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Stand by me  作者: 粗目
3/4

3.黄金週間



 ゴールデンウィークに入って三日目。掃除も溜まっていた洗濯も終わらせすがすがしい1DKの我が家で俺は朝から服を選んでいた。我ながら笑えるが、今夜は野末と見回りなのだ。

 一昨日の見回りは年輩の英語教師と一緒だった。意外に生徒達の姿は簡単に見つかって、そのあっけなさに驚くほどだった。彼等は悪びれた風もなく繁華街を歩き、教師と顔を合わせても「先生こんばんは」などと挨拶をしてくる始末だ。一応、見つけた生徒の名前は控えておくこと、となっていたが英語教師は苦笑一つで「遅くならないうちに帰りなさい」と言うだけだった。

 生徒達もそれを分かっているのだろう。実際見たところ、あきらかに酔っている生徒はいなかったし、トラブルに巻き込まれていたりトラブルを引き起こしている雰囲気でもなかった。


「まあ、生徒と保護者両方に対する気休めですよ。あとは万が一何かがあった時、教師が近くにいればなんらかの手を打てる可能性が高くなる、くらいですね」


 もうすぐ定年だという英語教師はそういって笑い、でも会った生徒の名前は覚えていますから、休み明けには課題を与えます、とも付け加えた。

 

 野末はどういう対処をするのだろう。彼のことだから生徒を見ても見ぬふりをするか、それとも几帳面に注意をして名前を控えるか。生徒に興味のなさそうな野末のことだから、見回り自体早くきりあげることもありうる。

 結局、淡いピンクのシャツに学校へつけていくのより少しだけ派手なネクタイ、濃グレーのスーツに決めて、やっと朝食兼昼食の支度を始めながら俺は野末の家に迎えに行こうか、とふと考えてすぐにその考えを捨てる。それじゃあ言い訳のしようもなくストーカーだ。いや住所は教員名簿に載っているからすぐに分かるし、今まで一度も野末の家に行ったことはないのだから、ストーカーではない。断じて無いが、いきなり家に俺みたいなのが来たら怖いだろう。


 夕方までレンタルしてきたDVDを見て、シャワーを浴びてスーツに着替えた。鏡を見ると、どう見ても「デート向けに頑張った」ようにしか見えないので嫌になって、スーツを止めてチノパンにして、そうしたらワイシャツがかっきりしすぎておかしいので上もアイロンをかけただけの綿シャツに着替えて、一応ネクタイだけは締めた。これでようやく「デートに頑張った人」のようではなくなったが、休日着プラスネクタイ、のような気合の入っていない格好に、朝からあれでもないこれでもないと服をひっぱりだしていた時間が空しく感じられる。

 まあ仕方ない、そんなこともある、と時計を見て慌てて部屋を飛び出した。



 待ち合わせは20:00に駅の改札前。俺が着いた時、待ち合わせの十分前だったが野末はすでに駅舎のベンチに座ってハードカバーの本を読んでいた。僅かな期待はあっけなく裏切られ、彼はいつも学校で見かけるのと大差ない格好だった。


「すみません。遅くなりました」

「まだ時間はある」

「いえ、ええと、早い、ですね。もしかしてすごく待たせてしまいましたか?」

「電車の時間の都合だ」


 取り付くしまもない、とはこういうことだといわんばかりの素っ気無い応答をしながら野末は本を鞄にしまって立ち上がった。さっさと駅前から広がる繁華街へ向かおうとする。彼が歩き出すと、右足を僅かに引き摺っているのが目についた。


「先生、どうしたんですか。足」

「ああ、昨夜蹴られた」

「は!? て、え、誰に」

「生徒だ」

「はあ? なんでですか」

「逃げようとしたところを掴んだからだろう」


 そういえば野末は昨夜と今夜が見回りの当番だった。それにしても、一日たってもひきずるほど痛めつけるとはどれほどの強さで蹴られたのだろう。俺は胸のあたりがむかむかとした。


「病院は行ったんですか?」

「必要ない」

「必要ないって…、ありますよ」

「その生徒だが、裏通りの店に入ろうとしていた。君は前回の見回りで見つけなかったか?」

「あ……、そっちの方には行きませんでした。大通りだけで…」

「そうか」


 短く相槌を打たれただけだったが、仕事の足りなさを非難されている気がした。裏通りまで見てまわっていたらきりがない、と言われてうなずいたのは俺だから言い訳も出来ないが。

 野末の足は大通りを歩きながら裏通りにも目を向ける。多くの路地にあるのは小体な焼き鳥屋や小料理屋だが、時々クラブなどがある。野末はそういう通りに迷い無く足を向けた。大通りで会う生徒達を注意しながら野末の後ろ姿を見失わないように注意して歩く。

 やがて野末は路地の更に裏にある通りに入り込んだ。俺なら十代の頃でもこんな所に足を踏み入れない、と思う。地味な学生だったせいもあるが、路地は見るからに危なさそうな雰囲気に満ちていた。狭い道の暗がりに人が座り込んだり壁に寄りかかったりしている。皆若く、明らかに場違いな野末と俺を敵意や嘲笑に満ちた眼で見ている。間違って迷い込んできた間抜けなサラリーマン……、彼等の眼にはそんなふうに映っていることだろう。


