夢のツインタワー(26) TOB
TOB
提訴から10日ほど過ぎた2月中旬、裁判所から初公判の期日が連絡されてきた。3月25日とのことであった。
それからさらに10日ほど経過した2月23日、翡翠不動産による日本観光センター株式の公開買付け(TOB)が発表された。やはりIR情報をマメにチェックしている佐々木から電話があったのである。
観光センターの株価は、2004年から上昇を続け、提訴の頃には、500円ぐらいにまでになっていた。翡翠不動産はその市場価格に20%余りのプレミアムを乗せた630円で買い付けるとのことであった。
そしてこのTOBの後には、株式交換により、翡翠が観光センターを完全子会社化する予定であることまでが発表されている。
TOBを経ての完全子会社化の理由としては、翡翠不動産と観光センターが一体となって、八重洲再開発事業を推進するためなどとなっていたが、我々にとっては、代表訴訟封じであることは明白だった。
これこそが、我々が想定していた「裏技」であったのである。
TOBによって、翡翠が観光センター株式の2/3以上を保有してしまえば、翡翠は観光センターの株主総会において自社の議決権だけで特別決議を可決させることが可能となる。
特別決議によって株式交換が成立すれば、我々の保有する観光センター株式は、翡翠不動産株式に自動的に交換されてしまう。
つまり我々は観光センターの株主でなくなり、翡翠不動産の株主にさせられるということだった。観光センターの株主としての地位がなくなれば、当然ながら株主を代表して観光センターの取締役を訴える権利も消滅する。
代表訴訟の被告となった観光センターの役員たちは、これでめでたく賠償責任から逃れられるというわけである。
この頃、六本木タワーに入居する新興系IT企業が、大量のMSCBを発行して調達した資金によって、ラジオ放送会社の株式を大量に買付ける騒動が起きていた。
新興企業の狙いは、ラジオ放送会社が保有する大量のテレビ放送会社の株式にあった。
ラジオ放送局が親会社となって設立されたテレビ放送会社が、時代の進化によって巨大化し、母体であったはずのラジオ放送局を遙かに上回る規模に成長していた。
ラジオ放送会社の時価総額は、保有するテレビ放送会社の株式価値とほとんど変わらず、仮定の話ではあるが、ラジオ放送会社の全株式を手に入れれば、テレビ放送会社の株式を売るだけで元が取れ、ラジオ放送会社そのものはほとんどタダで手に入るという状況であった。
新興系IT企業による株式買い集めに脅威を感じたラジオ放送会社は、新興IT企業の持株比率を大幅に引き下げるべく、テレビ放送会社の側に大量の新株予約権を発行しようとしていた。
当然、新興系IT企業の側は、指を咥えてはいない。新株予約権発行の差し止めを請求する仮処分を東京地裁に申請していた。
マスコミでは、この仮処分が認められるかどうか、弁護士やM&Aの専門家による解説や予想が連日のように報じられていた。
翡翠不動産による日本観光センター株式のTOB発表は、ラジオ放送会社によるテレビ放送会社への新株予約権発行の発表日と奇しくも同日となり、このニュースの陰にすっかり埋没してしまったかのようだった。
翡翠グループという財閥の中核企業である翡翠不動産は、経済系マスコミとも昵懇であるせいか、批判的に取上げられることは滅多にないようである。
佐々木と私は、観光センターの資産が不当に収奪されるぐらいなら、いっそ翡翠不動産が完全子会社にすればいいという考えは持っていた。ただ、その場合には、観光センターの資産内容をきちんと評価したTOB価格なり交換比率なりが示されるべきであると考えていた。
私と佐々木は電話で話し合った。
「藤堂さん、どうしますか。TOBに応じますか。」
私と佐々木は、会計帳簿閲覧以来、観光センター株式の売買は控えてきたが、もちろんTOBに応じることは問題ない。
観光センターは、取締役会でTOBに賛同していることから、佐藤ら役員たちも持株を手放すであろうことは推認できた。
「悪くはないけれど、やっぱり少し安いね。」
私の取得平均株価は290円。佐々木はそれよりさらに低く、230円ほどだった。630円のTOBなら、すぐに応じても、投資成果とすれば上々と言わねばならない。
しかし、観光センターの保有資産は1株当り1500円を下らない。資産の含み益についての課税を考慮しても1000円を下回ることはない。それを考えれば、630円はやはり安すぎると言わねばならなかった。
TOB価格が700円ならば、応じた可能性はある。800円ならば間違いなく応じていただろう。もちろんTOBに応じて全株式を売ってしまえば、訴訟資格を失い、自動的に代表訴訟は終了する。
ただ、TOB価格が800円ならば、観光センターの資産価値を配慮したという解釈ができる。つまり市場価格が低すぎた原因はともかくとして、本来の株式価値は市場価値よりも高いということを翡翠側が認めたと解釈できるのである。それならば、翡翠側がある程度我々の主張を認めたという意味で、妥協の余地があった。
しかし630円のTOB価格では、ただ、市場価格に一定のプレミアムを乗せただけであり、やはり妥協できないという思いがあった。
「まあ、もう少し様子を見ますか。」
TOBの期限は3月10日だった。それまでに結論を出せばいいことである。




