幸運の尻尾2‐2
「いらっしゃい。いつ入ってくるのかと思った」
愛想の良い店主の言葉が引っ掛かる。
初めからアールの入店に気付いていたとでも言うのだろうか。扉は開け放されていたしアールが踏み込んだのは僅かに一歩か二歩だ、踵を扉に打ちつけるまで音を立てた記憶がないのだが――。
考え込むアールへ笑って、店主はピアスだらけの自分の耳を指差した。
「耳は悪くないんだ、なにせ大きいからね」
そこで初めて、アールは目前の男が当たり前の人間ではないことに気が付いた。
店主が指し示す自らの耳は、人間のものに比べ大きく横に尖がっている。張り出したその耳はエルフとも異なり、髪と同色の銀色の毛が密に繁っていた。
男の左耳のピアスが、しゃらん、と鳴る。ピアスから垂れ下がる銀の鎖の先に、丸い金の鈴が付いているのだ。さっきの音の正体はこれか、とアールは合点した。お洒落のつもりか知らないが、鈴をピアスにするとは些か変わっている。
アールは店主の顔を熟々と眺め遣った。彼の容姿は思った通り整っていて、またも小さくアールの癪に障る。癖のある顔立ちとでも言えようか、男のやや太く短い眉の下、張りのある浅黒い肌の中で輝く金色の瞳は虹彩が縦に裂けていて、彼がヒトではないことをアールに教えた。
恐らく獣人なのであろう、耳の形状はコボルトに似ている、けれど瞳は猫科の動物を思わせる。カウンターに隠れているのか、はたまた短くて服から見えないだけなのか、現時点で尾のようなものは確認できない。
諸国を巡り歩き亜人種も色々見て来た方だと思っていたのだが、アールはこの男の種族を上手く判じることが出来なかった。新種か、或いは呪いを受けた人間の可能性もある。
首を捻るアールにこっそりと笑み零し、店主は客へと向き直った。
「お兄さん、初めて見る顔だね」
「ああ、ティル・ナ・ノーグにはまだ来たばっかりだからな」
「旅人さんかな? いい街でしょ」
「まあな」
「ん? 赤い髪……」
そこでふと、男はアールをまじまじと見つめた。猫目に凝視され、アールは身動ぎをする。なにも取って食われるわけでないとわかってはいるが、人の形をした獣に覗き込まれているような妙な気分である。
この縦型の虹彩がいけねーんだよ、と頭の中で毒づき、アールは男の視線から逃れるべく目を逸らした。男に見つめられて喜ぶ趣味はない。
ひと頻りアールを眺めた後、店主は形の良い顎を撫でながらこう訊ねた、
「ね、もしかしてキミ、五日前の夕、レーヴ・ヴィヤン・ヴレに居た?」
「五日前の夕……ああ、劇場な、いたぜ」
レーヴ・ヴィヤン・ヴレ――街の北東に位置する、王侯貴族御用達の劇場である。普段なら冒険者のアールには馴染みの薄い場所だが、この劇場、出るとの噂が立っていた。幽霊騒動なんて恰好のネタは逃せない、と飛びついたアールが劇場へ出向いたのは、丁度五日前のことだった。
アールの肯定を受け、男が更に問いを重ねる。
「じゃあ、そこで幽霊を見たとかっていうの、もしかして、キミ?」
「ああ、幽霊な。除霊シーンまでバッチリ見たぜ」
清楚な黒髪の退魔師の凛とした声、満足げに微笑み昇天していった白き少女の幽霊の姿――アールは未だにあの日の情景をありありと思い出すことが出来た。
得意げに言い切った後で、アールははっとする。
「……あっ! もしかしてアンタ、俺の記事を読んでくれたのか!?」
アールは思わず身を乗り出した。五日前、と日にちを限定しての問いである、新聞を読んだのだろうと踏んだのだ。
感想を期待する彼へ返って来たのは、しかし予想だにせぬけたたましい笑い声だった。
呆気にとられるアールの前で腹を抱え、男は身を仰け反らせて笑い出した。豊かなテノールの哄笑が店中に響き渡る。気でも触れたのか。
