幸運の尻尾5‐2
動向を見守るアールがたじろいだが店主は気に留める様子もない。勝手に財布を開いて中を見ると、ゾロはそれを逆さに振った。細かなゴミが舞っただけで男の財布からは銅貨の一枚も落ちて来なかった。
ゾロがわざとらしく目を丸くする。
「あーらら、空っぽ。招かれざる客どころかこれじゃお客様とも呼べないねえ。キミ、ここに居るよりギルドで仕事のひとつもこなしてた方が良かったんじゃない? ねえ?」
「………………!!」
快活に笑うのはゾロ一人きりだ。痙攣する男は勿論、気圧されるアールもとても笑えそうになかった。ここに来たことを、この店主を強請ったことを、男が後悔しているだろうことは想像に難くなかった。
店主の眼に一体なにを見たのか。ゾロの狐目に覗き込まれたゴロツキの顔が強張った。
やがて彼は立ち上がると男から離れ勘定台に寄り掛かった。店主が長い脚を組む。床に転げる男の胸の上へ空の財布を放ると、ゾロは汚い物を触った後のように手を払った。
手慰みか、勘定台の端に置いていた煙管を再び手に取って試す眇めつ眺めながらゾロがゴロツキへ問い掛ける。
「無一文でボクの店に来たの? それで不良品だから金を出せって? ん?」
笑みの形に細められたゾロの眼の奥、金色の瞳が妖しく底光りする。殊更に優しげな声音とこどもをあやすような口調とが一層のこと空恐ろしい。
トン、と煙管で手を一拍し、ゾロが哂った、
「お小遣い持って出直しといで、坊や」
「………………!」
それまでの柔らかな美声が一転、吐き出された声はひやりとするほど低い。
普段軽やかなテノールを紡ぐのと本当に同じ唇から発せられたのか疑いたくなるような、重く、凄みのある声だった。
男のみならず、アールもその迫力に息を飲む。元がよく通る声なだけにぱぁんと響いた言葉にぶたれたような衝撃が走る。先ほどのゴロツキの濁声など、まるで比べ物にならない。
ゾロはゴロツキよりずっと若く見えるし、体つきだって筋骨隆々とした男と比較すると細身だ。しかし、いまや男は完全に店主の雰囲気に呑まれていた。
一人悠々とした仕草で煙管を元通り箱に収めると、ゾロがぱちんと指を鳴らした。
「消除」
「……!」
それを合図として赤い光が一斉に消える。店主がにっこり笑った。
「おうちに帰ったら?」
ゾロの声が柔らかいテノールへと戻りアールは内心ほっとした。にこやかな言葉の奥に潜む冷たさが怖くもあったが、さっきのどすの利いた声よりはずっと心臓に優しい。
拘束が解けた男が痺れの残る体をぎこちなく起こした。ふらつきながらも立ち上がり、カウンターへ背を向ける。これ以上ここに居て彼に益が無いことは明らかだった。
「あ、キミ、キミ」
陳列棚を抜け出口へと急ぐ男の背にゾロの声が投げ掛けられる。
男が首だけを振り向かせる。ゾロへ向ける眼差しには怯えが見て取れた。
「クレマン君にマジックアイテムを貰った“お返し”はちゃんとしてあげてね。彼、恋人さんに月の雫を捧げたくて高いお金出してアレ買ったんだからさぁ」
暗に奪った道具を持ち主へ戻せと言っているのだ。
“月の雫”は幻とも呼ばれる希少な花の名である。薄く青みを帯びた白い花は不思議な光沢を帯び、満月の夜には花弁の中に淡い光を放つ露を宿す。
色々ロマンチックな伝承が残っていることも相俟って大切な人への贈り物に、と求める人間が多いのだが大変に数が少なく市場には出回らない。その貴重な花を贈ってこそ愛の証となる、と情熱を燃やす若者は多いけれど月の雫探索はギルド依頼の中でも難関の部類に入る。当然、金に糸目をつけない富裕者でなければ依頼も受けて貰えない。
だから、クレマンとやらはゾロの店でマジックアイテムを購入したのだとアールは納得した。宝の所在がわかるとかいう品も高価そうだが、冒険者ギルドに依頼をするよりは安く済んだのだろう。勿論、自分で探索する手間や危険もついて回るが承知の上であろう。
ゾロがこどもに言い聞かせるように指を振る。
「花を見つけて恋人に求婚したいっていう若者の恋路をさあ、イイ大人が邪魔しちゃ可哀相デショ?」
クレマン君が訪ねて来たときに結果を訊くからそのつもりでね?とゾロから畳み掛けられゴロツキは黙って頷いた。入店時、あれだけ威圧感たっぷりだった男がいまは小さく見える。
「それから、」
再び戸口を目指そうとした男が、まだなにかあるのかと恐々と店主を振り返る。早くここから出たいという焦燥感がアールにも伝わってくる。
男を見つめゾロが目を細めた。こういう顔をすると狐そっくりに見えるな、と青年は思う。
稀なる美声で店主が宣告した、
「次に同じようなオイタしたらキミ、この界隈を歩けなくなるから気をつけて、ね?」
「…………!!」
