彼の失敗
被害者はCCD株式会社の社員楠本祥大だった。
昼を過ぎても会社に出てこない彼を心配して、家を訪れた彼の同僚が遺体の第一発見者だという。
ちなみに、本堂が借りてしまったマンションの部屋に下っているのがこの会社の看板だ。
格安の訳を本堂が言っていたが、いかにも嘘くさい。
だいたいもし看板を下げることになったとしても、わざわざ五十階建てのマンションの五十階に看板を下げる理由が分からない。地上から見えない看板に一体どれほどの価値があるだろう。
わたしはCCD株式会社で事情聴取中に被害者楠本の上司にそこのところを率直に聞いてみた。
「ところで西野さん、あなたは本堂慶介をご存知ですか?」
「ほんどう?」
「はい」
「近藤なら知ってるけどなあ……。ん? まさか、そいつが楠本を殺した犯人なのか!?」
「いえ、違います」
私はきっぱり第一容疑者を犯人から外した。
「本堂さんはそちらの会社が売った土地に建てられたサングリーンマンションの住人です。そこの五十階をわけあり物件として格安で借りているのですが、その安さの訳がそちらの会社の看板のためだというんです」
「は? 看板……ですか?」
「はい。CCD株式会社が、持っていた土地を売る際に、建てられるマンションに看板を付けて欲しいと言ったという話です。知りませんか?」
「さあ、建築は門外漢で。土地ですと、どこの部所の扱いかな……。あ、これ捜査に必要なことですよね。だったら冴部紗さんを紹介しますよ」
「さえぶささん、ですか?」
「ええ、脳ある鷹はなんとやらで、社長に社長になれって再三せがまれてるのに、まだ第零秘書。実質上第一秘書なのに、その称号も要らないっていう変わった人ですよ」
「秘書の方で、大丈夫ですか?」
「ええ、保証します」
「では、お手数ですが、紹介してください」
こうして、私は次に冴部紗かゆらと面会した。
前髪が顔に暗い影を落としているものの、なかなか整った顔の男だった。まっすぐに立てば背も高そうだが、かなりの猫背である。
「私が冴部紗です。営業から電話が来ました。時間が五分しか取れないのですが、いいですか? 食べながらで良いのでしたら、十分延長できます」
「お忙しいところご協力感謝致します。どうぞ、遠慮なくお食事してください」
冴部紗はでは、とばかりにカップラーメンを開け始める。
「で、私に聞きたいこととは?」
「サングリーンマンションのことです」
「……へえ」
ズズズと麺を啜っていた冴部左の手が止まった。
「なかなか侮れない方だ。営業で手に入る情報じゃないのにな。誰から聞いたんです?」
鋭い鷹のような目で睨まれながら、私は訳知り顔で首を横に振る。
「捜査上の機密事項です」
「こちらの機密は知っているというのに?」
すみません、全然知りません。私は胸の中だけで謝罪した。
「仕事ですから」
「ふーん」というと、彼はそののんきな言葉に似あわない真剣な顔でこちらを見た。
ラーメンを食べてはいられなくなったらしい。今回はなんだろう? 脱税か? 薬か?
「それで、刑事さん。事件とサングリーンマンションはどう関係しているんです? まさか私を脅すためにそこを調べたわけではないでしょう」
「私は刑事です。脅すなんて、そんな。とんでもない。そのサングリーンマンションに住む住人の一人が今回の事件の重要参考人でして」
「なるほど」
「本堂慶介という人物をご存じですね」
今回はここが賭けだった。
おそらくこの人物が今回の事件を解決するための重要な人間だと私は確信していた。
そもそも、警察はこんな風な事件の解決はしない。被害者の身辺整理、聞き込み調査、防犯カメラの映像チェック、地道に地道に容疑者を絞っていくのである。
それを、その警察の調査を見事なまでに根底から覆して捜査を行っていいのが、本堂慶介がらみの事件なのである。
毎週毎週見事なまでに事件に巻き込まれる探偵要素を持ちながら推理力だけは与えられなかった悲劇の男。彼を知らない人間は、実は本堂慶介は闇のグループの一員で一見関連のなさそうな今までの事件はすべて彼が裏で操っているのではないかなどというが、とてもそんなことができるような人間ではない。
悲しいまでに、ぬべーっと暮らしている男なのだ。私がキチンと真犯人を見つけ続けなければ、いつかまた濡れ衣ばかりを着せられて苦しんでしまう。
そんな男に唯一備わっているのは真犯人を見つけるためのヒントを与える力だと見破ったのは、つい最近のことだ。
本堂慶介はなまじ事件に深くかかわっているので、事件の関係者の中で彼に関わっている人間が容疑者なのである。
今回の容疑者はこの男に間違いないと私は自分の中で、断定した。
「その通りです。知っています」
「サングリーンマンションの看板の話も嘘ですね」
「もちろんですよ。あれに騙されるとは彼を紹介された私もびっくりです」
馬鹿にされてますよ――私は留置場にいるだろう男の顔を浮かべた。
「つい三か月前のことです。有能だが気の早い男が私や社長に何の断りもなく勝手に投資を行いました。会社の金で、ある企業の株を買ったんですな」
「駄目だったんですか」
「ええ。その数時間後にその企業の代表的商品の存続を危うくする新開発の商品が他社から出されました。株価は一気に暴落。わが社は大損です。最初からその兆候があったから早めにその株を売っていたのに、見せかけの株価高騰という最後のあがきにのせられてしまったようです」
「ですが、CCD株式会社が株で大損をしたなんていう話は会社員にすらばれていない。それはどうしてでしょうか」
三か月も経っているのだ。株で失敗していることは明るみになっていてもいいはずである。しかしそうしたら、ニュースになるかもしれないし、社員たちももっとぴりぴりしていそうだ。自分の会社が危ないというような雰囲気はまだどこでも見かけられなかった。
「そのあたりのことはまだご存じではありませんでしたか」
「ええ、まあ」
「その独断で動いた社員は株を買うとき会社の名前ではなく自分の名前を使ったんですよ。そして自分の名義の口座に会社の金を振り込み、そこから支払った。会社の名前で株を買うには私の許可が必要なのでそうしたらしいです。驚かせて自分のことを見直させよう。その日も私に早計さを叱られた彼は、やけになっていたのかもしれませんね」