幸運の尻尾4‐1
レイン――と途中からなぜか増えていたクラリス、フェッロらとギルド依頼をこなしたアールは、報奨金を受け取るとその足で書店へ向かった。
仕事中はレインとクラリスの皮肉の応酬に耐え、不思議なほど動物に冷たくされるフェッロのお陰でガートを捕まえるのにひと苦労したが、事が済んでしまったいまは膨らんだ財布の重みを堪能するばかりである。
只今の所持金、金貨一枚に銀貨八枚、銅貨が九枚。本来は金貨が二枚だったのだが、受け取った報酬で少し早い昼食を取ったので既にして細かく崩れている。
マジックアイテムの効果か面倒なモンスターにあまり出会さなかった――気がする――し、たまたま捕まえたのが珍しい斑ガートだったこともあり喜んだ依頼主が報酬を弾んでくれたので、ちゃっかり分け前を四等分されたことは忘れることにした。
そろそろ通い慣れ始めた商店街を抜け、辿り着いたのは見落としてしまいそうなくらい小さな本屋「シュトローム」。
扉を開くと紙の匂いとインクの匂いが混じり合った独特の香りがアールを包んだ。本また本、天井から床に至るまで、大小様々な書物が書架を埋め尽くしている。控えめな外観とは裏腹に蔵書はかなり豊富である。
「いらっしゃいませー」
入り口に程近い勘定台に陣取る店員が投げ遣りに挨拶を発した。左前髪だけ長い白茶色の髪に緑の瞳が映える。肌は抜けるように白く、顔立ちは女性と見紛うばかりに整っているが、変声期を終えたその声から少年と判別がついた。
少年はアールへは一瞥も寄越さず、片手に焼き菓子を持ち――あれは林檎パイだろうか、カウンターの端にアフェール洋菓子店の紙袋が垣間見えた――片肘をついて本をめくっている。脇に水筒を置いている辺り用意がいい。とても接客をする態度ではない。
アールは少年、ルドルへ声を掛けた。
「亜人とか獣人について書いてる本て置いてるか」
「右端の列の奥の方、真ん中の段とか、確かなんかその辺ですよ」
「おう。じゃ、ちょっと見せてもらうな」
「お好きにどーぞ」
三つ折りのパイを齧りながら面倒臭そうにルドルが手を振る。微風に煽られ焼き菓子のバターと仄かな林檎の香りがアールの鼻先を擽った。海竜亭で昼食は済ませて来ているが小さく食欲をそそられる。
ルドルの身振りがさっさと行けと言いたげですらあって、流石のアールも呆れを滲ませた。
「お前なあ……客商売なんだからもうちょっと愛想良くできねーの」
「はーいはい」
アールの苦言もなんのその。ルドルは相変わらず手元の本に視線を向けている。異国の本に夢中のようだ。生返事のルドルに肩を竦め、アールは教わった棚へ向かった。
店の構えの問題なのか、品揃えとは裏腹に訪れる客は少なく、本日も店内は閑散としていた。アールの足音と、ルドルか先客の誰かの本をめくる微かな紙音しか聞こえない。
書棚へぎっしり詰められた本の背表紙を指で辿りながらアールは目当ての本を探す。暫くして『大陸亜人種名鑑』なる一冊を見つけ手に取った。少しばかり古い書物なのか、紙の端がうっすらと黄ばんでいる。
アールは目次を参考に狐人の頁を開いた。
「えーと、狐人、狐人、と……あった」
――狐人。主に東の大陸に伝わる伝承で、妖狐と人間が交わって生まれたとされる種族。西方由来の狐の亜人種とは厳密には他種族。魔力が強い、長く生きたものはやがて妖狐になる、などとも言われているが定かではない。身が軽く、跳躍力・聴覚・嗅覚に優れ夜目も利く。用心深く、口が達者な者が多い。 犬嫌い、コボルトやワーウルフを苦手とする傾向がある――……。
