夢のツインタワー(14) 株主代表訴訟へ
株主代表訴訟へ
翡翠は前回の取引で味を占め、観光センターから甘い汁を吸い取ることをやめられなくなったのだろう。
やっと八重洲口の再開発計画が具体化して、数年後には、観光センターの保有する借地権に見合った賃貸収入が見込める段階になったばかりである。
「株を買うなら、バカでも経営できる会社を探しなさい。いずれ、そういう人間が経営者になるのだから。」
これは、世界有数の資産家であり、株式投資のカリスマであるウォーレン・バフェットの最も有名な言葉である。JR新東京駅八重洲口に莫大な借地権を保有する観光センターは、放っておいてもビルの賃貸料が流れ込んでくるまさに「バカでも経営できる会社」ではないか。ところが、経営はバカよりももっと性質の悪い背任取締役たちによって行われている。さすがのバフェット様も、個人投資家が背任取締役を相手に戦わなくてはならなくなど想定していなかっただろう。
観光センターが保有する資産がいかに莫大でも、こんないかがわしい取引を重ねていけば、先細るばかりである。
翡翠不動産は、芝セレスシティビルの土地で、多額の含み損を抱えていたため、同土地を観光センターに相場より50数億円も高く買わせることで、含み損を低減させることに成功していた。
そのため、交換に買取った八重洲口の借地権は安値で買い叩かず、適正時価で取引していたのである。今回は高値で買わせる土地がないため、八重洲借地権を安値で買取るということだろう。
翡翠が売主、観光センターが買主なら相場より遙かに高く、観光センターが売主、翡翠が買主なら、相場より遙かに安く取引するというのが、こいつらの常識のようである。
やはり前回の取引について、先に株主代表訴訟を起こすべきであったか。
いや、後悔している暇はない。今、どうするかが問題だ。これを放置していては、翡翠による観光センター資産の搾取はますますエスカレートし、再開発ビルが完成する3年後には、結局ほとんどの利益が翡翠に流れるようになってしまうかもしれない。
とにかく、こんな不当な取引はなんとしてでも中止させなければならない。プレスリリースでは、取引を取締役会で決議したとなっているが、契約は8月中となっている。
私は、商法の株主代表訴訟に関わる条文を再確認してみた。賠償請求よりも、取引を中止させることを考えていた。なんとか方法はないものだろうか。
まず考えたことは、観光センターの取締役たちは、株主代表訴訟を起こされるリスクについて、考えていないのだろうかということだった。
本 当に代表訴訟を起こされるとわかっても、取引を強行するのだろうか。特に日本観光センターの取締役の一人は、翡翠不動産代表取締役会長江田英一郎である。翡翠不動産としても、自社の会長を訴訟の矢面に立たせるようなことをするのだろうか。
契約締結まで時間的猶予は、長く見て1ヶ月間ある。先に代表訴訟を起こしてしまえば、取引の中止か、あるいは売買価額の見直しぐらいあり得るかもしれない。
株主代表訴訟に関する商法の条文は第267条である。6ヶ月以前から株式を保有する株主は、まず書面を以って会社に対し、取締役の責任を追及するように請求し、60日を経過しても会社が取締役の責任を追及しない場合、株主が会社に代わって取締役に対する訴えを提起できると定められている。
なお、株主が会社に訴えを起こすように請求する場合、窓口となる担当者は監査役である。
同条文には、60日を経過してから訴えを提起しては、会社に回復できないような損害が発生するおそれがある場合、60日を経過しない前でも直ちに提訴できるとも定められている。
今回の不当利益供与は、会社の損害額が18億円にもなり、取締役たちの弁済能力を遙かに上回るものである。取引されてしまえば回復不可能な損害が発生してしまうという理由で、この条文を根拠に提訴するしかない。
私は佐々木に電話をかけ直した。
「リリース、見ましたよ。本当にひどい。」
「藤堂さん、それでどうしますか。」
「とにかく、この取引を中止させないと。現時点ではまだ、契約するということを取締役会で内定しただけで、契約はされていません。提訴しましょう。株主代表訴訟ですよ。役員たちも本当に代表訴訟を起こされるとなれば、取引を中止するかもしれない。とにかくその可能性に賭けるしかないですよ。」
「しかし、監査役へ請求してから提訴するまで60日も必要です。その間に契約を結ばれてしまいますよ。」
「今、商法の条文を確認しました。60日を待たずして提訴する方法があります。」
「どういうことですか。」
「代表訴訟の条文267条の④に『60日を経過してから訴えを提起しては、会社に回復できないような損害が発生するおそれがある場合、60日を経過しない前でも直ちに提訴できる』と定められています。」
「そんな条文があったのですか。」
「ええ、今回の取引が実行された場合、観光センターの負う損失は18億円にもなるわけです。取締役の弁済能力を遙かに超えているわけですから、後から代表訴訟を起こしたのでは、損害を回復するのはとても無理です。実行されると 『回復できない損害になる』わけですから、これで行きましょう。」
「さすがは、藤堂さんですね。でも私は訴訟をしたこともないし、訴状の書き方も知りません。具体的にどんな手続をするのですか。」
「要するに訴状を作成して、裁判所に提出すればいいんですよ。株主代表訴訟なら戦った経験がありますから、その時の訴状をお手本にして、私が作成しましょう。取締役は全部で9名ですが、全員を被告にしますか。それとも代表取締役の2名を被告にしますか。」
「いや、翡翠系の役員に絞りましょう。取締役9名の内の4名ということになりますね。」
「わかりました」
代表訴訟の被告を翡翠系の取締役に絞る方が、翡翠への不当利益供与ということで、動機が明確であり、また不本意ながら従わされたかもしれない他の役員を被告にすることはやや気が引けたため、佐々木のこの意見については、私も納得して同意した。
「何たる因果だろう。」
私は自分の運命の皮肉に呆れるしかなかった。
私は大学卒業から父親が創業した会社に勤務し、30代後半には、社長を務めていた。ところが、会社の利権を求めて同族間の争いとなり、私は会社を追われた。
その時、相手方の不正を追及するとして株主代表訴訟を起こしていた。もちろんその時は、弁護士を依頼していたが、訴状や準備書面などの資料は手元にたくさん残っていた。今回も弁護士への依頼は考えられないではなかったが、それら資料を手本にすれば、とりあえず訴状の作成ぐらいは、自分自身でできそうだった。
「まさか、あの時の経験が役に立つとは・・」
自分の運命の意外な展開であったが、感傷に浸っている場合ではない。早速、当時の資料を持ち出して訴状の作成にかかった。さらに書店に行き、株主代表訴訟関連の参考書籍を買い求めた。
もちろん訴状作成の経験があるわけではなく、素人に過ぎない私は、資料を前に悪戦苦闘しなくてはならなかった。それでも数日かけて、何とか訴状らしきものを作成できた。
被告は、日本観光センター代表取締役佐藤守夫(元翡翠不動産取締役副社長)、代表取締役専務河内博史(元翡翠不動産住宅販売常務取締役)、取締役江田雄一郎(翡翠不動産代表取締役会長)と取締役北川和夫(翡翠不動産取締役事業本部長)の4名である。
こいつらだけは許せない。
2004年8月9日、東京地方裁判所民事第8部に作成した訴状を提出し、受理された。