幸運の尻尾5‐3
風変わりな装飾品だ。何の動物のものだろう、光の加減で白っぽくも黒っぽくも見える毛である。金の留め具によって一括りにされ、見ようによっては小さな尻尾のようにも見える。金具の先には鮮やかな朱色の紐が繋げられている。四葉を思わせるノットが組まれ、結び目には留め金代わりの濃い青や緑のビーズが映えていた。
飾り紐というのだろうか、東方の雰囲気がする。強い色彩の組み合わせなのにゾロの持っていた煙管のように不思議と派手すぎない。銀の尾をひと撫ですると、毛並みはさらりとしていた。ふわふわした毛の微かな温もりが、なにとなく手放し難く思われた。
もっと実用的な物、人に贈れたり換金できそうな物を選んだ方がいい、という理性の声とは裏腹に、アールの唇は言葉を紡いでいた。
「――これ」
ゾロが狐目をくるりとさせた。
「へえ、それを選ぶの。ナルホド、ナルホド」
「まさかこれ、なんか曰く付きとか……」
「いやいや、そういうワケじゃないけど……。うん、やっぱキミ面白いや」
なにが面白いのかさっぱりわからない。首を傾げるアールの疑問に答えず、ゾロが笑った。
「……ん、その子もキミがいいみたい。いいよ、あげる」
生き物を譲渡するかのような、おかしな口振りである。この店主の物言いが珍妙なのはいまに始まったことではないが。
アールは掌中の飾り紐に目を落とした。どうしてこんな物を選んだのか自分でもよくわからない。
「これ、マジックアイテムか?」
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるかなぁ」
「はあ?」
これまで詳細に商品説明していたゾロなのに、なんとも曖昧な返答である。
アールが眉根を寄せるとゾロも困ったように笑って見せた。
「それねえ、精霊の力は宿っていると思うんだけど、寝てるのかなあ? 微弱というか、なんというか……。いまのところコレといった効能はないんだよネェ。素体はいいハズなんだけどなあ。ただ、大切に持っていると持ち主に幸運を運んでくれるかもしれない。ま、つまりはお守りみたいなものだね」
「それは……確かにマジックアイテムって言っていいかわかんねえな……」
「デショ?」
「これ、なんの毛なんだ?」
「天狐の毛――かもしれないモノ」
「テンコ? なんだそれ」
「ボクらの祖先って言われてる狐の妖精さん」
狐人の祖が天狐というのは初耳である。「かもしれない」というのがまた胡散臭い。
変な物を選んじまったかな、とちらりと心配するアールの傍らでゾロが伸びをした。
「そうだなあ。お伽話をひとつ、教えてあげようか」
装身具店の主が深みのあるテノールで気紛れに物語る。
「天狐には尻尾が九本あるらしいんだけどね、ボクらも尻尾が九本になるくらい永い年月を生きられたら、先祖帰りして天狐になれるんだって」
長く生きた狐人は妖狐になる、という『大陸亜人種名鑑』の行をアールは思い出した。
「そのテンコになると……どうなるんだ?」
「ニーヴの住まう天に還れるんだって、さ」
微笑んで、ゾロが小首を傾げた。しゃらん、と鈴が鳴る。
ふと、“Nueve Colas”――九尾というこの店の名が、アールの脳裏をよぎった。
「……あんたは、天に還りたいのか?」
なぜ、こんな言葉が口を衝いたのか。
自分でもよくわからなかったが、アールはゾロの顔を見つめた。見上げた男は薄く笑うばかりだ。彼の金色の眼は瞳孔が縦長で、その奥を覗こうとしても弾かれてしまう。感情も真意も読み取れない。
僅かな間ののち、ゾロが吹き出した。
「天に還りたいって、それボクが死にたいってこと?」
「え、いや、そういうつもりじゃ……ああ、もう、くそ!」
笑われて、失言だったと自覚したからこそアールは毒吐いた。
罰の悪さに赤面したアールを眺め、ゾロが優しく目を細めた。
「お伽話だよ」
まだなにか、訊ねたいことがあるような気がしたが、アールは上手く言葉にできない。
青年が逡巡する間に、店主は話題を変えてしまった。
「で、アール君、ソレでいいんだね?」
「……、ああ」
一瞬だけ迷ったが、アールは首を縦に振った。金にも見える銀の毛玉は最早アールの手に馴染んでいる。
そう、と頷いてゾロは笑った。いつぞやのにんまりと含むような笑い方ではない。無償で商品を手放すというのに、銀髪の装身具商は寧ろ晴れやかな顔をしていた。
ゾロがカウンターの中へ戻る。
「ん、そろそろ寄り道も終わる頃かな。準備しなくちゃ。アール君、まだお茶してく?」
「いや、もういいわ。ごっそーさん」
「そ。じゃ、よければまた遊びに来てね」
「――気が向いたらな」
やだね、と答えようかとも思ったが気が変わった。アールの答えに嬉しそうにゾロの耳が上下する。
土産にと焼き菓子を渡され、ゾロの見送りを受けたアールは通りを歩き出した。飾り紐は鞄に括り付けておいた。鞄の端でゆらゆらしている姿にはなんだか愛着が湧く。
