太陽の種
そのねずみは「スポット」と呼ばれていました。他の友達は、お父さんやお母さんがくれた名前で呼ばれていましたが、スポットには両親がいませんでした。だから名前もなく、白い体の左胸に黒い斑点がある事から、みんなにそう呼ばれていました。
スポットを育ててくれたのはギムスとポレア。ギムスとポレアには二匹の子供がいて、名前はガルタとグルタと言いました。ギムスは物静かなお父さんで、三匹とよく遊んでくれました。ポレアは厳しいお母さんで、スポットはいつも怒られていました。ガルタとグルタはスポットのお兄さんで、スポットをいじめるのですが、優しい時もあります。
スポットは家族に感謝していました。虫の採り方や怖いものから逃げる時のコツを教えてくれたギムス。大好きなチーズを取ってきてくれるポレア。ケンカのやり方やいたずらを教えてくれたガルタとグルタ。でも、スポットは大きくなるにつれ、家族や友達と少し距離を置くようになりました。心配を掛けないように、あまり遠くまで遊びに行きません。ガルタやグルタと遊ぶ時、悪ふざけをしてお兄さんたちを笑わせます。友達のサーモにも話を合わせたり愛想笑いしたりして、心の底から打ち解ける事ができませんでした。
ある日、ギムスは三匹の息子たちを連れて出かけました。屋根裏には他の家族たちも住んでいるので、ギムスは他のねずみとすれ違う度に挨拶をします。
「やあ、元気かい?」
「最近は暑いねぇ」
他のねずみたちも答えます。
「ようギムス。子供たちとお出かけかい?」
「水浴びでもしたい気分だな」
スポットはギムスが立ち止まる度に挨拶します。
「こんにちは」
「こんにちは」
雨どいを伝って降りると、太陽の花が植えられた花壇があります。スポットは太陽の種が美味しい事を知っています。
「もうすぐ食べられるかもな」
ギムスは太陽の花を見上げて言いました。
壁沿いに進むと、灰色の壁に当たります。
壁の隙間から中に入ると、鼻にツンとつく匂いがしました。
「今日は何があるかな」
「ハムが食べたいなぁ」
ガルタとグルタはスポットを押しのけて、奥の方へ走って行きました。
「自分の食い物は自分で探すんだぞ」
ギムスはそう言って奥に消えました。
スポットも腹ペコだったので、一生懸命探しました。
(チーズがないかな。チーズが食べたい)
でも、空き缶やペットボトルばかりで、食べ物はなかなか見つかりません。
やっとの思いで見つけた紙袋の隅に、パンのかけらが入っていました。しかし、それだけではスポットの空腹を満たす事はできませんでした。
(もっと探さなきゃ)
スポットは奥へ奥へと進みました。
更に奥の方から、ガルタとグルタの声が聞こえました。
「やった!ベーコンだ!」
「俺にも少しくれよ」
スポットは聞こえない振りをして、ゴミの中をどんどん進みました。
すると、何やら甘い匂いがしてきました。
匂いの方へ進むと、フタの開いた空き瓶を見つけました。
(やった!ジャムだ)
大好きなイチゴジャムではありませんでしたが、ブルーベリージャムはとても甘くて、スポットは喜びました。
そこにギムスがやってきました。
「スポット。ジャムを見つけたのか。良かったな」
スポットはギムスにも少しだけ舐めさせてあげました。
「これはジムズストアのジャムだな」
スポットは人間の文字が読めませんでしたが、ギムスは少しだけ読む事ができました。空き瓶に貼ってあったシールを見て、ギムスは満足そうに頷きました。
「あそこのジャムが世界一さ」
そう言われて、見つけたスポットも嬉しくなりました。
「お前は鼻が利くからな。もっと探してお腹一杯になるまで食うんだぞ」
スポットはヒゲについたジャムを手で拭くと、辺りの匂いを嗅ぎました。
近くからジャムとは違う甘い香りがしました。
箱の一つに潜り込むと、クッキーが沢山見つかりました。
「ギムス!クッキーが沢山あるよ」
スポットの声を聞いて、ギムスと兄二匹がやってきました。
四匹はお腹一杯クッキーを食べ、残りをポレアにお土産として持って帰る事にしました。
「きっと母さん喜ぶぞ」
グルタは抱えきれないほどのクッキーを持って言いました。
スポットもグルタに負けないぐらい持ちたかったけど、体の大きいグルタの半分ぐらいしか持てませんでした。
屋根裏の家に帰ると、ポレアは喜びました。
