幸運の尻尾4‐2
緋毛氈の掛けられた長椅子は屋外に設置するには派手に思われたが、意外にも湯屋の建物、庭と馴染んでいるから不思議である。東国の調度、色彩の妙か。
浴場の建物を中心に庭が設えられていたが、左右で情景が違う。藤棚の並ぶ庭園の反対側は、大きな岩が置かれ樹木が植わっていた。庭石や木はアールの目には無造作な配置に映る。敷石も形が不揃い且つ飛び飛びで、なんだかタイルとしての意味がないように思われた。
丁度この場所は風の通り道らしく、藤を揺らして抜けてゆく東の風が快い。風上に陣取っていることを確認してからアールはソハヤへ問い掛けた。
「なあ、ここの常連に獣人がいるだろ」
「常連の獣人? そりゃ装身具店の狐――じゃあねえってか? ああ、獅子の方な」
「そうそ。ゴルトブラットの。今日って来るかな?」
アールは横からソハヤの顔を覗き込んだ。
ふーっと白煙を吐き出し、ソハヤが言った。
「今日はもう来ねえぞ」
「えっ」
「奴さん、二日に一遍の割合でウチに来るんだが、今朝方ひとっ風呂浴びてったから、次に顔出すのは恐らく明後日だろうよ。さっきまで野暮用でもう一遍、顔出して行ったがな。お前ももう一刻ばかり早けりゃなあ」
「うわっ、入れ違いかよ……。いつも大体どのくらいに来るんだ?」
「さあて。まあ人、特に女か?――がいねえ、空いてるときを見計らって来てる風だがなあ」
「それって、つまりいつ来るかハッキリわかんねーってこと?」
「この街じゃ大抵、毎日お天道さまが出てるが、天気によっても客足は変わらあな。確実に会いたきゃ明後日あたり、一日ここで待ってみるこったな」
「マジかよ……」
パティの祖母に話を訊けなかった分、情報収集をしようと思ったのだが完全に当てが外れた。
ぐしゃぐしゃと髪を乱すアールへ視線を向け、ソハヤが問う。
「なんだ、火急の用事かい?」
「いや、そういうわけじゃねえけど……。なあ、そいつさ、たまに尻尾が無くなってるとかそういうことは――……いや、ねえよな、うん……悪ぃ、気にしないでくれ……」
ソハヤから思いきり胡乱な眼差しを向けられ、アールは自ら言葉を切った。自分でも妙なことを訊いた自覚はある。
とん、と東洋風パイプの火皿から灰を落とすと――携帯の灰皿を常備している辺り綺麗好きな彼らしい――ソハヤがのんびりと答えた。
「お前さんがなにを調べてるか知らねえが、俺の知る限り、獅子の若造の尾が出たり消えたりってのは見たことねえな」
「デスヨネー」
棒読みのアールも力なく笑う。ゴルトブラットの青年にわざわざ会う必要もなかったかもしれない。
はぁ……と溜息を吐いたアールを横目に、ソハヤは懐から筒のようなものを取り出した。
「今時分ならゾロの奴ぁ店に居るだろうから、行ってみたらどうだ」
「えっ……」
シラハナ風パイプをしまいながらソハヤが言う。派手ではないが細かな装飾の施された筒はパイプを入れるケースのようだった。揃いの舶来品なのだろう、アーガトラムをはじめ西方諸国には無い独特の異国情緒が魅力的だ。
ゾロの名を出されアールは目を瞠った。装身具店の主のことを調べている、と告げたわけではないのだが、察しのいいソハヤには見当がついたらしい。
しかしこの前アールが文句を言いに出向いたときは、いまくらいの時間でもゾロの店は開いていなかった気がするのだが……。
そんなアールの心を読んだかのようにソハヤが言葉を続けた。
「あいつぁ宵っ張りなのか店を開けるのが早くても昼前、大体は昼を過ぎてからだな。しかもあの天気者、近頃小せえのが増えたからか前にも増して散歩だか遠足だか、なんだか知らねえがふらふら出掛けちまう。まったく、真面目に商いをする気があるんだかねえんだか……。まっ、狙うなら昼下がりから夕暮れ辺りだな」
「へえ、詳しいんだな」
流石にこの土地に移り住み十年経つだけある。旅人のアールが知らないゾロの暮らしの一端を、ソハヤは知っているようだ。
感心したように頷くアールへまあなと答え、ソハヤは微かに眉根を寄せた。
「会報を持ってっても店が開いてねえ、寄合に参加させようにも留守ってのがザラじゃあな……」
大体の行動傾向くらい把握するようになるってえんだ……と苦々しい口調でソハヤがぼやく。どうやらこれまで色々あったらしい。商人ギルドのまとめ役をやっているソハヤだが、なかなか気苦労が絶えないようだ。
煙草入れを懐へ収めたソハヤが立ち上がる。衣擦れに伴い、ほろ苦い、微かな煙草の香りが漂った。休憩は終わりらしい。
「兎に角、今日のとこは奴さん、手前の店に居ると思うぜ。菓子を焼いただか貰っただか、今し方ちび助が裾分けに来たからな」
明日のこたあ知らねえ、と言い残しソハヤは店へ戻って行った。その背へ礼を投げ掛け、アールも立ち上がる。午後の日は照り返しが強いが水を蒔いた藤の湯の敷地内は心なしか涼しい。
栗のパフェとやらは魅力的だったが風呂屋の暖簾に背を向け、アールは通りへ出た。どうしたもんかなあ、と口の中で呟き、とりあえず青年は商店街への道を辿る。
本当は一応の裏を取ってからゾロへ会いに行くつもりだったのだ。言い逃れをされる可能性をアールは考慮していた。言葉巧みな男であることは売りつけられたランダム・マジックの件で体験済みだ。
