夢のツインタワー(10) 決意
決意
日本観光センターの株価が、保有する資産の十数パーセントに過ぎない事実は、やはり不可解なことではあった。その資産の主たるものは、新東京駅八重洲口徒歩0分の土地借地権である。毎日、その前を何十万もの人々が通り過ぎていく場所である。翡翠以外に誰も気づかないのだろうか。
株価が極端に低い原因としては2つ考えられる。簿外資産であるため、その価値が気づかれにくい。決算書や株式投資関連の資料を見ても、この「隠れ資産」に気づくことは難しい。
もう一つは、あきらめであろうか。観光センターは翡翠に支配されてしまっており、一般株主は報われないと市場が判断しているということだろうか。
確かに翡翠の支配方法は、実に巧妙なものだった。筆頭株主としての保有割合は38%、代表権を持つ取締役社長と専務取締役の両名は翡翠不動産出身者、さらに残りの取締役7名の内、2名が翡翠不動産の在籍者である。これで全取締役9名の内、4名が翡翠不動産出身・在籍者ということになる。
これは観光センターが翡翠の連結子会社になる条件をほんのわずかに満たしていない状態である。もし持株割合が40%以上で取締役9名の内5名が翡翠関係者なら、観光センターは翡翠の連結子会社ということになる。
芝のセレスシティビルの建設は、翡翠不動産によるバブル時代からの再開発事業であったため、観光センターに法外な高値で土地を買わせても、なお71億円の譲渡損が発生していた。
逆に言えば、観光センターが連結外の会社であったため、まともな相場価額よりも53億円も割高な価額で買わせることにより、本来124億円も発生するはずの譲渡損失を71億円に圧縮できたのである。もし観光センターが連結子会社なら、不可能な手段であった。連結財務諸表においては、グループ間の取引は、決算書に計上できないからである。建物の売却益も同様である。
翡翠としては、観光センターをあえて連結外とすることで、巧妙な利益操作や損失低減が可能だったのである。
不思議だったのは、翡翠在籍・出身以外の取締役や他の株主の態度だった。翡翠がそんな好き勝手をしているのに、なぜ翡翠出身・在籍以外の役員は、異論を唱えず、また他の大株主は黙っているのか。
その疑問の答えは株主構成にあった。第2位株主は大手建設会社の梶山建設であった。この梶山建設は翡翠不動産と最も親密なゼネコンであり、翡翠から請負う工事だけで、年間数百億円にもなっている。
梶山建設にとって翡翠不動産は大得意先であり、翡翠のすることに異論を唱えることなどあり得るはずもなく、翡翠にとって、最も都合のいい第2位株主であった。
梶山の株式保有割合は15%。翡翠と合わせて過半数の53%である。これで取締役たちの人事権は完全に掌握したことになる。
商法では、株式会社における取締役の選任方法は二通り定められている。原則では、株主の要請による累積投票制度が認められていた。これは、株主の保有株式数に応じて、取締役を選任するということになる。
ある株式会社に60%を保有する株主と40%を保有する株主がいるとして、5人の取締役を選任する場合、保有割合に応じて、それぞれ3名、2名の取締役を選任する権利があるとするものである。
しかし一方では、この累積投票制度は、会社の定款によって排除することも認められていた。その場合は完全多数決制になる。つまり過半数を制する株主がいれば、取締役・監査役の全員を選出することができるのである。
日本の上場企業の多くは、持合いによる安定株主によって過半数を確保できるとの見通しから、経営陣にとって非友好的な株主が推薦する取締役を排除するために、定款には、この累積投票制度の排除が定められていた。
日本観光センターも、やはり定款には、この累積投票制度の排除が定められていた。要するに、翡翠不動産が梶山建設の協力により過半数を制すれば、役員全員の人事権を掌握できるわけである。
しかも後にわかるのだが、この梶山建設も、観光センターから甘い汁を吸わせてもらっている。実に、実に巧妙な支配方法であった。
取締役たちは、すべて翡翠の言いなり。逆らえば、次の株主総会で飛ばされて終わりの立場である。他の主要株主もすべて株式持合いの法人であり、日本株主会社の暗黙のルールなのか、持合い先の会社経営には一切異論を差し挟むこともないようで、翡翠の専横がまかり通っていたのである。
「それなら、俺がこの会社を変えてやる。」
私は大それた決意をしなくてはならなかった。私自身が株主として、この会社を厳しく監視していくことである。
観光センターが経営するホテルを芝セレスシティビルに移転させた理由は、単に観光センタービルが老朽化したからというだけではない。新東京駅八重洲口の大規模な再開発計画が具体化してきたからだった。
あの古ぼけた観光センタービルは解体され、その場所に数年後には、地上200メートル43階建ての超高層ビルが建設される。借地権の47%は売却したものの、なお53%の借地権を保有しているのである。
建物が完成すれば、借地権に見合った莫大な賃料収入が観光センターに流れ込むのである。株価は何倍に跳ね上がるのか、想像もつかないほどである。
問題は翡翠による搾取だった。不当な利益収奪さえやめさせれば、観光センターでまともな経営さえ行われれば、株価の高騰は、まず間違いはない。株主として過去の取引の疑惑を追及し、今後の経営を厳しく監視していけば、翡翠も今後は不正な利益収奪ができなくなるのではないか。
そんな考えを抱いた私は、それから数ヶ月かけて、発行株式数の1%に相当する20万株を買い集めるのだった。平均取得原価は290円。自分の財産を賭ける勝負に出たのである。
ただし、翡翠の狡猾さは、私ごとき株主が少々騒いだぐらいで納まる程度のものではなく、私は考えの甘さを後に思い知ることになるのである。