「まあ、こんなに沢山のクッキー。ありがとう子供たち」
「僕が一番多く持ってきたよ」
「僕の方が多いよ」
ガルタとグルタはクッキーの量を自慢していました。
スポットは自分が一番少ない事はわかっていたので、自慢には加わりませんでした。
スポットはクッキーを少しだけ持って、サーモの所へ行きました。
サーモとクッキーを食べ、雨どいを伝って外に出ました。
「向日葵の種、食べたいね」
「ギムスがもうすぐ食べれるって言ってたよ」
二匹は太陽の花を見上げました。
「太陽の花は太陽の子供なのかな?」
スポットは昔からその事が気になっていました。
「違うと思うよ」
サーモは頭が良く、スポットが知らない事を沢山知っていました。
「だって太陽には種がないでしょ?」
スポットは考え込みました。
「それに、向日葵は夏しか花が咲かないけど、太陽は一年中咲いてるからね」
スポットはサーモの頭の良さを尊敬していました。サーモのようになりたくて、ギムスに人間の文字を教えてもらったのですが、スポットには全然理解できませんでした。
(サーモは人間の文字が読めるのかな)
スポットは聞いてみようかと思いましたが、もし読めるとしたら悔しいので聞きませんでした。
「でも、太陽に種がないなら、どうやって増えるのさ」
スポットは植物が種から生まれる事を知っていました。
「太陽は増えないんだよ」
「何で?だって毎日咲いてるよ」
「そうだね」
「昨日の太陽の種で今日の太陽は咲いてるんでしょ?」
「太陽はずっと咲いているんだ」
「夜は咲いてないよ」
「見えないだけで、本当は咲いているんだよ」
スポットは自分の頭の悪さに腹が立ちました。サーモの言っている意味が全くわかりません。
「太陽について知りたいなら、グースに聞いてみたら?」
グースとは、森に住んでいるフクロウの事でした。
「グースは何でも知っているらしいよ」
「でも、グースに近付いたら食べられちゃうよ」
「グースがお腹一杯の時に話しかければ良いんだよ」
スポットは意を決して、グースに会いに行く事にしました。
グースの住む森に来るまで、キツネに三回、鷲に一回食べられそうになりました。でもスポットは走る事には自信があり、ギムスが教えてくれた逃げ方も知っていたので、何とかグースの住む大木まで辿り着きました。
夜になり、森の中も静寂が広がりました。
スポットは怖い生き物たちから身を隠し、グースが大木から出てくるのを待ちました。
しばらくすると、大木の上の方にある穴からグースが出てきました。近くの枝に留まり、羽の手入れを始めました。
スポットは勇気を振り絞って声をかけました。
「グース。こんにちは。僕はスポットと言います」
グースはスポットをちらりと見ると、そのまま羽の手入れを続けました。
「あなたに教えて欲しい事があるんです」
グースはもう一度スポットを見ました。そしてスポットが隠れていた岩に降り立ちました。
「自分から餌になりに来るネズミとは珍しいな」
スポットは怖くて震えました。
「教えてやっても良いが、その後はお前を食べても良いのだな?」
グースの目が月夜に反射して光り、スポットは恐怖心から身動きが取れませんでした。
「それとも今すぐに食べても良いのか?」
スポットは震えながらもお土産を差し出しました。
グースに会いに行くと決めた日から、自分で食べる分を少なくして、隠しておいた食べ物を持ってきていました。
「チーズもあります。これを食べて下さい」
本当は腹ペコで、今すぐにでも自分で食べたかったのですが、グースに教えてもらう為に我慢しました。
「人間の食べ残しなんぞは私の口には合わない」
グースは羽を広げて、今にもスポットに飛びかかろうとしていました。
「お願いします。どうしても教えて欲しいんです」
スポットは一生懸命お願いしました。
グースは首を動かしながら考えると、
「何が知りたいのだ」
と言いました。
「太陽には種がないのですか?」
「なぜそんな事が知りたい?」
スポットは太陽の花の話をしました。
「向日葵には種があるから太陽にもあると思っているのか?」
スポットは頷きました。
「太陽に種などない」
グースは右羽を広げ、くちばしで整えました。
「太陽は遠い空の彼方にあって、増えたり減ったりはしないものだからな」
「でも毎日朝になったら咲くじゃないですか」
