2.カエデ様と白い壁
それからというもの、城内や城外で、王子とカエデ様が共に仲良く過ごされている姿をしばしばお見かけするようになりました。
テラスでお茶をされたり、お庭を散策されたり。
もともと気が合っておいでだったのでしょう。
先日、王子が求婚を断られたのは何だったのでございましょう。あの時間がまるで無かったような様子です。爺にはやはり不思議です。
***
そんなある日のこと。
慌てて私を探しにきたメイドが、「カエデ様が白壁の廊下に…!」と訴えてきました。
メイドは血相を変えておりますが、今少し状況が分かりません。
とにかく現場に来てくださいと訴えるので、そのメイドを連れて、『光輝の白壁』とも呼ばれている、白壁の美しい場所に急ぎました。
現場には、カエデ様、そして、エルファンド王子も居られるようです。
…おや?
壁の部分部分が赤く見えます。
疲れで私の目が悪くなったのでしょうかな…。あとで医者に診てもらった方が良いでしょうか…。
駆け寄る私に気づいて、王子が振り返られました。
駆け寄るのが私と気づいて、エルファンド王子は困ったように眉を下げられています。
「・・・ムソン・・・私も今来たのだ。・・・あの、な、カエデが描いたそうだ・・・。少し色味を加えた方が良いと思ったと・・・」
「カエデ様が描かれた?」
爺は、目線を壁にやります。やはり赤く妙な線が描いてあります。
・・・あぁ、なるほど、目がおかしいわけでは無かったようです。『描いてある』のでございますな。
「私は、まぁ、問題はないのだが…。ムソン、あの、すまない…」
王子は言いにくそうに、悲しそうな顔でそう仰いました。
その様子を見たカエデ様がキョトンとされて、それからハっと気づいたように驚かれました。
「え、セバっちゃん、この白い壁、大事だった? ごめん、すぐ消した方が良いよね…!? ね!? ごめん、私・・・白いからつい・・・」
そのカエデ様の足元付近には、ボウルにつくった様々な色の顔料が置いてあります。
「あ、いえ、いえ。カエデ様。殺風景に思って、色をつけられたのですね」
「う、うん。白くて大きいし、ちょっと思い出してさぁ・・・」
カエデ様は困ったように私の顔を上目づかいで見て、助けを求めるように王子にも目をやっておられます。
「あ、いえいえ、王子が問題ないのです、私も問題ございませんよ。ご安心ください」
私は安心させるべくカエデ様に微笑みます。
「・・・」
王子はカエデ様と私の様子を心配そうに見守っておいでです。
私はそんな王子に大丈夫ですと伝えるために穏やかに頷いて見せました。
ついでに、私を急いで呼びに来てくれた、私の後ろについてきたメイドにも振り返って頷いておきます。
「エルザ、知らせてくれてありがとう、大丈夫だ。もう下がって宜しい」
「・・・」
メイドは私の顔を心配そうに見つめ、それから壁に目をやってから、頷きました。礼をとって下がっていきます。
「あの・・・」
カエデ様がオロオロされておられますな。
「大丈夫でございますよ。ところで、これは何を描かれたのでしょうか?」
爺は、改めて壁に描かれた赤い線を見つめます。
直線と曲線が描いてあるのですが、何なのか爺には分からないのでございます。文字のようですが、見たことのないものです。
「えーと、えーとね。『よろしく』って書いたんだよ」
とカエデ様。
「挨拶を? ではこれは文字なのか?」
とエルファンド王子。
「見たことのない文字だ」
私と王子とで、カエデ様が描かれた文字をしみじみと鑑賞いたします。
「うん、私の使う文字だよ! カッコイイでしょ」
カエデ様が少し元気を取り戻してこられました。そのご様子に、爺も安心いたしますな。
王子も少し落ち着かれたようです。穏やかに微笑まれました。
「カエデのところの文字は複雑なんだね。『よろしく』と書くだけでも難しいのだね」
エルファンド王子がそう仰います。
私も同感でございます。文字に魔力でも込められそうなほど、一文字一文字を構成する線が多うございますな。
感心する王子と爺の様子にカエデ様はたいそう満足そうに笑っておられます。
「すごいでしょ。これねー、この部分は『夜』で、これが『露』。で、これが死ぬの『死』で、苦しむの『苦』って字なんだよ」
「・・・『よろしく』という言葉に、意味の異なる文字が入っているのか?」
王子が不思議そうに、かつ、感心したように仰います。爺も同感です。カエデ様は複雑な文字を使っておられるのですなぁ。
「そうでしょー、すごいでしょ!」
カエデ様が得意に胸をはられます様子を王子と爺は見て、改めて目の前の文字を鑑賞いたします。