アールは奇妙な生き物を見る目付きで以って、カウンターに突っ伏しひぃひぃ笑い転げる店主の姿を眺め遣った。なにがそんなに可笑しいというのかさっぱりわからない。が、とりあえずこいつ嫌いだ、と青年は思う。初対面の客の顔を見て笑い出すとは失礼極まりないではないか。
鼻に皺を寄せ、アールは男を睨みつけた。
「……なにがおかしいんだよ」
「ああ、ゴメンゴメン……いや、あの記事ね、オモシロかった、とってもオモシロかったよ、うん……そっか、キミがあの……」
元通り身を起こした男が口先ばかりの謝罪を投げて寄越す。まだくつくつと喉を鳴らしながら、店主は目尻の涙を拭った。
アールは眉を顰めた。面白かったと褒められているはずなのになぜか馬鹿にされている感覚である。アールが書いたのは笑い話ではない、ぞっと震えるような不気味さと神秘的な昇華のシーンを盛り込んだ、感動的な記事のはずなのだ。そもそも「あの」とは一体なんのことなのか。
気になるが、アールが問い詰める前にようやく笑いの治まった店主が話題を変えてしまった。
「それでお客さん、本日はどのような品をお探しで?」
商売人の顔になった男が微笑する。
問われ、アールは本来の用件を思い出す。なんとなく決まりが悪い気分になって、アールは右の頬を軽く掻いた。
「盗賊除けとか魔物除けとか、そういうマジックアイテムだけど……」
「おや、それでしたら――、」
嬉々として某かの品を勧めてこようとする店主を、アールは慌てて押し止めた。
「だけど! 今日は下見っつーか、見に来ただけだよっ」
「ほーう?」
「持ち合わせ、ねーんだ」
「ふぅん?」
男はアールを上から下まで眺め回した。店主の値踏みするような眼差しが居心地悪い。
あまりに無遠慮な視線に耐えかねアールがキッと睨み返す。しかし、男は怯むでも愛想笑いをするでもなく面白そうな顔をした。
「ウチは子供のオモチャから普段使い、冒険者用に曰く付きまでなんでも扱っておりますヨ。まあ、まずは一通り、見るだけ見てってよ」
言って、店主が立ち上がる。カウンターを出て、店の棚の一つから装飾品を選び取っている。アールはその背を観察したが、男の腰元はゆったりしたアイボリーの上着に隠れ、やはり尻尾の有無はわからなかった。
やがて選別を終えた男が商品を手に戻って来る。
「お兄さんがお求めなのは魔物避けや盗賊避け、或いは好ましくない存在とのエンカウント率を下げる物、でいいのかな? とりあえずそれっぽいの一通り持って来てみたんだけど、どうかな」
元通り腰を下ろした店の主が、勘定台の上に取り取りのアクセサリを広げてみせた。
「こっちがこの街で作られた物、こっちが王都から取り寄せた物、こっちがコラレシュタット製で――その隣がリュシオルヴィルの物だね、ここからは舶来品」
指輪、腕輪、首飾り、飾り紐状の品など、装飾品が次々に並ぶ。ちゃちなビーズアクセサリが出されたかと思えば、複雑なカットを施された輝石付きのネックレスがその横に鎮座する。木を削り出した腕輪、貝殻を加工したブローチ、銀細工の髪飾り……マジックアイテムかどうかの真偽は勿論、どれが高くてどれが安いのかも段々わからなくなってくる。
アールが目移りする中、店主は鼓膜に快い声で一つ一つに解説を付け始めた。
「これは一回使ったら壊れちゃう類の商品だね、その分お安いからまとめ買いして持つのも手だけど。その隣のはもう少し効果が持続するよ、代わりにお値段も上がるけどネェ。回数じゃなくて効果の強さを求めるんだったら、こっち側の品がオススメかな。さっきの指輪だと強敵相手じゃイミ無いからね。どういうシーンで使うかでも違ってくるけど。あっ、このブレスレットは効果絶大! ……らしいけど、なんか曰く付きみたいなんだよネ~。ね、ね、このハナシ、聴きたい?」