「朝になったから咲くのではない。太陽が昇るから朝になるのだ」
「僕は頭が悪いから、グースの言っている意味がわかりません」
グースは首を傾げ、太陽の話をしてくれました。
「じゃあ太陽はずっと空にあって、夜になると地面の反対側に隠れてしまうって事ですか?」
「そうだ」
「何で隠れちゃうんですか?」
「そう決められたからだ」
「誰が決めたんですか?」
「誰かは知らない。でもそう決められているのだ」
スポットは悲しくなりました。グースの話が本当なら、太陽の花は太陽の子供ではないからです。
「太陽の花は太陽の子供ではないのですか?」
「向日葵はただの植物で、太陽の子供ではない。しかし、植物というものにとって、太陽は母のようなものではある」
スポットはその話をもっと聞かせて欲しいとお願いしました。
「植物は太陽の光がないと生きていけない。だから母のようなものだ」
スポットにはその意味がわかりませんでした。
「僕にはお母さんがいません。でもギムスとポレアが育ててくれました。お母さんがいなくても僕は生きています」
「母がいないのに、どうやってお前は生まれたと思うのだ?」
「わかりません」
スポットは自分の頭の悪さが嫌になった。
「お前が生きているという事は、お前の母が産んだからだという事だ」
「でも僕にはお母さんはいません」
「そばにはいないかもしれないが、お前を産んだのはネズミの母だ。お前がネズミである以上、母がいない訳がない」
「サーモのお母さんはサーモと一緒に住んでいます。僕はギムスとポレアとガルタとグルタと住んでいます。お母さんとは住んでいません」
「だからお前には母がいないと?」
「はい」
「母とは一緒に住む者の事ではない。お前を産んだ者の事だ。例え一緒に暮らしていないとしても、お前には母がいる」
「どこにいるんですか?」
「それは知らない。どこかで生きているかもしれんし、フクロウに食われてしまったかもしれん」
「グースが食べたんですか?」
「さあな。そうかもしれん」
「僕も食べるんですか?」
「さあな。そうかもしれん」
スポットは悲しくなりました。もう食べられても良いと思っていました。
「わかりました。僕を食べて下さい」
グースは辺りを見回すように首を自由に動かしました。
「そうだな。その前に一つ尋ねよう。なぜ向日葵が太陽の子供なのかを知りたかったのだ?」
スポットは食べられても良いように、ぎゅっと目を閉じて答えました。
「サーモが教えてくれました。太陽の花は太陽の方を向いているって。だから、太陽の花は太陽の事が好きなんだと思ったんです。ガルタとグルタもポレアが大好きだって言っていました。でも僕はお父さんにもお母さんにも会った事がないから、好きなのかわかりません」
スポットは自分がいつ食べられるのか、気になって片目を少し開けてみました。
グースは相変わらず岩の上でスポットの話を聞いていました。
「太陽の花が太陽の子供だったら、きっと子供はお父さんとお母さんが好きなんだと思ったんです。だから、僕もきっとお父さんとお母さんが好きなはずなんだって思ったからです」
グースは一鳴きすると、羽を大きく広げて言いました。
「なぜお前の父と母がお前のそばにいないのか、私は知らん。しかし、お前が生きているのは父と母がいた証拠だ。お前が父と母を好きなのか、私は知らん。しかし、自分自身が生きている事に感謝するのであれば、お前は父と母を好きになって当然だ」
スポットは覚悟してもう一度目をつむりました。
「最後に一つ教えてやろう。向日葵が太陽の方を向くのは、太陽が恋しくてではない。少しでも日光を多く浴びる為だ。自分の力で生きていく為だ。父や母がいるかいないかは関係ない。大地に根を張り、力の限り茎を伸ばし、精一杯花を咲かせる。それは命あるものの使命だ」
スポットが恐る恐る目を開けると、グースはすでにいなくなっていました。
グースにあげるはずだったチーズを食べながら、スポットは太陽の花の事を考えていました。
そして決意しました。
旅に出る事を。
向日葵のように生きたい。
そしていつか、お父さんとお母さんに会える時がきたら、向日葵のように胸を張って言いたい。
「僕の名前はスポット。お父さんとお母さんの子供です」と。
実際にご両親がいらっしゃらない方など、不愉快なお気持ちにさせてしまいましたらご容赦下さい。