「ムソン、どう思う」
「はい、挨拶の言葉に、世の苦しみと悟りの境地をも込めてあるのでしょうか。奥が深くございますな。これは芸術でございましょうなぁ」
爺の感心した言葉を聞いて、王子は、うん、と頷かれました。
「・・・ここを新しい宝の場所にしようか? 金縁で飾り代々子孫に伝えていく・・・どうだろう」
「なるほど。良いお考えですね。では金の額縁をさっそく手配いたしましょう」
「・・・ムソン」
王子が少し心配したような困ったお顔を向けてこられます。
「心配されることなどございませんよ、エルファンド王子。古いものは時折、新しいものに変わるものでございます」
カエデ様は楽しそうに笑って声をかけてこられました。
「見てみて―、私、これも書けるんだ!」
と、赤黒く混ぜた顔料で、白いところにサラサラと新しく文字を描かれます。
「カエデ、これは?」
「じゃーん! 『薔薇』だよ!」
「バラ・・・! いや、少し待って、カエデ!」
「え? なんで?」
「いや、ここは、あの、『光輝の白壁』と呼ばれる伝統ある場所で…」
「王子、私は、金の額縁を頼んで参ります」
「あ、あぁ…」
「マジでここ、飾るの? あはははは」
やはり仲が宜しいご様子を目にして、爺は満足でございます。
爺はお二人をそこに残して去らせていただきました。
後ろから、ワイワイ楽しそうな声が届いてまいります。
戻った私に、私を呼びに来たメイドが改めて声をかけてきました。心配しておりますし、カエデ様に怒っている様子です。
私は穏やかに言いました。
「エルザ、ありがとう。大丈夫、あそこは新しい芸術を飾る壁になるのだから」
「・・・ムソンルージ様は、カエデ様に甘くございます!」
「ははは」
私が笑ってしまいましたので、メイドは不審に思ったようでございます。
「ムソンルージ様?」
「大丈夫ですよ、エルザ。きっと、あの人も笑うに違いないのですから」
「・・・しかし・・・」
私は、そのメイドを、「ありがとう」と宥めました。
しかし、私はうっかり、口止めするのを忘れておりました。
まさか、メイドが側室候補として来られているカエデ様に、文句を申し上げるなど、思ってもみなかったのです。
私の失態でございましょう。
***
私は爺なので、他の使用人よりも少し早く、部屋に戻らせていただく事がございます。
体力が持たない事があるのですな。
とはいえ、今日は少し、静かに過ごしたい気分になりましたので、早めに戻らせていただいたのです。
王子が私に贈ってくださったロッキングチェアに座り、ひざ掛けもしてゆらゆら揺られてぼんやり休んでおりましたところ、ノックが聞こえました。
「・・・ムソン? いるか?」
なんと! エルファンド王子ですな。
私はヨイショと立ち上がり、扉まで王子をお迎えに参ります。
扉を開けますと、そこにはションボリとしたエルファンド王子が立っておられました。
しかも、あろうことか、ご自身で蓋つきの銀食器をお持ちなのでございます!
「どうされました、珍しいですね」
「入ってよいだろうか・・・」
勿論ですとも。私は王子を部屋へお招きいたします。
私が銀食器を王子の手から受け取ろうといたしますと、
「これ、ムソンの好きなタルトだ」
と仰って、自ら銀食器の蓋をとって中を見せてくださいます。
「おぉ、リンゴのタルトですな。久しぶりでございます」
私が喜びの声を上げるのを、王子は聞いて微笑み、どこか少し安心されたご様子です。
「ムソンのために、ドートに作ってもらったんだ。ドートも心配してる…」
ドートというのは、昔からこの城に努めております料理長でございます。私の古くからの友人の一人でございます。
「そんなに気にされなくても大丈夫と申し上げましたのに」
と私が穏やかにお答えいたします。
「本当に?」
王子が私の目を覗き込んでこられますな。
「本当ですよ」
と私は微笑みます。
「…光輝の白壁だが、カエデが描いてしまった部分を、白で塗りつぶす事も可能だが…」
王子が申し訳なさそうに目を細めて、仰います。
「でも、塗りつぶしても、元の壁ではないし…。あの色を消すためには厚く塗らねばならぬから、元の白壁も全て上から新しい白で塗りつぶす事になる…だからあのままもう手を加えないのが一番かと…」
私は王子の言葉に頷きました。
「色々考えてくださって感謝いたします。大丈夫でございますよ、それほど気にされませぬよう」
「・・・」
「申し上げたではございませんか。古いものは新しいものに変わっていくのです。確かに寂しい思いもございますが、それはまた当たり前の事でもございます」
