幸運の尻尾4‐3
「冗談、冗談。アール君、実はキミ、頗るイイところに来たんだよ~」
「は? イミわかんねーし」
「丁度いま、ボクってばお茶しようかな~と思ってたんだよねぇ。ゾロさんのお茶会にアール君をご招待! どう、嬉しいデショ?」
「いや、別に嬉しくねえけど」
店内に漂っているこの甘い香りは茶菓子のものか。ばちんとウィンクを飛ばして来る辺りこの狐人、心底うざったい。友人同士ならいざ知らず、男と二人っきりで茶を飲んで喜ぶ趣味などアールにはない。しかもゾロへの好意など無いに等しい。
アールが素気無く一刀両断しても、ゾロは気を悪くするでもなくやはり気楽に笑うばかりだった。
「あーらら、つれないねぇ」
あまり口がよくないことはアール自身、自覚はしている。アールの突剣貪な言葉にゾロが不快になるなりしょげるなりしててくれれば、まだ張り合いがあるのだ。しかし、なにを言ってもゾロは笑うかふざけるかで、いまひとつ掴み処がない。
この男が怒ることなどあるのだろうか、とその顔を眺めていたアールは、ふと、勘定台の上に広げられた道具に気がついた。
「おっ、これ、東方のパイプだろ」
パイプは藤の湯のソハヤが持っていたものによく似ている。彼の使っていたものと比べると柄が長く、より装飾的な見た目をしていた。パイプを入れる筒やケースなどひと揃いになっている。引き出しの付いた小さな棚のようなものもセットのようだ。
物珍しさに覗き込むアールを見てゾロがにっこりした。
「うん、煙管。舶来品でね、こっちの煙管筒と煙草盆は蒔絵なんだ。きれいでしょ」
「へえ……。この花、金か? すげー……うっす……」
煙管筒や煙草盆はぬめるような黒と黄味がかった赤とに塗り分けられている。その色の対比のうつくしさ。金箔で作られた薄い花と金銀の粉が散り、透明なニスに閉じ込められ――“ウルシヌリ”とゾロは口走った――なんとも言えない艶と光を放っている。
ゾロの手に納まった煙管は火皿も吸口も金で作られ、柄の黒と朱をまたよく引き立てている。よく見れば吸口にまで精巧な彫刻が施されていた。刻み煙草を納める煙草入れは金糸を用いた綾織りで、柔らかく匂い立つような色香がある。
どれもよく手入れをされているが、そこはかとなく古物の風格があった。黒と赤と金とはかなり強い組み合わせの筈なのに色彩は見事に調和し、寧ろ控えめな、品のようなものすら感じられた。
西方諸国のパイプにはないエキゾチックな姿がアールには目新しく映る。値段や価値などはわからないが純粋にいい物だと彼は思った。
ほうと感嘆の溜息を吐いた青年をゾロが微笑んで見守る。
「煙草、吸うんだな」
男の口元から零れる歯は煙草の脂とは無縁の白さに見えたので、パイプを持っていることがアールには些か意外に思われた。
青年が言うと、店主はかぶりを振った。
「ううん、ボクこの煙管は使えない――使わないんだ」
言い直された言葉にアールは少しばかり引っ掛かりを覚えたが、ゾロは自らの掌中のパイプを眺めるばかりである。彼の顔に浮かんだ優しげな、懐かしげな眼差しが刹那の沈黙を呼ぶ。
やがてアールへ向かってにっこり笑うと、ゾロは煙管を勘定台の上に置いた。
「大事にしてるんだ。それに煙草のタールってなかなか落ちないしネェ。黄ばんだ歯で接客とかイヤじゃな~い?」
白い歯を維持してるソハヤ君て凄いよねえ、などと冗談めかして口遊む彼はこれまで通りのゾロだ。
アールは妙にほっとして、同時に喉まで出掛かった問いを飲み込んだ。なぜかこれ以上、この煙管について踏み込んではいけないような気がしたのだ。
一先ず、観賞用という意味合いなのだろう、と青年は受け取ることにした。それなりに繁盛していそうな装飾品店の主だ、道楽で東国のアンティーク品のひとつやふたつコレクションしていてもおかしくない。
東国、という単語からアールは本来の用件を思い出す。ゾロへ向き直り、アールは問うた。
「なあ、あんた、狐人なんだろ」
「キミ達の呼ぶところ、そうだねぇ」
持って回った言い方でゾロが頷く。どうしてこの男はいちいち含むような物言いをするのかと思わないでもなかったが、アールは質問を続けた。
「尻尾、しまってんだって?」
「うん」
拍子抜けするほどあっさりとゾロが肯定した。ならば、とアールが畳み掛ける。
「尻尾、見せてくれよ」
カウンターに腕を乗せ、アールが店主へ迫る。
するとゾロはおもむろに自分の肩を両腕で抱き、持ち前の美声でこう言った、
「いやん、アール君のスケベ」
「な・ん・で・だ・よっ!!」
アールの全身に鳥肌が立つ。やたらにイイ声だからこそ不快感が倍増である。男の艶っぽい声なんか聴きたくない。
シナを作るな気色悪ぃ!とアールが怒鳴るとゾロがこどものように唇を尖らせた。
「だって尻尾って尾骶骨から生えてるんだよ? つまりお尻ギリギリなんだよ? それを見せろって……やだ、ゾロ恥ずかしいっ」
「ふざけんなっ!!」
口元を手で覆われても何ら可愛くない。腰元など服で隠せばよいではないか、なにも尻尾の根元から見せろと言ったつもりはないのだ。
目を三角にするアールにけらけら笑ってゾロが掌を振った。
「あっはっはっは。まあ怒らない、怒らない」
次いで彼はカウンターに肩肘をつきアールを見上げた。
