進一退ながら、ほぼ順調に騰がり続けていた。
特に再開発工事が始まった2004年9月以降の上昇が顕著であった。解体される旧観光センタービルの周囲には工事用のフェンスが設置され、そこには工事計画の概要と事業主体の企業名が掲示されていた。
当然、観光センターの社名も翡翠不動産やJR関東に連なって記載されていたためか、再開発場所の権利を保有する銘柄として、少しずつ市場での知名度も上昇していたようである。株価は500円まで上昇していた。
翡翠不動産による630円というTOB価格は、市場株価の500円にプレミアムを乗せたものであったが、そのTOBの発表後、市場株価は650円以上に上昇していた。
市場でより高く売れるならTOBに応じる必要はない。
とりあえず私は、保有していた持株の一部を市場で売却することにした。大口の買いが入っているようで、保有する20万株余りの内、6万株がスムーズに市場で売却できた。
その後も大口の買いは収まる気配がない。通常なら、このようなケースでは市場株価はTOB価格を若干下回るレベル、つまり627~628円程度に収まるものである。それ以上の株価で、かなり大量の買付けが続いていた。
年初に東亜経済の記事が出て以降、出来高が増えているのには気づいていた。今回のTOBで、さらに強気の買いに出たようである。それにしてもTOB価格より高く買うとは、ずいぶん思い切った買い方である。
数日後、大量保有報告書によって、大口の買い主の名前が明らかになった。植村ファンドであった。
「これは面白いことになった。」
その時の偽らざる感想であった。植村ファンドは、上場企業の問題点を突き、場合によっては株主代表訴訟も辞さない「物言う株主」として、その存在が有名になっていた。
当然、私が指摘してきた翡翠と観光センターの不当な取引についても、黙ってはいないだろう。場合によっては、私の提訴に参加して、共同戦線を張ることもあるかも知れない。
そんなある日、東証兜倶楽部での記者会見に出席していた記者の一人から、電話がかかってきた。我々が、あの会見で嘘をついていたのではないか、と言うのである。
私は、感情的になってしまいそうな自分を必死に抑えていた。
「何を根拠にそんなことをおっしゃるのですか。」
「植村ファンドが大株主に登場しましたよね。」
「はい、それは承知しています。」
「藤堂さんたちは、実は植村ファンドと通じていて、植村ファンドが株を買い集めるために、役員たちの不正を糾す役割を負っていたのではないのですか。」
「バカな。私は植村ファンドとは何の連絡も取ったことはないし、観光センターの株取引について相談したこともない。それにだいたいですね、あなたは、証券取引法をご存知ですか。」
「とおっしゃいますと・・・。」
「証券取引法では、ある者が株式を大量に取得する予定を知った別の者が、その情報をもとに株を買うことは禁じられているのですよ。今度のケースで言えば、植村ファンドが観光センターの株式を大量に買い付けることを我々が知った上で買ったならば、インサイダー取引になるのです。あなたは、我々を犯罪者呼ばわりするつもりですか。」
「それは知りませんでした。どうも失礼しました。」
記者でも証券取引法を周知しているとは限らない。それにしても恐ろしいことを言うものだ。その時は心底そう思った。
念のため証券取引法の関係書籍を確認すると、ある者が、特定の株式を5%以上買い集める予定でいる場合、その情報を得た者が当該銘柄を買い付けることは、証券取引法第167条において禁じられていた。
それから1年2ヵ月後、植村ファンドの植村義明代表が、その証取法第167条違反の容疑で逮捕、起訴されようとは、その時の私は夢にも思わなかった。
とりあえず、私はそれ以上の株式の売却をやめ、代表訴訟を継続することにした。佐々木とも電話で相談したが、彼にも異論はなかった。
代表訴訟をどこまで続けられるかはわからないが、株式交換になるからといって、簡単に白旗を掲げたくはなかった。法廷や書面で主張したいことも、まだまだたくさん残っている。
「藤堂さん、面白いことになってきましたね。」
「ただ、植村ファンドが、どこまでこの銘柄に本腰を入れるかが問題です。」
「もちろん。訴訟の方は他を当てにせず、我々で頑張ってみましょう。」
初公判の期日が迫っていた。




