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夢のツインタワー(2)

日本観光センター


 私こと藤堂弘司が、投資仲間である佐々木毅から、日本観光センターという会社について聞いたのは、2003年の10月だった。

それ以前にも彼からは、彼と彼の親族の資金を合わせてひそかに買い集めている株がある、発行株式数が少ない上に浮動株の比率も低く、極めて流動性の低い株なので、こつこつと買っているという話は聞いていた。

そして、ある程度の買いが進んだら私にも銘柄を教えてくれるとのことだった。

 ただし彼の希望は、もしも今後会社に対して株主としての何らかのアクションを起こす場合には、ぜひ協力して欲しいということだった。

彼は、彼と彼の親族で合わせて2%を確保することを目標にしており、もし私が1%を買えば、合わせて3%となる。

私はこれまでの経験で、3%の株式を保有することが、会社に対してかなりの圧力になるということを知っていたし、佐々木もそれを念頭に入れた上で、3%の買い集めを希望していた。

株主が会社に対して何らかのアクションを起こす場合に、3%という保有株式割合は、意味のある数字なのである。

 すなわち1%以上の株式を6ヶ月継続して保有していれば、株主総会において議案を提案する権利があり、3%ならば、株主総会召集権、取締役解任請求権、会計帳簿閲覧権、業務・財産検査権を保有することになる。

これらは、会社経営に不正がある場合には、それを検証し、追及する権利となる。会社経営が公正に行われていれば、3%という株式保有割合は大した意味を持たないが、不正を追求する場合の監督是正権としては、かなりの権限が与えられるということになる。

 もちろん、佐々木から話を聞いた段階で、後に会社経営陣と厳しく対立し、法的措置まで取ることになろうとは、思いもよらなかった。


 1950(昭和25)年、戦災で焼け野原と化した首都東京に、新東京駅が建設された。それまでの旧東京駅は都心からやや離れていたうえ、将来の新幹線導入を考えればスペースが不足するため、より都心近くに規模の大きな新東京駅を建設したのである。

幸か不幸か、戦災により多くの建物が滅失したため、都心部での大規模な土地収用が可能になったわけである。

当時は、日本鉄道公社(日鉄)による経営であったため、新東京駅建設は、文字通りの国策であった。

この新東京駅八重洲口構内3700㎡の土地に、やはり観光振興という国策によって建設されたホテルが日本観光センターであった。首都の玄関口に所在する宿泊施設として、外国人観光客の受入れや全国の観光案内を目的としたビルが建設されたのである。

 1951(昭和26)年、日鉄の子会社として株式会社日本観光センター(観光センター)は設立された。子会社であったため、日鉄から新東京駅構内用地3700㎡の使用承認を得て、その場所に15階建てのビルを建設した。

そして1954年10月、竣工した観光センタービルにおいて、日本観光センターという名称のホテル営業を開始し、同時にホテルとして使用しない観光センタービルのフロアを賃貸する事業を開始したのである。

 それから約半世紀の年月が経過していた。その間に、日鉄は分割・民営化され、関東地方の日鉄はJR関東という株式会社として、経営が引き継がれていた。

もちろん、新東京駅が首都の玄関口である事実には、いささかの変わりもない。むしろ都心への一極集中が進み、新東京駅周辺は文字通りの超一等地として発展していた。

日本観光センターによるホテル経営事業は、建築後50年が経過して老朽化した観光センタービルから離れ、中央区芝3丁目に所在するセレスシティ芝翡翠ビルに移転していた。ホテルの名称も、社名と同じ日本観光センターから、芝セレスシティホテルに変わっていた。

老朽化した観光センタービルには、わずかばかりのテナントが残ってはいたが、そこから得られる賃貸収入もわずかであった。また、ホテル事業も都心からやや離れた場所に移転したためか、大した利益を生んではおらず、日本観光センターの業績は低迷していた。

そのため、最初に佐々木からこの会社について聞いた時には、やや意外な感じがした。会社の事業内容や収益状況では、それほど有望な会社とは思えなかったのである。

当然ながら、業績を反映して株価も低迷していた。観光センターは、設立後十数年を経過した1968年に店頭市場(現ジャスダック)に株式を公開していた。

佐々木から話を聞いた2003年当時、ジャスダック市場での観光センター株価は2百数十円だった。発行株式総数は2千万株なので、時価総額にして50億円程度ということになる。

上場企業としては、いかにも規模の小さい、儲からない会社のようである。市場でもそのように評価されていたのである。

ところがこの会社は、とんでもない隠れ資産を保有していた。


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