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幸運の尻尾  作者: 水居
幸運の尻尾④
12/15

幸運の尻尾4‐4

 

「バカにすんな!!」

「ええ~? 褒めたのに~」

 ゾロはそう言うが生憎ちっとも褒められている気がしない。アールは銀髪の狐人を睨みつけた。

 諸国を漫遊するアールは語学に強い。“ヌエヴェ・コラス”という店名も“ゾロ・プラテアード”という店主の名も、アーガトラム王国より南西に位置する国の言語だと彼は知っている。異国の言葉に明るくない一般のアーガトラム民は誤魔化せたとしてもアールは誤魔化せない。

 Zorro Plateado(銀狐)なんて名前、ふざけているとしか思えない。狐人のことはよく知らないが、ファミリーネームはまだしも、自分の子に「(zorro)」などと付ける親がいるだろうか。

 アールがこの店主への不信感を払拭できないのは、彼が名乗るその名自体が匿名であるというところも大きかった。

「明らかに偽名だろ!」

 アールが問い詰めると、ゾロは薄い笑みを口元に貼り付けた。

「だって、ボクは“狐”だもの」

 (いき)り立つアールとは対照的に、ゾロは実に穏やかな表情で言った。

「キミ達ヒトが散々罵ってくれた、ネ……」

「え?」

「なぁんでも♪」

 続けられた小さな呟きは、アールの耳へ届くことなく装身具店の空気に霧散した。

 崩れることのないゾロの笑い顔を目の当たりにし、アールは肩透かしを喰らった気分になる。偽名だろうと詰問してもゾロは慌てる様子も見せない。自分だけがこの男の言動や態度に苛立ったり怒ったりしていることに空しくなる。

 アールは何度目かわからない溜息を零した。

「……もーいい、やっぱ帰る」

 再びきびすを返そうとしたアールを、またしてもゾロが引き止めた。

「まあまあまあ、そう言わずにさー。ちょっとお茶してかない? ガトー・バスク焼いたんだ。ポルボローネスにトゥロン、チュロもあるヨ~」

 はい、とゾロは自分の背後の棚から菓子の乗った皿を次々に取り出す。周囲を漂う甘い匂いが一際強くなった。丸く香ばしく焼かれたガトー・バスク、粉雪のような砂糖を纏った焼き菓子にヌガーのようなバー、星型に搾り出され狐色に揚げられたチュロ。鼻腔を擽るスパイスとアーモンドの香りがアールを魅惑した。

 お茶は特性ブレンドティー、ガトー・バスクは焼き立てほやほやだよ~との誘い文句に青年の気も惹かれる。

 折りしも夕前、小腹の空く時間帯だ。ルドルの食べていたアップルパイやらパティの実家のパンやらが思い返されてアールの腹が小さく鳴いた。それは微かな音ではあったが、鋭い聴覚を持つこの男には聞こえているのだろう。間の悪さに青年はやや赤面した。

 からかわれるかと思ったが、ゾロはただにっこりしただけだった。

「うちの子達のおやつに作ったんだけど、お使いから帰るのはきっともう少し後だろうし。ゆっくりするのも悪くないけど独りは味気ないしねぇ。アール君もずっと立ってて疲れたでしょ? 張り切って作り過ぎちゃったから減らすの手伝ってくれると嬉しいなあ」

 人好きのする笑顔でゾロが言う。

 ソハヤの言っていた「裾分け」とはこれのことかとアールは合点した。ゾロの言う「うちの子達」が何者かは知らないが、大方ゾロの家族か店の従業員のことなのだろう。なんにせよ、目前の焼き菓子はどれも美味しそうだった。