結局、ゾロに尻尾を見せて貰っていないし彼の実年齢も判明しなかった。すんなり話が聞けそうだと思った瞬間もあったが、なんだかんだはぐらかされてしまったり、邪魔が入ったり。狐人には数百歳と長生きする者がいることと祖先が「テンコ」であると聞けたことは収穫か。狐人にだけ伝わる伝承なのだろうか、先程のお伽話も興味深い。
とりあえず訊けたことだけでもメモしておかなきゃな、とアールが考えているとぱたぱたと向こうから誰かが駆けて来る。空の籠を抱えて走るのは人波に埋もれてしまいそうな小さな少女だ。俯き加減のため顔はよく見えない。スカートを翻し擦れ違った少女の、その見事な銀色のお下げ髪を一瞥し、アールは銀髪の装身具商を連想した。
お使いの帰りかな、とぼんやり思っていたアールは、続けて行き交った人物と完全に擦れ違ってしまってからはっとした。視界の端をよぎったのは褐色の肌と金髪だった気がする。
慌てて振り返ったが、急いでいるのだろうか、小脇に籠を抱え駆ける男の姿は既に往来の向こうである。ただ獣耳の生えたその頭だけが人混みの上方に垣間見えた。
ゴルトブラットを追い掛けようか少し考えて、アールはやめた。この街に居れば、いつかまた会うこともあろう。
元通り帰路を辿るアールは分かれ道に出会した。どちらに行こう。なんだか活気がありそうだから右に進もうか。
歩みを再開させようとした途端、鞄に括り付けておいた飾り紐が外れて落ちた。鞄は背負っているのだが、丁度アールのブーツの踵にぽんと当たったので気づくことができた。
結び方が緩かったのだろうか。拾おうとしたら毛玉はころころ転がってアールの手を逃れて行く。傾斜のせいだと思いアールは飾り紐を追った。緩い下り坂になっているのだ。
たっぷり二十マイスは転がって、ようやく銀の尾は止まった。人通りが少ないお陰か誰にぶつかることもなかった――そのせいで二十マイスも進むことになったのだが。文句を言いながらアクセサリを拾い上げれば、いつの間にか左の道に入ってしまっていることに気づく。
嘆息するアールが飾り紐を鞄に付け直していると、見知った顔に出会った。
「お、アイリス」
呼び掛けると後からやって来た少女が顔を上げた。クラリスと瓜二つの彼女は、双子の姉のアイリスだ。アールより年下の筈だが、意志の強そうなピーコックブルーの瞳は少女を実年齢よりも大人びて見せた。特徴的な青い薔薇の髪飾りが桜色の髪に映える。
「もしかして、騒ぎを聞きつけて向こうの道に行こうとしてる?」
アイリスがアールに問うた。
騎士団に所属するからか性格的なものか、アイリスの口調ははっきりしている。てきぱきしたアイリスの調子は好感が持てる。
「騒ぎ? なにかあったのか?」
アールが目をしばたたかせるとアイリスが答えた。
「小火があったの。もう火は消えてるけど。他の団が調査に当たってるわ」
「本当か? あ、それネタに……!」
俄かに喰いついたアールを押し留めるようにアイリスが肩を竦める。
「――しに行くのはおすすめしないわね。印刷所の人たちが来てたからもう誰かが記事にしてるだろうし、通りは水浸しでおまけに野次馬でごった返してるわよ。行くだけ損だね」
「そうなのか……うわ、さっきの分かれ道、右に行かなくて良かった」
「運が良かったわね」
あのまま進んでいたら、押し合い圧し合いの中取材をして記事を書いた挙句に先を越されるという無駄骨を折っていたかもしれない。煤と水で服や靴を汚すだけ汚して疲れている自分を想像し、アールは首を振った。偶然とはいえ飾り紐がこっちの道に転がってくれて幸運だった。
アールが鞄を背負い直すと、アイリスが彼の背後を覗き込んできた。
「なあに、それ?」
「あ? ああ、アクセサリな。貰い物だよ」
鞄の揺らぎに合わせて跳ねる飾り紐が彼女の目に留まったらしい。
「舶来品かな? 綺麗な色……。ふふふ、なんだかこれ、尻尾みたいだね。可愛い」
赤い紐の先で揺れる銀の毛束を見てアイリスが笑う。美人な顔立ちがぐっと愛らしくなる。無邪気なその笑顔は彼女を年相応に見せた。
アイリスを眺め、ふとアールは口を開いた。
「なあ、この後ヒマか?」
「私の仕事は終わりだから家に帰るところだけど……なに?」
「藤の湯に栗のパフェが出たんだってよ。味見しに行かないか?」
それはほんの思いつきの発言だった。甘いものなら先ほどゾロの店で口にしてきたが、アールは育ち盛りだ。あのゴロツキに邪魔をされたし腹にはまだまだ余裕がある。藤の湯の新作というのも気になっていたのだ。
帰宅途中だから突然誘っても断られるかな、とアールが考えていると、予想に反しアイリスは嬉しそうに笑った。
「……行く」
「そっか……。よし、行こうぜ!」
微かに上気した少女の白い肌を眺め、なんだか自分の心も弾むのを感じながらアールはアイリスと並んで通りを歩き始める。小火騒ぎのあった通りに人が集中しているからか、こちらの道は空いていて歩き易い。
アイリスにパフェのひとつも奢れるかな、と算段する青年の背中、鞄の端では赤い紐に繋がれた銀の尻尾が笑うように揺れていた。
アール・エドレッド。
所持金、金貨一枚と銀貨八枚と銅貨九枚。
その行方を知る者は、まだない。