「うーん、ボクもどうせ尻尾を見せるならカワイイ女の子におねだりされたかったなぁ。あっ、そうだ。アール君、Bちゃん知ってる? BBちゃん。あの子のところでアール君、キレイにしてもらって来たら? そうしたらボクの食指も一セルトマイスくらい動くかもしれない」
「断るっ!!!」
BBとは化粧品ショップを営む女装の男の名である。副業で占い師もしている彼は「美の妖精の使い」を自称し、美容のアドバイスの的確さと占いの的中率で女性から絶大な人気を博している。ちなみに本名はブルーノ・ブルノルトというらしいが「カワイくないからイヤ」との理由でBBと名乗っている。
完璧な化粧と派手――且つ、やや珍妙――な衣装は見事の一言に尽きるが、骨格から滲み出る男臭さと声音は誤魔化しようもない。あの低い声で繰り出されるオネエ言葉と男らしい体格に反したなよなよとした動きは、アールに違和感しか与えない。勧められて手相を見てもらったときのことを思い返し、アールは身震いをした。
不必要に手の甲を撫で回されたのは不快な記憶としてアールの脳裏に焼きついている。アレは冗談だったのか、それとも本当に男もイケるのか――考え出すと怖くなるので、アールは首を振って早急にBBのことを頭から締め出した。
そのBBのところで「キレイ」にしてもらえ、とはアールに女装をして来いということだ。冗談ではない。
全力で拒否したアールはおどけるゾロに腹を立てつつ、どうやらBBと親しいらしい彼に妙に納得もしていた。どちらも身なりに関わる職業だという共通点以上に、ゾロもBBも人をからかうのが好きそうだ。こいつらは気が合うに違いない。
噛み付かんばかりのアールの勢いに肩を竦め、ゾロが言った。
「怒りん坊さんだナァ。仕方ない、アール君にはランダム・マジックで迷惑を掛けたし、見せてあげないこともないよ。――ところで、何本?」
「へっ?」
アールが目をしばたたかせる。
ゾロは同じ調子で繰り返した。
「何本、見たいの?」
「何本って……尻尾って一本じゃねえの?」
「うん」
アールの問いにこっくりとゾロが頷いた。青年は混乱しかけた。
なにか思い違いをしていただろうか、とアールは急いで記憶の引き出しを開く。狐人、とは狐の獣人である。通常、狐の尻尾は一本だった気がする、いや確かに一本だった。複数の尻尾を持つ狐人がいるなんてハナシ、書物で見たこともなければ噂話で聞いたこともない。
現在は尻尾を「しまって」いて一本も見えないゾロは、自分は本当は複数の尻尾を持っているのだと曰う。青年は俄かには信じられなかった。
怪訝な顔でアールは問いを重ねた。
「狐人て、そういうモンなのか……?」
「さあ? 他の子のことは知らないけど、まあフツーは一本じゃない?」
「え、じゃあお前は?」
「ボクは特別……かな?」
茶目っ気たっぷりにゾロが猫目をくるりとさせる。
なぜ狐の獣人なのに複数の尻尾を持つのか、どうしてこの男だけ特別なのか、どうやってそれを「しまって」いるのか。
次々と疑問が湧き上がったが、まずなにより気になったことをアールは訊ねた。
「……ちなみに、何本まで出せるんだ?」
「MAX九本」
「マジで?!」
「そ、マジで~」
目を剥くアールに対してゾロはどこまでも飄々としている。
あまりの軽さに作り話ではないかと危ぶむアールの目前で、ゾロが急になにかを思い出したような顔をした。
「あっ。しまった……でもひとつだけ、マズイことが……」
「なんだよ。まさか、呪いとか封印とか……」
「ううん、もっと重要なこと」
「重要なこと……」
ゾロが首を振った。なんだろう、とアールは考えてみたが皆目見当がつかない。
店主は悩ましげに眉を顰めた。
「きっと大変なことが起こってしまう……」
「大変なこと……」
ゾロが悲しげに目を伏せた。
「ボクが尻尾を出しちゃうとね……」
「尻尾を出しちゃうと……!?」
重大な秘密を明かすようにゾロが声を潜める。狐人の店主の真剣な顔と声音とに青年もつい引き込まれる。
続きが気になって仕方ない。緊迫した空気に思わず手を握り締め、アールはごくりと喉を鳴らした。
暫しの沈黙の後、やがてゾロが告げた言葉は――、
「女の子に、すっごくモテちゃうんだ!!」
「ああそうかよっ!!!」
この上もなくどうでもいいことだった。
ふかふか尻尾が女子のハートを鷲掴み!と嘯くゾロにアールは頬を引き攣らせた。苦渋の表情でなにを言うのかと思えば。
ゾロがやれやれと首を振った。
「アール君はもふもふされちゃう尻尾が無いからそうやって言えるんだヨ」
如何にも、ハッわかってないな、という顔をされ青年は握り拳を震わせた。
どうしよう、もの凄く、殴りたい。
ギリギリと歯を噛み締め、アールはゾロへ突っ込んだ。
「そもそもなんで隠してんだよ!」
「そりゃーモチロン、尻尾なんてもさもさ生やしてたらタイトなトラウザーが穿けないからでしょー」
オシャレは大事だよね~とへらへら笑う装身具商はどこまで本気かわからない。
遂に青年は喚いた。
「あーもー! なんなんだよお前! 名前からしてふざけやがって!」
アールが噛み付くとゾロが面白そうに目を細めた。
「おや、この国のコトバじゃないのに。アール君ってば、博識だねぇ」