「・・・本当に申し訳ない、カエデにも言・・・」
「王子、古いものを大事に思う気持ちは大切です。けれど失われたなら、もうやはり戻せないのも事実でございます。それに、あの壁にも、新しい時代がきて良いと思えば宜しいのです」
「・・・あなたが、そう言われるのでしたら」
と、王子が仰いました。
私は大丈夫だと、頷きます。
トン、トン。
扉を叩く音が、いたしました。
「・・・あの、セバっちゃん、いる? ここ、セバっちゃんの、部屋だよね・・・?」
心細そうな声が届いてまいります。
「カエデだ」
「なんとカエデ様まで」
王子と私は顔を見合わせました。
私が扉までお迎えに参りますと、やはりカエデ様が泣きそうな顔をして外に立っておいででした。
「セパっちゃん、ごめんねー!! 壁、セバっちゃんの大切にしてるとこだって知らなかったからさぁ、ごめんね、うあー!!」
「カ、カエデ様!」
「カエデ!」
私の顔を見たカエデ様は、一瞬で顔をぐしゃっと崩されて、大泣きされてしまいました。
そのまま抱き付くように来られて、爺は驚いてしまいます。
部屋の中にいたエルファンド王子も、慌てて立ち上がって扉のところまで来られました。
「わたしさぁ、ごめんね、セバっちゃんの思い出の場所って知らなくてさー、ごめんねー、消そうと思ったけど、取れなくてさぁ!!」
「カエデ様、そんなにお泣きになって・・・」
「・・・消す? 消そうとしたのか、カエデ・・・?」
隣のエルファンド王子は、少し動揺したようです。
ふむ、確かに、消し方によっては、また壁の状態が変わりますからなぁ。
カエデ様の泣きは全く収まりそうにございません。
「ごめ、ごめんね、わたし、皆の事思い出してさぁ、それで、うぐ、それで、やっちゃったんだ、」
「カエデ様、大丈夫ですよ、どうぞ落ち着かれてください。さ、立ちっぱなしです、どうぞ中にお入りください、王子がリンゴのタルトを持ってきてくださったのですよ、召し上がられますか?」
「・・・」
隣のエルファンド王子は無言でございますが、カエデ様に食べていただいても宜しいですよね?
カエデ様は、首を振って「いらない」と答えて、まだウグウグと泣いて涙を流して鼻をすすり上げておられます。
「うー、ごめんね、ごめんなさい、絶対きれいにします、ごめんなさい」
「カエデ」
私が困ってしまったので、王子が横からなぐさめの言葉をおかけになりました。
私はエグエグ泣き続けるカエデ様の背中をぽんぽんとあやすように叩きます。
扉のところでカエデ様が泣いてしまったので、異変に気付いたのでしょう、メイドたちが様子を見に集まってまいりました。
私は集まってきた皆に軽くうなずいて『大丈夫だ、戻りなさい』と合図をいたします。
皆は私とカエデ様の様子に、少し驚いております。
「さ、どうぞ中に」と再度促しますが、カエデ様は首を横に振って、私からお離れになりました。
それから、頭を下げて、「本当にすみませんでした」とまた泣きながら謝られるのです。
私は他の皆も集まっておりますため、状況と私の気持ちを説明いたしました。
「カエデ様、本当に、白壁はあれで構わないのですよ。物事は変わっていって当たり前です、それに王子も問題ないと仰っているのですから、私はなんの問題もございませんよ。新しい壁になって良いではありませんか」
「・・・・」
カエデ様はじっと私の目を見てこられました。
「だって」
カエデ様はその後もなお、詫びの言葉をたくさん仰いました。
本当に、そんなに気にされずとも宜しいのに。何度そう申し上げても、あまり伝わっておりません。
最後には、見かねた王子が
「カエデ、もう遅いし、ムソンもこのままではかえって疲れてしまうよ」
と助けてくださり、カエデ様は王子に連れられて帰って行かれました。
集まっていたメイドたちも、それぞれ部屋や仕事に帰しました。
やれやれ。
と、私は戻った部屋で、再びロッキングチェアにて揺られながら、微笑んでしまいました。
皆、大切にしてくれているのですなぁ、と、実感できたからでございます。
部屋には、王子の持ってきてくれた、ドートの作ったリンゴのタルトが置かれております。
せっかくだから、久しぶりに食べさせていただきます。
リンゴのタルトは、私の大切な奥方様の、大好物であった品なのです。
私は部屋で一人だというのに、語りかけてしまいましたよ。
「・・・・、皆、私とあなたの事を、大切にしてくれていますね」
壁にかけた肖像画に向かって思います。
あの壁が昔のままでなくても、構わないでしょう?