 野末は気がまえる風でもなく、クラブの入り口に立っている黒服(恐らくはガードも兼ねているのだろう)に近づいた。


「生徒が来ていないか確認したいんだが」

「先生、また怪我するよ。それに今日は駄目だ。昨日先生を入れたのがバレた」

「それは、悪かった」

「いいよ。俺も明らかに未成年っぽいのは入れてないから…信用できないかもしれないけど」

「いや、ありがとう」


 ぼそぼそとした声で交わされる会話をすぐ傍で聞きながら、野末の元生徒か、と黒服を見る。俺が生徒の頃は全く相手にされていなかったが、十年の間に何か心境の変化でもあったのか。卒業生に助力を頼めるような教師になったらしい。その割には在校生や教師の野末を見る目は昔から変わっていないように思うが。

 ということはこの黒服が特別なのだろうか。


 知らず視線が尖ったらしい。黒服はじろりと俺を見て「新人さんか」と嗤った。何か言いかえそうと思っている間に野末は背を向けて引き返している。慌てて後を追って隣に並ぶと、野末の足は会った時から明らかに遅くなっていた。


「先生、どこかで一休みしましょう。それか、せめて薬局で湿布か何か」

「湿布は貼ってある」

「でも先生」

「君と、一緒に座る気はない」

「………。ああ、そうですよね」


 頑なに俺と目を合わせない野末の態度は休み前と同じなのに、つい夜の空気に浮かれていたらしい。それにしても歩くのも辛そうに足を引き摺っているから声を掛けたのであって下心などまるで無かったのに、そんなにばっさりと断ることもないだろうと俺は憮然とする。大体無理矢理キスして告白したのはもう二ヶ月近くも前のことだ。許せとも忘れろとも言わないが、もう少しなんとかならないか、と思う。

 この拒絶が、野末からの明確なメッセージであることを重々承知しながら俺はそんなことを考える。


「先生、俺のこと嫌いなら…というか嫌いなのは分かりますけどせめてきちんと」

「木下」

「はい?」

「あれ、君のクラスの生徒だ」


 あれ、と指差す先には竹下カナがいた。しかし言われても一瞬分からなかったくらい、彼女は面変わりしている。遠目からでも濃い化粧、下着のようなキャミソールドレス。

 こちらの注視に気づいたのか竹下が顔を上げて俺を見た。

 物怖じしない彼女ならきっと手を上げて「せんせー」と気の抜けた挨拶をするだろう。そう思った俺の顔を見た竹下は、あっという間に逃げだした。


「追え」

「言われなくても、追います。先生は歩いてきてください」


 雑踏の中を一人の人間を追うのは難しいが、それは逃げるのも同じように難しいということだ。人にあたり、人の流れに拒まれ、竹下は上手く進めない。

 

 

 裏通りに抜けようとしていた竹下の腕を掴んだのは、それでも僥倖だった。


「離してよ!」

「悪いが、何故逃げたのか理由を聞かないと」

「そんなの、先生と会ったからに決まってるじゃん! なにか罰をくらったらヤダから逃げたの!」

「…罰はないけどな。そんな格好で出歩くのはやめなさい、危ないから」

「大丈夫よ、別に危ないことなんてないもん」


 背後に、足を引き摺る足音が聞こえる。野末がやっと来たらしい。

 竹下の腕を掴んだまま振り向くと、野末がじっと竹下を見据えていた。竹下がぎっと野末を睨みつける。


「木下先生、彼女を家まで送っていってください」

「は、はい?」

「ちょっと! 関係ないじゃんあんたには」

「木下先生」

「あ、わかりました。先生が送っていくから、住所を教えてくれ」

「うるさいよ!」

「竹下君」


 野末はじっと竹下を見たまま、彼女の名前を呼んだ。俺はまさか野末が担当でもない生徒の名前を覚えているとは思わなくてぽかん、と彼を見た。野末はそんな俺に構うことなくじっと竹下を見つめている。

 そんな場合ではないのは百も承知だが、ちょっと、野末の視線を一心に受ける竹下に嫉妬してしまう。俺は目も合わせてもらえないのに。


 


 竹下はやがて小さな声で、三つ先の駅の名前を言った。「家までついてこられるとかホント勘弁してよ、ちゃんと帰るから」そういう彼女と共に電車に乗り、駅で別れた。小さな駅の白熱灯の下で見る竹下は教室で見るよりも小柄で、挑発的に見えた化粧やキャミソールドレスが、子供が無理に大人の格好をしたような無残さに変わっている。


「おやすみ、先生」

「ああ、気をつけて帰れよ。なあやっぱり家の近くまで送るよ」

「大丈夫。ここからすぐなの、家。あそこだから」

「でも、危ないから」

「平気。じゃあね」


 俺は暫く、竹下の姿が消えるまで見送っていたが、やがて上りの電車が来て、それに乗り込んだ。野末はまだ繁華街にいるのだろうか。彼の携帯の番号を知らない迂闊さに苛立つ。


 駅に着くと、野末は駅舎のベンチに座っていた。疲れた顔をしている。


「先生」

「十一時だ。今日の見回りは終了。ごくろうさまでした」

「あ、はい。お疲れ様でした」


 小さく頭を下げてそのままホームへ向かおうとする野末に声を掛けると、一瞬躊躇って彼は立ち止まった。


「先生が、担当でもない生徒の名前をご存知でいらっしゃるとは、失礼ですが意外でした。俺が生徒だった頃はそんなふうじゃなかったですよね」

「………。あの時。私は君の名前も覚えていなかった」

「まさか、後悔したとでも?」

「……ああ、後悔した」


 小さな声だが、確かに聞こえた。



 次の言葉を探している間に、野末の姿は改札の向こうに消えていた。




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