笑みを含んだ声音はこの上なく優しげで、だからこそ一層の気味悪さを孕んでいた。
正直、一介の装身具商に過ぎぬゾロにそんな権限があるのか、どうやって「この界隈を歩けなく」させるのか、アールの脳裏に疑問が去来したが、経歴の怪しさといいこの店の設備といいなにか底知れぬものが感じられるから、はったりだと一笑に付すことも出来ない。
それはゴロツキも同じだったようで、痛い目に遭った分アールよりはっきりと青ざめた。
ゾロの金色の目に震えながら何度も首を縦に振り、男はそそくさと店を出て行った。
装身具店に静かな空気が戻る。
いつの間にか定位置の勘定台の中に戻っていたゾロがアールへ首を向けた。ゴロツキを叱責した迫力を思い出しアールは僅かにびくりとしたが、ゾロは人懐こい笑みを浮かべている。
「いや~、災難だったねぇ」
普段と変わらぬ軽い調子である。勿体ないナァと嘆きながらゾロはゴロツキのせいで皿から飛んだ菓子を拾い集めている。
その姿を暫し無言で眺めた後、アールは抱いていた疑問をぶつけた。
「……なあ、あんたさ、実はけっこーイイ歳だったりすんじゃねえの?」
ゾロが首を上げる。真面目な表情のアールを面白そうに見つめ返し、ゾロは猫目を悪戯っぽく瞬かせた。
「イイ歳って? 二十五歳?」
「パティのばあちゃんと三十年以上友達だとかって。実はすっげー年寄りだったりしねえ?」
ゾロの軽口は取り合わずアールが続ける。
まっ!と声を上げゾロは自分の頬に手を当てた。
「ヤだなぁ、こんなにお肌ぴちぴちなのに? Bちゃんにも褒められた玉のお肌ですヨ?」
「さっきあのオッサンに向かって坊やって……」
「アレはまあ、言葉の綾って奴だって。なんかああやって言えばカッコイイじゃん? 的な?」
ひらひら手を振りゾロが否定する。
嘘だ、とアールは思った。先ほどのあの凄み、声の重さは二十や三十そこそこの男に出せるものではない。アールはゾロの年齢を二十五歳より上だと感じていたが、ゾロ本人は自分は二十五歳だの一点張りである。ここがどうにもわからないところだった。
エルフやアーラエなど寿命も若い期間も長い種族は様々にある。長命種の成長の速度や時の感覚が人間と違うのは当然のことだ。ティル・ナ・ノーグに於いては亜人種への迫害などない。寧ろ亜人種や獣人にもかなり住みよい街と言えよう。仮にゾロが長命なのだとしてもそれを隠す必要など無いように思われるのだが……。
アールがどう訊いても店主の回答は二十五歳なので埒が明かない。ゾロの年齢については他から情報収集をした方がいいと判断し、アールは質問を変えた。
「じゃあさ、狐人て長寿なのか?」
問いを受けたゾロは首を傾げた。
「さあ? なんか血が濃いと人間より長生きするみたいだけどねぇ」
「じゃああんたも……」
「さあて。ボクは兎も角、五百年くらい生きてる同族とかは知ってるよ」
「へえ、五百年!」
「まあその当時もうすごいお婆ちゃんだったし、いまは亡くなってるけどねえ。血が濃かったんだろうネ~」
のんびり答え、布巾で勘定台を拭くゾロがアールに視線を向けた。
「そういえばアール君、ティーカップ倒れてたけど大丈夫? 火傷とかしてない?」
「ああ、火傷は別に……」
言われて、アールは茶が掛かったことを思い出す。確認してみると濡れた部分は既に乾いていたが、大きな染みが隠しようも無く広がっている。冒険者なので着衣が汚れることなど日常茶飯事だが、流石にこの汚れは目立つ。染み抜きには骨が折れそうだ。
ツイてねえ……と嘆息するアールを見つめなにを思ったのか、ゾロがうんと頷いた。
「アール君はとばっちりだったし、申し訳ないからうちの商品をひとつプレゼントするよ」
「マジで?」
「そ、マジで~」
ゾロがカウンターから出て壁際の棚に向かう。手招きされたアールも椅子から立ち上がり棚へ近づいた。
壁面に設置された棚の二段目から五段目までを指差し、緩く口の端を持ち上げたゾロが言った。
「ここから好きなの選んでいいよ」
「じゃあ――……」
アールは木製の陳列棚を覗き込んだ。値段で分けているのか指輪や腕輪など一緒くたに並べられていた。貴金属という風情ではなかったが、ぱっと見おもちゃというわけでもなさそうだ。
ゾロはマジックアイテムとは言っていなかったし、アールもその期待はせずに品定めをする。タダでもらえるなら自分で使わないで人にやってもいいかもしれない。レイの顔が――なぜかアイリスの顔も――アールの頭に浮かんだ。
あれこれと目移りをするアールの目の端に、どこかで見たようなアクセサリが映った。子供の掌に納まってしまうくらいのふわふわした銀の塊が隅の方に置かれている。金属や鉱石で作られたアクセサリの中に混じってその姿は目立たない。
何気なく、アールはその商品を手に取った。




