幸運の尻尾5‐1
驚いたアールが振り向くのと、大柄な男が店内に足を踏み入れるのは同時だった。
男はアールより頭ふたつ分は上背が高い。三十代の後半だろうか、アールやゾロより年上に見える。頬を走る大きな傷跡を見るに、あまりお近づきになりたくないタイプだ。
ずかずかとこちらへ近づいて来る男にアールはたじろいだ。なんだか不穏な空気である。
「いらっしゃいませ~」
ゾロはいつも通りのんびりと挨拶を投げ掛けた。この辺りは流石に商売人だとアールは密かに感心する。
カウンターまでやって来た男を見上げ、店主が愛想よく笑った。
「すみませんねえ、ちょっと休憩中でして。本日はどのような御用で?」
「てめえが店主か」
謝りつつ茶菓子を片付ける素振りも見せずゾロが言うと、店主の言葉を丸きり無視して男が問い掛けた。
口調から男をゴロツキだと判断したアールはここから逃げ出したくなった。厄介事に巻き込まれるのは遠慮したい。しかしゴロツキの体が邪魔で青年は椅子から立ち上がることが出来なかった。
無礼な男の物言いも気にせずにゾロが答える。
「如何にもボクがこの店の主でーす。どーもどーも」
「どうもじゃねえんだよ。てめえ、どうしてくれるんだ?」
「はて。どうするとは?」
凄む男にゾロが小首を傾げる。丁寧な口調なのだが彼の声音にはどこか面白がるような節があって、アールは内心でハラハラした。
案の定、馬鹿にされていると感じたのか男はただでさえ悪い目つきを更に険しくした。
「てめえんとこで扱ってる商品だよ。宝の在処がわかるとかいうマジックアイテムだ」
「おやあ? その商品をお客様に売った覚えはございませんがネェ? 三日前にクレマン君に売ったのは覚えてるけど」
ゾロが考える素振りを見せるとゴロツキが答える。
「俺がそいつから貰ったんだよ」
「ほーう? 貰った?」
一瞬ゾロの眼がきらりと光ったが、男は気づかなかったようだ。ゴロツキが濁声でゾロに詰め寄った。
「ところがちっとも効果を発揮しねえ。店長さんよお、こりゃあ不良品じゃあねえのか? てめえの店は客に紛いモン掴ませるのか? ああ?」
「クレマン君にはおかしな商品を売った覚えはございませんけどネェ」
なんだか「クレマン君には」という言い回しが妙に気になったが、アールが訝る間にも男はゾロに絡んでいる。
「覚えがなくてもてめえがそのおかしなモノを売ったのが事実なんだよ。おう、どうしてくれるんだ。ああ?」
「どうしてくれるんだと申されましても、お客様はワタクシめがどのようにしたらお気に召すのでしょうかネェ?」
わざとらしくゾロが訊ねる。実に慇懃無礼な態度だったがゴロツキには皮肉がわからないようだった。
男が下卑た笑みを浮かべる。
「そうだな、金十枚で手を打ってやる。安いもんだろ?」
端から因縁をつけて金を巻き上げようという魂胆か。こういう輩はどこにでも居るものだが、見ていて気持ちのいいものではない。アールははっきりと顔を顰めた。同時に、ここの店主はこういった手合いをどう捌くの少し興味もあった。
ゾロがやんわりと首を振った。
「それは出来かねますネェ」
「出来かねます、じゃねえんだよ。やるんだよ」
男が威嚇するように身を乗り出して来る。店主とは対照的などら声が店内に木霊する。ゴロツキは威圧的に上から店主を覗き込んだ。
ゾロは手を挙げ、大仰に驚いた振りをした。
「お客様~、困りますヨー。ほら、こちらのお客様のご迷惑にもなりますから~」
「うるせえ!!」
芝居がかった店主の動きにおちょくられていると思ったのだろう、男が勘定台に掌を叩きつける。その衝撃で飛び上がった茶碗が悲鳴を発した。
倒れたカップから勢いよく流れ出た茶がアールに掛かる。幸い冷めてはいたが、服に大きな染みが出来てアールはげっと声を上げる。茶の染みは落ちにくいのだ。
キッとゴロツキを睨みかけ、逆に睨み返されたアールは悔しいけれど視線を落とした。この店内では応戦も逃亡も簡単にはできない。距離が近すぎるしこちらが立てないのも分が悪い。アールは自らの服を見つめ歯噛みした。
男の罵声を浴びたゾロが唇を尖らせる。
「えー? 失礼ですけどお客様のお声の方がうるさいですヨォ?」
「ふざけるなよ若造!」
ゴロツキが店主の襟首を掴んだ。男の手に捕まる前に避けられそうだったのに彼は逃げなかった。
首元を掴まれながらゾロが笑う。
「うーん、ウチの店ではあんまり暴れない方がいいよ? アブナイから」
なんだかつい先日も聞いた台詞だとアールは思った。このゴロツキを宥めるつもりなら逆効果な気がしたが、青年が思った通り男は目を眇めた。
「ああ? なにがアブねえんってんだ。てめえの身の危険をまず考えたらどうだ?」
「一応ボク、忠告はしたからネ?」
「ふざけんな!!」
脅すつもりか男が腕を振り上げた。己の方が優位にあるのだと示し、ゾロを従わせようというのだろう。