思い出はきちんと私たちの中にあるのですから。
・・・それに壁のことでションボリしてしまっては、あなたに激を飛ばされそうですからね。
肖像画のあの人は、変わらず私を勝気そうな目で見ています。
「・・・カエデ様は、あなたに似ている気がします」
私はクスリと笑いました。
きっとあなたも愉快に笑ってくださることでしょう。
なお、あの場所が私の人生の思い出の場所だと教えたのは、メイドのエルザだとあとで分かりました。
口止めすれば良かったと思いましたが、これがきっかけで、カエデ様とエルザは仲良くなったとのことでございます。
そして、メイドたちに大変不評を買っていらっしゃったカエデ様ですが、私への謝罪の場に集まったことで、カエデ様のお心の素直さがメイドたちにも伝わりまして、メイドの中で、カエデ様の好感度がUPいたしました。
世の中は何が幸いになるか分かりませんね。
***
後日。私が迅速に手配しましたことで確実に仕上がってまいりました金の額縁を、あの壁に取り付けさせていただきました。
壁は、あの日、カエデ様が消そうと頑張られた跡がありまして、『夜露死苦』と書かれた文字は赤黒くにじんでおりました。
壁に赤黒い染みが広がっている、という様子は、おどろおどろしい不吉さがございまして、思い出うんぬん関係なく、私、至らぬことに、言葉をなくして立ち尽くしてしまいました。
そこに、先に様子を見て思案しておられましたエルファンド王子の案で、改めてカエデ様に『夜露死苦』と書いていただく事になりました。
その言葉が奥深いとして額縁を手配したわけでございますからな。さすがは王子です。
「あ、あの、あの、えと、全部、『薔薇』で、いい、かな」
カエデ様が慌てたように両手を震わせるように振っておられます。
「あの、ほら、あのさ、思い出の場所って、聞いたら、死ぬとか書かない方が良いと思うんだ!」
「けれど、それで『よろしく』と読むのでしょう?」
と、私が不思議に尋ねさせていただきます。
王子も不思議そうです。
「うん、でも、あの、ほら、薔薇の方が、雰囲気いいから! 絶対! ね!」
「そう言われるのでしたら・・・」
「うむ・・・」
やはり不思議な思いは残りますものの、カエデ様が顔を赤くして一生懸命おっしゃいます事と、カエデ様に書いていただくものですので、カエデ様の仰るとおりにお願いすることにいたしました。
そうして、色も、薔薇に似た様々な赤色を用意されて、文字のにじんだ場所に、改めてカエデ様に文字を書いていただきました。
なにやら、とても緊張した様子で、丁寧に一線一線書いておられるご様子です。
私の事を思って、そのように丁寧にしてくださっているのでしょう。
お優しい方でございますな。
「・・・私も、書かせてもらおうかな」
エルファンド王子が、私に少し許可を求めるように仰いましてから、カエデ様のところに行かれました。
カエデ様が丁寧に描かれておられるので、時間がかかりそうだと思われたのでしょう。手伝いに向かわれたのでしょうな。
「えっ、いや良いよ、私の仕事だし!」
「そう言わず。それに書き方を教えてもらっても?」
「えー?」
カエデ様が困ったように私の方を振り返られました。どうやら、私が反対していないか確認されたご様子です。私はニコニコ微笑んでおります。
「えっと、じゃあ・・・良いの?」
「ぜひ」
カエデ様は、王子に描き方を教え始められました。
赤黒い染みに、お二人で、丁寧に『薔薇』という文字を重ねていかれます。
爺は、その様子を幸せに思って眺めておりました。
途中、心配したメイドが椅子を用意してくれましたので、せっかくなので座らせてもらい、お二人が描き終わるまで眺めておりました。
時折笑い声を上げながら楽しそうにされるお二人。
実際のところ、カエデ様のお心がエルファンド王子に向いているのか、爺にはよく分かりませんが・・・お二人が、仲良く過ごされますと、爺もうれしいですなぁ・・・と、思いましてございます。
一週間ほどしてから出来上がった金の額縁を取り付けると、そこは華やかな場所になりました。
いつのまにかそこは、『赤薔薇の白壁』と、皆が呼ぶようになりました。
古いものが新しいものに変わり、その新しいものは幸せに思えて、爺も幸せにございます。