けれど昔のゾロを知るパティの祖母は不在、代わりに尻尾の出し入れについて訊いてみようと思った獅子の獣人とも行き違い、当のゾロが今日は店に居て明日以降にちゃんと会えるかどうかはわからない、ときたものだ。
そう急ぐことでもないのだ、本当に知りたいと思ったことは数日、或いはそれ以上の時間を掛けてでも必ず調べてやろうとアールは思う。反面、出来れば調べものは集中的に済ませてしまいたい、という気持ちもある。アールは旅人だ、何年もこの街に留まるつもりはない。世界は広い。行きたい場所、見たいもの、知りたいことは沢山ある。
そんなことを考えながら歩いていたせいか、いつの間にか見知った場所に来ていた。
「……また、ここか」
ヌエヴェ・コラス。看板に刻まれた文字を睨めつけ、アールは喉の奥で唸る。
この店の主、ゾロへの印象は複雑だった。いまは酷い悪徳商人とまでは思わないが、やはり胡散臭さを拭えない。ギルド加盟店だし老舗のようだから、それなりに信頼と実績のある店だということはわかるのだが……。
アールの不信感はゾロとの出会いからこれまで、彼にからかわれた記憶しかないせいかもしれない。大体、名前が「ゾロ・プラテアード」なのだ。けらけら笑う狐目の男の姿を思い出しアールは眉間の皺を深くした。
しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。いまの時間ならゾロは店にいる筈だ、とソハヤは言った。それを裏付けるように装身具店の扉には「営業中」の看板が掛けられている。
ここまで来たからには、会って話のひとつでも訊いて帰ってやろう。
意を決し、アールは店の扉を開いた。
この店を訪れるのはこれで三度目であろうか、足を踏み入れた装身具店はやはりどこか異国の雰囲気を内包している。
見た目には変わらぬ店内は、今日は淡く甘い香りがした。糖類とスパイス、香ばしい小麦とバターの匂いが奥から漂ってくる。勘定台のある方へ進むにつれその香りは強まった。
陳列棚を抜けた先には見知った店主の姿があった。
「いらっしゃいませ」
魅力的なテノールがアールを迎えた。響きは柔らかく、深い。
本当に声だけはいい奴だな、とアールは思う。顔立ちも、やや癖が強いが崩れているというわけではないのだ、黙っていれば――いや、ふざけたことさえ言わなければ、アールだってもっと好感を抱けそうなものなのだが。
カウンターの中に陣取るゾロが気さくに片手を上げた。
「やあ、アール君。もう来ないって言ってたのにまた来てくれたんだねぇ。ナニ? ツンデレってやつ?」
ひくりとアールは頬を引き攣らせた。初っ端からこれである。軽口を叩くにしても最後の一言が余計すぎる。誰がツンデレだ。
男の緩い笑いが早速アールの癇に障ったが、このくらいは予想の範疇である。今日は乗せられない。冷静に冷静に、とアールは自分に言い聞かせた。
「違ぇし、気色悪ぃし」
精々冷たく言葉を返したつもりなのだが、装身具商の面の皮は厚い。相変わらずにこにこと笑っている。
「今日はなにをお求めかな? 結界を張れるブレスレット? 瞬発力が上がるアンクレット? 意中の子の愛を勝ち取れるペンダント? お得な洗剤の詰め合わせ?」
「今日は買い物じゃねーし、最後の絶対マジックアイテム関係ねーし」
「ボクとしては買い物して行って欲しいけどナァ。この料理を焦げ付かせなくなる髪留めとかどう? お安くしとくよ?」
「必要ねーし、金ねーし」
「はっはっは、またまたぁ。ギルドの仕事帰りだったりするんじゃないの? アール君、ちょっとジャンプしてみようか? ん?」
「や、やだね! 兎に角、今日は買い物するつもりはねえ!」
この店主は耳がいいのだった。ゾロの大きな狐耳を眺め、財布の中の硬貨が音を立てないかひやりとしつつ、アールは突っぱねた。金を持っていると知られたら、言葉巧みに搾り取られる気がしてならない。自分の懐を守るようにアールは服の袷を掴んだ。
ゾロがはっと顔を上げる。
「むっ! きのこスープが簡単おいしく作れるレシピなら渡せないよ? あのユッカ君から全部引き出すまでにこのボクが何ヶ月かけたことか……!」
「いらねーし! お前がそんなん持ってるなんていま知ったっつの!」
キッと視線を向けてくるゾロにアールが歯を噛み締めた。きのこスープのレシピなど奪ってどうすると言うのだ。アールがぼやくと、それを新聞で公表して口外無用の約束を破ったボクがユッカ君から恨まれるように仕向ける壮大な野望が……!などとわざとらしく震えながら嘯くものだから、終いには頭痛がしてくる。
呆れて物も言えないアールを尻目にゾロが形のいい顎をひと撫でした。
「ははぁ、もしかしてアレか、前の曰く付きのハナシが気になっちゃったんだね? よしよし、ひとつお兄さんが話して聞かせてあげよう、いまは昔、ある国にひとりの騎士が居りましたが――」
「だーっ!! 違えっつの! 俺の用はそれでもねえから!!」
アールが喚くとゾロが狐目をぱちくりさせた。
「えっ、コレも違うの? ナニ? まさかステキに好青年なこのボクにただ会いたくてとか? うわー、アール君、ヒマだね~」
「……帰る」
アールはくるりと背を向けた。決意して入店したつもりだったが、やはり駄目かもしれない。この男のふざけた言動にはそろそろ我慢できなくなりそうだ。
歩き出そうとしたアールを、まあまあ、とゾロが引き留めた。