特に目新しいことはない。その後も似たような書籍を数冊めくったが、どれもこれも記述内容に大差はなかった。長寿だとか尻尾を隠せるだとかの記載も見つけられない。
アールはふぅむと考え込んだ。本に載っていないことを新たに調べてまとめれば、それなりの価値が出るかもしれない。幸い本物の――尻尾が無いのでどうにも怪しいのだが――狐人のゾロが近くに居るので話を訊ける。それに「誰も見たことがない装身具店の主の尻尾」について明らかにすればゴシップ記事の一本も書けそうだ。小遣い稼ぎくらいにはなるかもしれない。
頷き、アールは本を閉じた。引き出した書籍を元通り書架へ収めた彼は通路を戻り、カウンターを通り過ぎて店を出る。ルドルはやっぱり視線を上げるでもなく「ありがとうございましたー」とやる気のない声を発した。書店なのにあっさり立ち読みを容認する辺りどうかとも思うが、本を購入するつもりのなかったアールには好都合だ。
アールは再び商店街を歩み、今度はパティ・パイの実家だというパン屋を目指す。ゾロと付き合いが長いという彼女の祖母に話を訊いてみようと思ったのだ。
道行く人に「パイさんのやっているパン屋」の所在を訊いて進めば、程なくして「ベイカーズ・パイ」の看板を発見した。老舗らしくやや時代を感じさせる文字が味わい深い。
店舗自体はそれほど大きくもなかったが、こじんまりとした店構えが可愛らしい。生成り色の壁に屋根の赤茶けた色の煉瓦、白地に緑で塗り分けられた看板が好対照だ。
開け放された店の扉から香ばしいパンの香りが通りまで漂っている。日は既に中天を過ぎているがいまも製造は続いているのだろう、煙突からは白い煙が途切れることなく立ち上っていた。
パン屋なのにパイか……となにとなく滑稽さを覚えつつ、アールは軒先からそっと店内を覗いた。焼き立てのパンの匂いが一際強く青年の身を包む。
シンプルな木製の陳列棚に並ぶのは、なんの変哲も無い丸パンやざっくりしたバゲット、胚芽たっぷりのカンパーニュ。看板メニューらしいブリオッシュの向こうにはプレッツェルやベーグルが鎮座している。プルマンブレッドは如何にもふっくらと四角く焼き上がっていて、アレを薄切りにして荒塩のハムなんか挟んだらきっと旨いんだろうな、とアールに思わせた。
少数だがペストリーも取り扱っているようで、ホウレンソウとベーコンのキッシュやら山盛りのブラックベリーで飾られたデニッシュやら、買って帰ってそのまま夕食に出来そうである。
凝ってはいないがどれも丁寧に形成されているのがわかる。作り手の誠実さが自然と想像された。きっと素朴で飽きの来ない味をしているのだろう。客は入れ替わり立ち替わりひっきりなしに訪れている。
急速に食欲を刺激されながらも、アールは美味しそうなパン達の誘惑を振り切り視線を商品から外す。店内では栗毛の中年女性と金髪の妙齢の女性が接客をしていた。
パティの家族か親類なのだろう、二人ともどこか彼女に通じる顔立ちをしていた。中年の女性はパティの祖母というほどの年齢ではなさそうに見受けられたが、パイ家の家族構成など知らないのでなんともいえない。
この前ゾロがパティの祖母のことをプリシーとか呼んでいたような気がしたが、これは恐らく愛称だろう。初対面で「プリシーさん居ますか?」と訊いていいものやら……。
どう切り出したものかとアールが考えていると中から声を掛けられた。
「あら? お客さんかしら? いらっしゃい、どんなパンをお探し?」
妙齢の女性がアールへスミレ色の瞳を向ける。波打つ金髪と相俟って笑顔が眩しい。瞳と同色のディアンドルに真白いブラウスとエプロンが映える。絶世の美女というわけではないが可憐な女性である。アールよりいくつか年嵩だろうか、どこかお姉さん然とした柔らかな物腰が好印象だ。