 こう熱心に誘われると悪い気はしない。アールは頬を掻いた。

「……まあ、ちょっとだけなら」

「わあ、アリガト! さあさあ、座って座って。あ、椅子はそこのドレッサーのやつ使ってね。高さは自分で調節してくれる」

 アールに指示しながらゾロが煙管のセットを勘定台の端に移動させる。次いでカウンターの下からティーセットを取り出した。背後の棚からケトルを持ち上げカウンターに移したかと思えば、どれにしようかな~と鼻歌混じりに茶葉の缶を見比べている。店の奥に引っ込むでなく茶器が揃う辺り、この店主が日常的に店舗で茶を飲んでいるいることが伺えた。

 浮き浮きと茶の支度をしているゾロを眺めアールは訊ねた。

「なんか、随分あんた楽しそーだな……なんで?」

 ゾロにとってアールは一度買い物をしてくれただけの客でしかないだろう。茶飲み相手ができたことがそんなに嬉しいのか。

 アールが首を傾げると、逆に問い返すようにゾロも首を傾げた。

「えー? お客さんを招くのってなんか楽しくなーい? ボク、こういうのスキなんだよねぇ。非日常って感じがしてさぁ。パーティーとかお祭りとかも大好きだし、もてなしたりもてなされたりってイイよね」

 そんなもんかと頷きかけて、アールははっとした。

「あっ、金とらねえだろうな?!」

 流石のゾロもこれには苦笑した。

「そりゃボクはお金が大好きだけど、まさかお茶に招いたお客さんに代金を請求するような無作法はしないよ」

 相手を揶揄する癖があってもこの辺の感覚は真っ当な男のようだとアールは判じた。同時に過敏に反応しすぎたことを反省する。アールが非礼を詫びると、ゾロはもう流してしまったようでのんびりとNo se preocupe(気にしないで~)と返した。

 そんな遣り取りの間に真白いティーカップがアールの前に並べられる。青年はさり気なく茶碗の中や受け皿を確認してみたが染みひとつ無い。勘定台から取り出されたので埃を心配していたのだが杞憂だったらしい。銀のティースプーンもぴかぴかに磨かれ、食器はどれも清潔だった。

 ゾロがケトルの湯をポットへ流し入れる。先ほどの「いまお茶にしようとしていた」という彼の言葉は嘘ではなかったようで、薬缶(やかん)から注がれる湯は充分に熱く、白い湯気が昇っている。

 やがて辺りに茶の芳香が立ち込めた。さわやかな香りと蒸気がアールの気分を和らげる。

「はい、どーぞ」

 店主が茶を注いだカップを青年に差し出した。礼と共にアールはソーサーに乗せられたそれを受け取った。

 ゾロ特製だというブレンドティーはオレンジ色に澄み、茶碗の白によく映えている。ひと口、流し込めば、丁度よく蒸らされた茶が適度な渋みと絶妙の旨みをアールの口腔に広げた。茶の熱さ、茶碗の温もりにほっとする。

 素直に、旨い、とアールが零すとゾロは嬉しそうに狐耳を上下させた。ピアスの先の鈴が、しゃらん、と鳴る。

「お砂糖とクリームはお好きなだけどーぞ。ブランディ入れても美味しいよ。いる?」

「いや、今日はいい」

「そ。ブランディ入れるならボクのオススメはティルノグーシュだねぇ、林檎の香り高くて芳醇な味になるよ。寝る前に飲むと気分が落ち着くしよく眠れるんだ。試してみて」

「今度な」

「お菓子もいっぱいあるから遠慮しないで」

「おう……って、コレ、全部お前が作ったのか?」

「うん。味はまあまあだと思うよ。ガトー・バスクをあげようか」

 目を丸くするアールを余所(よそ)にゾロが焼き菓子の乗った皿を棚から取り上げた。作り過ぎたとか言っていたが本当に数が多い。既にカウンターの上は菓子の乗った皿やら籠やらでいっぱいなのに、ゾロの背後の棚にはこの倍の菓子が垣間見えた。ガトー・バスクだけでも十ホール以上は積まれている。それこそパーティーを開くか販売するだけありそうだ。

