窓辺の人形
古文書を調査するために、私は人里離れた**『灰色の館』**へと足を踏み入れた。築百年を超えるその屋敷は、内部もまた時代に取り残されたまま、埃と沈黙に満ちていた。
私が研究のために充てられたのは、二階の広い一室だった。その部屋で、まず私の目を引いたのは、南向きの窓辺にちょこんと置かれた小さな人形だった。高さは30センチほど。薄い水色のドレスを着た、陶器のような肌の人形は、無表情に、ただ外の庭を見つめていた。
「昔の住人が残していったのだろう」と、私は特に気に留めることなく、作業に取り掛かった。
部屋の片隅には、深く黒ずんだ木製の黒い椅子が、壁際に寄せられていた。また、壁にかかった古い振り子時計は、3時15分で針が止まったまま、沈黙を守っていた。時が止まった部屋に、人形だけが静かな住人のように佇んでいた。
滞在して三日目の夕方、私はふと窓辺の人形に目をやった。
「あれ?」
最初、人形は地味な水色のドレスを着ていたはずだ。しかし、人形の胸元に、ごく微細だが、私が今着ているのと似た色のスカーフのような布が巻かれているように見えた。気のせいかと思い、私はすぐに作業に戻った。
翌日、変化はさらに明白になった。人形の髪型が、昨日よりも短く、整っている。それは、私が夜中に邪魔だからと雑にハサミで切った、私の髪型そのものに酷似していた。私は震えを感じながらも、「湿気で髪が縮れたのだろう」と無理やり納得させた。
五日目。決定的な変化があった。人形の顔つきだ。無表情だったはずの陶器の唇が、わずかに上向きに歪んでいる。そして、その表情は、徹夜続きで疲労の色を隠せない、今の私の表情に驚くほど似ていた。
人形は、毎日、私を模倣していた。
私は恐ろしくなり、人形に布をかけて隠そうとした。だが、手が触れる直前、人形の眼球が、まるで生きた人間のように濡れて光った気がして、私は咄嗟に手を引いた。
その夜、私はその部屋で眠るのが恐ろしくなり、ソファで仮眠を取ることにした。
ウトウトし始めたその時、壁の3時15分で止まった時計が、突然、カチリと音を立てた。一瞬、針が動いたような気がした。
そして、私は夢を見た。
夢の中で、私は窓辺に立っていた。部屋の中は闇に包まれている。私はふと窓辺を見下ろす。布をかけたはずの人形が、布の下から私を見上げていた。
人形の顔は、完全に私自身になっていた。私の疲れ切った目元、私の口元、私の服装。そして、その人形は、私に向かってゆっくりと、ゾッとするような笑みを浮かべた。
「もうすぐ、あなたの時間も止まるわ」
その笑い声は、私自身の声と、甲高いガラスの音を混ぜたような、奇妙な響きだった。
跳ね起きると、全身が汗で濡れていた。時計の針は、再び動くことなく3時15分で止まっている。
私は意を決して窓辺へ向かい、人形にかかっていた布を剥いだ。
そこにいたのは、もう私そのものだった。顔、髪、そして着ている服まで、昨日私が着ていた服のシワまでが再現されているように見えた。人形の目は、私を見つめ、微かに微笑んでいる。
私の心臓は、警鐘を鳴らし続けた。この人形は、私の代用品として作られている。そして、3時15分という止まった時間は、この人形が完成したか、あるいはこの屋敷で何かが起こった時刻を示しているのではないか?
私は部屋の隅の黒い椅子に目をやった。この部屋で、常に沈黙を守っていた、深く濃い色の椅子。
私は人形を掴み、そのまま窓の外へ投げ捨てようとした。
しかし、人形の目が、不意に私の目に語りかけてきた。それは言葉ではない。逃げないでという強い感情だった。
窓を開けようともがく私に、人形の表情が、一瞬で恐怖に変わった。その表情は、まるで誰かに無理やりどこかへ連れて行かれそうになっている私自身の顔だった。
その時、背後の黒い椅子が、ギシリと軋む音を立てた。
私は振り返る。そこには誰もいない。しかし、椅子が、まるで見えない誰かの重みで、深く沈み込んでいるように見えた。
次の瞬間、私自身の体が、まるで糸が切れたように動かなくなった。
窓辺の人形は、満足そうな、そして私自身の顔をした笑みに戻った。
私は、自分がこの部屋で何に囚われたのかを理解した。
3時15分は、この館の真の住人が、誰かを「模倣」する人形を窓辺に設置し終えた時間ではない。
それは、この部屋に閉じ込められた犠牲者の時間が「止まった」瞬間なのだ。
私の視線が、人形と同じく窓の外、庭の何も無い一点に固定された。私の表情は、徐々に抜け落ち、陶器のような無表情へと変化していく。
そして、私の魂は、私の肉体から引き剥がされ、窓辺の模倣者へと移っていくのを感じた。
数日後。
灰色の館の窓辺には、二体の人形が並んで置かれていた。一体は、水色のドレスを着た古い人形。
そしてもう一体は、黒いスカーフを巻き、静かに外を眺める、新しい人形だった。
部屋の片隅の黒い椅子は、再び、わずかに凹んだまま、新しい獲物を待っていた。そして壁の時計は、永遠に3時15分を指し続けていた。
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