なかなか入って来ないアールを迎えるためか女性が戸口まで近寄って来たので青年は慌てた。
「あっ、いや、俺はパンを買いに来たんじゃなくって……」
「お買い物じゃない? じゃあどんなご用かしら?」
アールが否定すると金髪の女性が小首を傾げる。悪戯っぽい仕草が可愛らしい。面差しはパティと似ているが、溌剌としたパティに比べると落ち着いた愛嬌がある。
こんな売り子が居れば通う男も多いだろうな、と思いながらアールは口を開いた。
「えーと、パティのばあちゃんに会いたくて」
「お祖母ちゃんに? あなたパティのお友達?」
「いや、友達っつーか知り合いっつーか」
アールは藤の湯の客で、そこの売り子のパティとは顔見知りなわけだが、パティの祖母に会いに来た理由をどこから説明すべきだろうか。
青年が頭を捻る間に、金髪の女性は店内を振り返り栗毛の中年女性へ声を掛けていた。
「お母さん、お祖母ちゃんは奥?」
「いいえ。お友達のお宅を訪ねに行ったわよ。ほら、外の。あんた聞いてなかった?」
「ああ、バーンズさん。あら、それって今日からだったのね」
「そうよ。だから今日は奥がフィリップだけなのよ」
二人の会話からこの栗毛の女性と金髪の女性がパティの母と姉らしいことがアールにわかる。
パイ婦人からの返答を受けた金髪女性がアールに向き直り、少しばかり申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめんなさいね、祖母の帰宅は二、三日後になるみたい。お急ぎかしら? どういったご用件? 私で良ければ伝えておくわよ」
「あっ、いや、急ぎの用とかじゃ全然ないから」
「そう? お祖母ちゃん、三日くらいしたらいつも通りお店で仕事してると思うから、もし良ければまた訪ねてくれるかしら」
「フィリス、こっちお願い!」
「はーい! 次はうちのパンも買いに来てね」
にっこり笑ってフィリスと呼ばれた女性は店内へ戻って行った。アールもまた通りを歩き出す。目的のパティの祖母は不在のようだし、これ以上の邪魔をするわけにはいかない。
パティから藤の湯を連想しているうちに、そういえばあの湯屋で時々獣人を見かけるな、と青年は思い出した。褐色の肌に青味がかった不思議な金髪と長い尾が特徴的で記憶に残っている。狐人ではないが参考に尻尾をしまったり出来るものなのか訊いてみるのも悪くない。
もしかしたら会えるかもしれない、とアールは足を藤の湯へ向けた。ベイカーズ・パイから藤の湯へはさほど離れていない。大通りを道形に進めば、程なくしてアールの前方にシラハナ建築の入湯施設が現れた。日に照らされる白壁と瓦の色合いが美しい。
門へ入り数歩進んだところで、湯屋の前庭にソハヤの姿を見つけた。どうやら休憩中らしい。
湯屋の風紀を乱す者はないか目を光らせているソハヤだ、客についても詳しいのではないだろうか。話を訊くチャンスだと思い、アールはソハヤへ歩み寄った。
木製のベンチに腰掛け白煙を燻らせていたソハヤがアールを認めて首を向ける。彼の掌中の東方風のパイプは渋い銀鼠色で、彼の白と紫の着物とよく似合う。ソハヤが口の端を上げた。
「よう、青二才。また来たのかい。今日の目玉は新作の栗を使った氷菓だな。昼に仕上げたばかりだぜ」
「よっ、ヒマしてんな。栗って冷たくしてうめえの?」
「お前も口が減らねえなあ。俺が食って美味くねえ物を客に出すかってんだ」
呆れたようにソハヤが呟く。その隣にアールも腰を下ろした。