「いや、遠慮しとく」
効果絶大の時点で高価だろうし、曰く付きと知っていて手を出すつもりもない。普段ならネタになりそうな話題には食いつくのだが、この男が語ろうとしている「曰く」とやらは聞く前から胡散臭そうである。
アールが首を振ると店主は酷く残念そうな顔をした。一体なにを聴かせるつもりだったのか。
アールは再び商品の列に目を戻した。ユニセックスな物から如何にも女子供の喜びそうな華奢な商品、男性的なフォルムの品、と順に眺め遣るアールの目は、その内の一つの上でふと止まった。
動物の毛だろうか、子供の掌に納まってしまうくらいのふわふわした銀の塊が、金属や鉱石で作られたアクセサリの中に混じっている。光の加減で白っぽくも黒っぽくも見える毛だ。金色の留め具で根元を一括りにされ、見ようによっては小さな尻尾のようにも見える。
金具の先には鮮やかな朱色の紐が繋げられている。紐には四葉を思わせるノットが組まれていて、留め金代わりの濃い青や緑のビーズが映えていた。形状といい色遣いといい、エキゾチックな香りがする。兎の足が幸せをもたらすと信じられている地域もあるようなので、その類かもしれない。
風変わりな装飾品に視線を奪われる青年を後目にして、店の主は説明を続けていく。
「お値段を目安にするならこの辺が銅貨五枚、ま、オモチャみたいなモンだね。気休め? で、この辺が銀貨一枚、これだと銀貨五枚、そのお隣なら銀貨八枚からお求めいただけて……、こっち側のはもう金貨の域だね~、ここ七つなんか特にお値打ち物かな。モチロン、もっとお高いお品をお求めならば在庫を探しますヨ、お客サン?」
具体的な金額が耳に入り、アールの意識が毛玉から逸れる。店主がピックアップした商品に目を向け、アールは現実的に考え始めた。
購入に金貨が必要なアクセサリを目標にしよう、と思っていたのだが、目の前にすぐ手が届きそうな値の品が並ぶと心が揺らぎ始める。とりわけ、男が銀貨五枚から八枚と言った辺りの商品が妙に気になって来た。見れば簡素な銀の腕輪と、同じく銀製の指輪である。
銀貨八枚……いや五枚くらいなら、手持ちからも出せる金額だ――いや、なにも今すぐに必要な買い物でもないのだ、今日は下見なのだし、腐る代物でもない、よく考えてまた後日に訪れればいい――そもそもこの店で決めてしまうこともあるまい、初対面のクセに失礼な店主だし――でも、他店にこれと同じ品があるのだろうか、明日には売れてしまっているかも知れない――……。
ぐるぐる巡るアールの思考を読んだかのように、店主がのんびりとこんな言葉を付け加える。
「こちらの腕輪と指輪なんか、特に人気商品だねぇ。デザインが男女を選びませんし、シンプルなのでどんな服装にも合わせ易くて普段使いにもピッタリ、しかもお手頃価格」
男の何気ないセールストークがじわじわとアールの心を動かす。
確かにシンプルだ、けれどどちらも表面は滑らかである。恐らく鍍金ではあろうが、そこに確かな鋳造技術を感じさせる。仰々しくないので今のアールの服にも馴染むだろう。特殊効果が付いているのに値段も良心的だ――効果のほどは充分ではないかもしれないが。
でも、と更にアールは考える。それなりのアイテムだろうが無いよりはマシだ。これを身に着けてギルドの仕事やネタ集めに走れば、自ずと金は貯まるだろう。そして、貯まった金でもっといい装備を整えればいい。その方がずっと効率的ではないか。
(……未来への投資、と思えば安いモンじゃねえの?)
未来への投資、というフレーズがアールの心をくすぐる。なんだかいい案のような気がする。
その気になり始めたアールへ、更なる店主の声が飛んだ。
「ありがたいことに売れ行き好くてねぇ、指輪の方はもうこれがラストなんだよね~」