 呆気に取られている間に目前に焼き菓子を積まれ、更にアールはたじろいだ。直系十五セルトマイスはある丸い焼き菓子を三個積み上げたところでゾロが無邪気に訊ねる。

「ところでアール君、何ホール食べるの?」

「へ?」

「ガトー・バスク」

「え、まあ、まずはひと切れかな……味見してーし」

「えっ、ワンカットでいいの? ワンホールじゃなくて?」

「ワンホール?! いや、お前なんかビックリしてるみたいだけどこっちがビックリだわ! いきなりそんな食わねえよ!」

 またからかわれているのかと疑ったが、ゾロは目をぱちくりさせている。冗談のつもりではなかったようでアールの困惑は増した。

 店主は興味深げな顔で青年を見つめ、ナイフを手にした。

「へえ~。アール君、思ったより小食なんだねぇ。ボクなら三ホールはぺろーっとイケちゃうんだけどなぁ」

「多分それ、俺が小食なんじゃなくてお前がよく食うだけなんじゃねえの……」

 妙なところに感心しながらゾロがケーキを切り分ける。ざくざくと音を発するクッキー生地がアールの食欲をそそった。綺麗に六等分されたガトー・バスクは芳しいアーモンドの香りを纏っている。

「はい、どうぞ」

 ガトー・バスクの一切れが鎮座する皿を手渡される。焼き菓子はその黄金色の切り口からたっぷりバターが使われていることがわかった。中にぎっしり詰められたシロップ漬けのさくらんぼうが如何にも美味しそうでアールの期待を高める。

 アールはさっくりしたひと切れをフォークに突き刺して口元に運んだ。口の中でほろりと(ほぐ)れたケーキは香ばしいアーモンド、濃厚なバターの後にダークチェリーの甘酸っぱい味をアールの舌に届けた。シロップの染みた部分がしっとりしてまた味わい深い。

「うまっ!」

 青年は思わず声を上げた。もっと、もっと、と食べ進めるうちに、あっと言う間に無くなってしまう。すぐにお代わりを頼んだ。

 手製の菓子を気に入られたことが嬉しいのかゾロはずっとにこにこしている。次の焼き菓子を切り分けてやりながら彼はあれもこれもとアールに勧めた。

「どんどん食べていいからね。お茶のお代わりはどう? 口直しにチーズとナッツもあるし……あ、こっちのお菓子も食べてみて。おいしいよ」

「うわ! なんだこれ、溶けた……!」

「ポルボローネスね。ボクもスキ」

 粉砂糖をまぶした楕円形のクッキーは指で触れた段階でも脆そうな感じだったが、口に入れればほろほろ崩れてしまう。鼻へ抜けるシナモンとアーモンドの香りが快い。口内でさらりと砕けた後は舌にねっとりと絡みつく、なんとも不思議な食感である。ナッツの香ばしさが後を引く旨さだがしつこくない、まろやかな甘みでいくらでも食べられそうだった。

 次々にポルボローネスを口に放り込むアールへゾロが指を振る。

「それね、ほろっほろなのはバターじゃなくラードを使ってるからなんだ。先に小麦粉を金色になるまで炒るのがコツだね」

「へえ。菓子にラードって珍しいな。あんた菓子屋になった方がいいんじぇねえの?」

「よく言われるネ~。いやあ、なんて多才なボク」

「あーはいはい、言ってろ」

 店主の冗談を流しながら、アールはいつの間にかこの男との会話を楽しんでいる自分に気づいた。穏やかに会話できるのならゾロの声は耳に心地よいのだ――穏やかに会話できるのなら、だが。

 ゾロが茶目っ気たっぷりに肩を竦めた。

「まあ独り暮らしが長いとコレくらいはね~。ボク、けっこー家事スキだし」

「えっ、でも……」

 家族がいるのでは、とアールが問おうとしたとき、店の扉が荒々しく開いた。

「おい、店主はいるか!」

 

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