けれど、店主は呆れたような、憐れむような顔で肩を竦めるばかりである。
「あーあ、どうなっても知ーらない」
尚へらへらしているゾロに男が顔を引き攣らせる。ゾロが要求通りにしないこと以上にどこまでも余裕なその態度、小馬鹿にしたような口調が癪に障るのだろう。アールはゴロツキの気持ちがわかる気がした。この装身具商は人を怒らせるのが上手い。
見た目通りに短気なのだろう、男が吼えた。
「こっちの台詞だ! ふざけやがって!!」
男の腕が振り下ろされる。
殴られる――! 見ていられなくて、咄嗟にアールは目を瞑った。
途端、
「――っ……?!」
「ぐぁあああああああああああっ!?」
キン、と金属と金属がぶつかって反響するような高音が店内に響いた。
反射的にアールが耳を押さえた次の瞬間、バチバチとなにかが弾ける激しい音がして男の悲鳴が上がる。
驚いたアールが瞼を開くと赤い光の帯が四方八方から差し込み、ある一点、ゴロツキに集中していた。
一体この一瞬で、なにが起こったのか。
襟首を掴まれていたゾロは掠り傷のひとつ負うでなし、薄笑いのまま立っている。代わりにアールの足元に男が痙攣しながら転がっていた。
時折、パリッ、と青白い、細かな雷のような筋が動けないゴロツキの体を走る。電撃のようなものを喰らったらしい、とアールは察した。
男を見下ろし、にんまりと猫目を閉じたゾロが飄々と口遊んだ、
「だから言ったでしょお? アブナイ、って」
「…………! …………!!」
店主の言葉は悶絶する男の耳に届いているのか、いないのか。悲鳴も出せないゴロツキは倒れたまま頬を、唇をぶるぶると震わせるばかりである。
甲高い耳鳴りのような音が止んだことを確かめ、アールが恐る恐る耳から手を離した。
「な、なにが……!?」
「んー、防犯機能っていうのかなぁ? 赤い石、見えるでしょ? アレ、そうなんだよねぇ」
ゾロが人差し指で天井を示す。見上げると、初めてアールがこの店を訪れた際に気になっていた赤い、大きな石が目に飛び込んで来た。あのときは気づかなかったが店の天井中央にもひとつ、あの石が取り付けられていたようで、四本の柱と店の四隅と合わせて九個の赤い石が光を暴漢へ向けている。
店主が肩を竦めて見せた。
「ウチって高額商品を扱うじゃない? やっぱりねぇ、たま~に来るんだよねぇ。泥棒さんとか? ガラの悪いお兄さんとか?」
困っちゃうよねえ?と気さくに首を傾げられるがアールはすぐに反応できなかった。
アールの返答を待つでもなくゾロが言葉を続ける。
「か弱いボクひとりで対応するには限界があるじゃない? でも自衛しなくちゃいけない……そんなとき便利なのが、このマジックアイテムなのでーす!」
じゃじゃーん!と腕を広げ、場違いなほど陽気にゾロが声を張り上げる。彼の「か弱い」という自称には大いに疑問が残ったが、突っ込みを入れられる空気でもなければ、入れる気もいまのアールには起きない。
「マジックアイテム……」
赤い石を眺めアールが呟くとゾロが長い指を振った。
「あっ、でもコレは非売品ね。防犯機能がないとボクが困るから売れないヨ。大体、値段つけられないし」
「買わねーよ……」
疲れたようにアールが否定する。心配しなくてもあんな携帯も出来そうにないマジックアイテムなど欲しがらない、というか恐らく――否、確実に、欲しがったところで買える代物ではないだろう。
独りにこにこしながらゾロが説明した。
「ボクの店で暴れようとしたヒト、マスターのボク及び商品にキズをつけようとしたヒトは、あの防犯機能さん達に拘束されて、ちょーっとばかりイタ~イお仕置きを受けちゃうって仕掛けなんだよネェ」
楽しそうな声音でゾロが曰う。「お仕置き」を受けた男の様子を伺う限り「ちょっと」というレベルの痛さではない気がしたが、命に別状はなさそうなので一先ずアールは口を噤んだ。先日、苦情を言いにこの店を訪れたときのことが青年の脳裏をよぎっていた。
もしあのとき、ゾロの忠告とパティの制止を振り切って店主に掴みかかり、うっかり拳のひとつでも振り上げていたら――想像して、アールはぞっとした。
アールが身震いしている間にゾロはカウンターを出て男の傍に屈み込んでいた。脅されるとか殴られるとか、なにかしらの暴力を連想したのだろう、襟首を掴まれた男の喉がヒッと鳴る。
だが、店主はそんなゴロツキの様子などまったく意に介さず鼻歌交じりに男の懐をまさぐった。
「クレマン君に売ったマジックアイテムはマスター登録のある商品――本人にしか発動しないシロモノだよ。それをキミが使えるハズないし、そんなモノを彼がわざわざキミにあげるのもおかしなハナシだと思わない? ねえ?」
懐に件のマジックアイテムが無いことを確認したゾロは、相手が動けないのをいいことにゴロツキの財布を抜き取った。




