夢のツインタワー(15) 展開
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提訴はできたが、楽観できる要素は何もなかった。まず、翡翠と日本観光センターが取引を強行するのかどうかが焦点だった。
提訴したということで、こちらが本気であることを示せたはずである。それでも契約するのだろうか。
私と佐々木は、8月になってから毎日、観光センターからの開示情報をチェックしていた。
一方、東京地裁からは初公判が10月6日であると連絡がきた。訴状が、被告とした翡翠系の役員たちに届いているのは間違いない。
8月の盆を過ぎても、下旬になっても契約の発表はなく、もしかすれば契約は見直されるのではないか、というわずかな期待も生じていた。しかし、我々の淡い期待は、月末の31日になって、見事打ち砕かれることになる。
8月31日、契約が締結されたとの情報開示が観光センターからなされた。7月30日の開示情報では、「8月中」と発表していたから、ぎりぎり期限一杯ということになる。
期限一杯まで引き伸ばしたということは、彼らも本当に契約するかどうか、逡巡するものがあったのであろうか。しかしながら、そんなことは考えても仕方のないことである。
もし万一、契約中止または見直しとなれば、提訴を取下げるつもりではいたが、こうなっては徹底的に争うしかあるまい。私は胸にこみ上げる怒りを抑えながら固く誓った。
徹底的に争う決意はあったが、一方で提訴を一旦は取下げなくてはならないだろうとも覚悟していた。
会社(監査役)宛てに損害賠償請求をするように求める書面を送付してから60日が経過しない内に提訴した根拠は、商法第267条④であったが、これはあくまで「回復できないような損害が発生するおそれがある場合」のみに認められるものである。
8月31日の契約ですでに損害が発生している以上、「おそれがある」とはいえなくなってしまっている。
また、判例によると「回復できないような損害が発生するおそれがある場合」とは、役員が財産を隠匿したり、無資力になったり、会社の債権が時効になってしまう場合などを意味すると解釈されていた。
被告の代理人弁護士が、この判例をもって、こちらの訴訟適格性について争ってくるであろうことも予想できた。
そうなれば仕方ない。提訴を一度取下げ、監査役への請求からやり直し、60日が経過すれば改めて提訴すればいいのである。
絶対に中途半端では終わらせない。私は心に決めていた。
9月になった。日本観光センターの古ぼけたビルの解体工事が始まった。いよいよ、本格的な再開発工事がスタートしたことになる。
八重洲口には、大きなフェンスが設置され、そこには事業者の名前として、JR関東や翡翠不動産の社名とともに、日本観光センターの社名が連なっていた。
これほどの場所に社名が出ている以上、再開発銘柄として市場での注目も集まるかもしれない。
解体工事は、梶山建設が請負っていた。佐々木の調査によれば、入札は行われず、最初から梶山に特定されていたということだった。
梶山への「おいしいオコボレ」がこれだった。
超高層ビルの建築ならば、それなりの技術力や会社規模も必要であり、最大手ゼネコンでなくてはならないということも理解できる。しかし、解体工事ならば、最大手の梶山でなくても、ある程度の規模や技術力のある建設業者ならば、請負えるだろう。梶山でなくてはならない理由は存在しなかった。
要するに、翡翠不動産による資産略奪に異議を唱えず、議案に無条件に従う見返りが、この無競争による工事の請負ということだった。
日本株式会社に巣食う、「馴れ合い、もたれ合い、庇い合い」を象徴するかのような事実だった。